父はTVを観るのが大好きだ。

それは今でも変わらない。

昔は特に、今でいうスーパーキッズ的な子たちが出る番組をよく観ていた。

そしてそれを観るたびにこれみよがしに必ず言うことがあった。

「あーあ、どうやったらこんな子供が育つんだろうなぁ。

   こんな子供を持ったら最高だろうなぁ。

   俺の子なんだから“タネ”はいいはずなのになぁ。」

1度や2度ではなく、本当に何度言われたか分からない。

その度にこちらが傷ついていたことを、向こうは知らない。

産まれてこない方がよかった、と何度思っただろうか。

 

「お前は橋の下から拾ってきたんだ。」

というのは、言われたことのある人がそこそこいるのではないだろうか。

この言葉にも、恐らく親が思ってもみないレベルで、こちらは傷ついていた。

だいぶ歳の離れた兄がいるのだが

その兄からも同様におもしろがって言われた影響もあって

本当に自分はここの家の子ではないのだと、しばらく本気で信じていた。

そして、孤独感と不安感と、疎外感と寂しさを感じていた。

HSCやHSPは特に、言葉をそのまま真に受けてしまう傾向があるらしく

それが大きく関係している結果だと思う。

子供は、大人が思っている以上に言葉の意味を理解している。

冗談で言った事だとしても、子供を不安にさせたり恐怖心を与える事が

個人差はあっても、少なからずあるという事をわかっておいて欲しい。

 

小学生時代は成績が良かった。

テストはどの教科もほぼ満点に近い点を毎回とれていた。

通知表もオール5だった。

褒められて嬉しかった、という記憶はない。

テストの結果を見せても、ろくにリアクションはなかったし

言われたとしても、お父さんに似て頭がいいんだからやればできるのよ、とか

俺に似て素材がいいんだから感謝しろ

もっと真面目に頑張ればまだいい点が取れるはずだ

とかそんな言葉がほとんどだった。

ひねくれた受け取り方なのかもしれないが

“私自身”を見ていてくれた感覚があまりない。

 

中学に上がってからは成績はだだ下がりだった。

入学最初のテストだけは上位だったが、それだけだった。

 

何がきっかけだったか忘れたが

ある日親から叱られた事を境に、一切、言われた事に対して言い返すことをやめた。

それまでは反発して自分の意見を言っていたが

いつも、こちらの気持ちを受け止めてくれるという事がないじゃないか

と、気が付いたからだ。

 

毎回、頭ごなしで叱られていた。

理由を聞いても、親の言う事には従えというような返しが多く

それはつまりそっちの都合を押し付けてるだけだよね?

という意見にも、つべこべ言わずに…というような言葉ばかりで

こちらが折れない限り、絶対に話が終わらないという事が常だったのだ。

一旦話を聞いてくれる、受け止めてくれるという事がうちにはなかった。

対話がなかった。叱る、怒鳴るが日常だった。

常にこちらの話を遮って、向こうが話し始めてねじ伏せようとしてくる

という流れだった。

こちらが落ち込んでいようが、凹んでいようが、ほっといて欲しかろうが

そんなことは向こうには関係のない事だった。

 

悲しい事があったり、凹んでいる事に対して

そっと見守るとか、こちらが話し始めるまで寄り添うという事がなくて

とにかく無理やり話を聞き出そうとか

勝手に、親に対して不機嫌になっていると勘違いして

一方的に叱ってくるとかで

とにかくモヤモヤした状態で過ごす事が日常だった。

そんな態度をとって親に心配をかけて、どういうつもりなんだ!

と、いつも“親主体・親絶対”の考え方だった。

 

絶対に言葉を返さないようにしよう、と思い立ってからは

一方的に言われてめちゃくちゃ腹が立とうが、絶対に抑え込んで

一切の言葉を発さなくなった。

そうして、次第に何を言われても怒らず、無になる事ができるようになった。

「そんな態度をとっていたら

   将来お前は話す事ができない人間になるからな。」

と父に言われた。

それはある意味、当たっていたと思う。

 

叱られ続け、否定され続け

家の外に出れば人から嫌われないようにしなければと

“自分”を出すことをやめて人に合わせた話しかできなくなり

自分の好きなことも、やりたいことも

身の回りの人間に本心で話す事がなくなった。

自分の思いを、人に話す事が不安でしかなくなった。

1番身近な人間に、子供の頃に話をちゃんと聞いてもらえなかったという体験は

大人になってからもずっと引きずる。

父が予言した時よりも前から、私は既に話す事が苦手な人間になっていたのだ。

その時に始まった話ではない。

 

そしてそれは現在にまで続いている。

 

 

幼い頃から、同年代の子とは話が合わないなぁ…と感じていた。

周りの子がとても子供っぽく見えていた。

言葉選びも独特で、どこでそんな難しい言葉を覚えたの?

と大人たちから不思議がられることもしばしばあって。

とにかく多少、周囲とはズレているところがあった。

 

“輪から外されないようにしなきゃ!”

という思いが強かった。

仲間外れにされたら終わりだ、という恐怖心が常にあった。

その頃、どんな子たちと仲が良くて、何をしていたか。

もう今はほとんど覚えていない。

長いものに巻かれて過ごす日々を送っていた。

 

小学校高学年になって、転校を経験した。

めちゃくちゃ嫌だった。

この歳になってゼロから、見知らぬ土地で友達作りを始めなければいけないなんて

考えただけで本当に、不安と恐怖でどうにかなりそうだった。

嫌だ、とずっと抵抗していたけれど、母に説得された。

1度はしてみてもいいんじゃ無い?普通はそんなに経験できる事では無いんだし、と。

父は、俺が働いて養ってやってるんだから普通は家族の方が俺に合わせるのが当たり前の事だ、なぜ俺が2度も単身赴任なんてしなきゃならないんだ、ついてくるのが普通だと言った。

そして、めでたくいじめに遭った。

しかもかなり特殊な状況が重なって起きたいじめだった。

世の中、いかなる時でも理不尽な事は起こり得る。

この経緯は、誰も予想だにしない内容だろうと思う。

〜〜説明が面倒なので割愛〜〜

 

元々学校へは行きたがらないほうだった。

単にめんどくさがりの怠け者だからだと親は思っていたし

親がそう思っていたから自分もそう思っていた。

けれど実はそうではなく、人間関係にとても神経をすり減らしていたから

それが苦痛だったのだろうと今にして思う。

帰宅しても自分の心を癒せる時間は取れなくて

けれど明日はまた学校へ行かなければならなくて

明日が来るのがイヤで、ただただ無駄に夜更かしをする。

早く宿題をしろと叱られ、女の子なんだから手伝いをしろと叱られ

早く風呂に入れと叱られ、早く寝ろと叱られ、朝起きれずに叱られる。

そういう毎日の繰り返しだった。

 

それがさらに、登校するのが非常にイヤになった。苦痛になった。

恐怖でしかなくなった。行きたくなくなった。

なぜあんな地獄の空間に、自ら行かなければならないのか。

理解に苦しんだ。なぜ?

学校に行かないことを、両親は許さなかった。

今ここで行かなくなったら、負けを認める事になる。

理不尽ないじめに屈したということになる。

不登校になったら、もう一生、お前は学校へは行けなくなる。

そんな恥ずかしいこと、絶対に許さん。

絶対に明日から1日も休まず学校へ行け。

そう、言われた。

 

行った。毎日。

幸いにも、無視がベースのいじめだったので

物理的に危害を加えられるという訳ではなかったから

耐えられた部分は大きい。

昼休みは外で遊ぶのが大好きだったけれど

それを1人、読書をして過ごす毎日になった。

状況をうまく理解していない男子たちが声を掛けてくれたりもしたが

全て断った。

乗れば、またそれをネタに状況が悪化するのが目に見えていた。

孤独な日々を延々と過ごした。

女という生き物はとても怖い生き物だ、というのを

この時期に、これでもかと刷り込まれた。

こういういじめには大体のストーリーでボスが居て

手下をつかってあれこれと仕掛けてくるものだ。

物理的危害がなくても、人の精神を蝕むには十分すぎた。

 

すっかり人間不信になった私に

「他人を信じるな。本当に分かり合えるのは家族しかいないのだから。」

と母は言った。

辛くても毎日登校する私に

「学校へ行くなんてのは当たり前のことだ。

    笑わせるな、すごくも偉くもなんとも無い。それが普通。」

と、父は言った。

 

毎日毎日精神をすり減らして、消耗し切って学校に通っていたのに

母はがんばれと言うだけで、父は一切、褒めてくれる事はなかった。

 

 

「私もいつか結婚できるのかなぁ?」

と、無邪気な気持ちで母に問うたことがある。

「大人になったら、とっても大好きな人ができて、その人と結婚して

   子供ができて、そうしたらそれがあなたの1番大事な家族になるのよ。」

と母は答えた。

 

その言葉にとても傷ついたのを、今でも覚えている。

 

 

 

離婚して早数ヶ月が過ぎようとしている。

 

この間、今まで生きてきた中で一番、自分と向き合う事ができた。

HSP気質のことを発端に、自分が気になる視点からで

いろいろと動画も見漁ったし、ネット記事も読んだ。

おすすめとして紹介されていた本もいくつか買って、読んだ。

 

今日久しぶりに、目がはっきりと開いたような気がする。

物理的にも、気持ち的にも。

 

 

 

幼少期から、否定されて育ってきた節がある。

両親にはそんなつもりは微塵もないだろう。

愛情をもって、注いできたつもりなのになんでこんな事に…

と先日、アパートを訪ねてきた母はそう言った。

 

厳格な父と、その厳格な父を不機嫌にさせまいと動いていた心配症の母。

 

子供の頃は、今よりだいぶHSSな部分が爆発していたところがあったように思う。

(HSSは育った環境でスコアが上下するものらしい。)

そんな子供と厳格な父を相手に、心配性の母は随分と苦労しただろうと感じる。

好奇心の赴くまま、自由に行動したがる子供と

その行動を制御したくて堪らない、父と母。

 

小学校低学年の時、父にボコボコに殴り倒された事がある。

もちろんこちらにも原因があっての事だが

父は、こちらの話を聞こうとはしていなかった。

結果だけを見ていた。

他人から聞いた話を鵜呑みにして

「お前がやったんだな?」

と、聞いてきた。正直に答えろと。

恐ろしかった。顔を直視する事ができず、終始うつむいて

首を横に振った。

「じゃあ誰かが嘘をついている事になる。誰がやったと言うんだ。嘘をつくな。

    泣いて許されると思うな、俺を騙せると思うな。」

そう言って殴られ続けた。

初めから、父はこちらを信用していなかった。

やったと、こちらが頷かなければ、いつまでも殴り続けられると思った。

ジンジンと熱を持って痛む頬と頭を腕でかばいながら

「やりました」

と、絞り出した声で返事をした。

早くその状況から解放されたかった。痛いのが永遠に続くのは嫌だった。

 

それを聞いて、父はその場を立ち去った。

 

その頃から、私は心の奥底でずっと

両親に対して反抗心を抱えて過ごしてきたのだろうと思う。

父が立ち去った後、母には真相を話したが

父にはその事は伝えないと言われた。

伝えたらまたその怒りで父が何をするかわからない、

平穏に暮らして行けないから、と。

その時から、孤独を感じていたのだと思う。

誰も自分の味方はいないのだと。

理解してくれる人は、いないのだと。

 

それが原因なのかどうかは分からないが

私には子供の頃の記憶というのがほぼ無い。

何をして過ごしていたのか、どんな事が楽しかったか、定かでない。

 

 

つづく。

 

 

「仕事、辞めていいですか」

夫にそう言われた。

結婚して3年目。
2度目の離職。

昨年、自分がうつを発症し
正社員の職を辞した。
そこから続く、半引きこもり生活。

今年の2月頃から、離婚を意識し始めた。
現時点で夫のことは
生理的に受け付けなくなった。

来月末が、アパートの更新時期。
こんな狭い部屋に
誰かと住まなければいけないのは
もう限界。
更新はしないつもりだ。

コロナ禍でなければ
もっと動きやすかっただろうと思う。

離婚した場合
アラフォーバツイチ無職女では
どこかに定住することすら難しいだろう。
しばらくは、わずかな貯金で食いつなげるだろうが
すぐに底をつくだろう。
そうなれば、後は死を待つのみ。
その方が、いいのかもしれない。

3年目で離婚だなんて
両親は批判するだろう
恥だと思うだろう

自分の生活が安定する為の準備が整うまで
今の生活を続けた方が
いいのかもしれない
けれど、そんなずるいことは出来ない
10万とはいえ
夫のお金を使っているのだ
別れるつもりしかない妻との暮らしに
金など出したくなかろう

もうこの土地には居られない

焦ってするものではなかったなと、最近つくづく思う。

 

これくらいの事、自分が我慢すれば済む話、許してあげれば済む話。

って思っていたけど、月日が経つと、その積み重ねの頻度が多ければ多いほど

自分がどんどん、しんどくなる一方だ。

 

結婚は我慢よ、許すことが大事よ。

と、団塊世代の妻として、亭主関白な夫に付き従うような形で

辛抱を重ねてきた母は言っていた。

きっと、今もそう言うだろう。

母の生き方は尊敬こそすれど、自分にはとても真似できないと

今この歳になって、改めて思う。

今よりまだ若い頃、自分も母のようになりたいと思っていた。

夫を献身的に支え、癒しとなる空間と、美味しい食事を作って…。

けれど、人間には向き不向き・得て不得手があるのだ。

母ができていたからといって。血が繋がっているとはいえ。

できるとは限らない。

そんなの、当たり前のことだけれど。

 

実家にいる頃から、自分1人の時間で過ごす。という事が好きだった。

当時はそんなに意識していなかったけれど、1人の時間の方が確実に長かった。

それは無意識のうちに、自分を癒すための時間を求めていたのだろうなと

今になって思う。その時間がとても、自分にとっては大切だったのだ。

 

 

付き合っている時、同棲している時と

結婚してからでは、相手との関係性がまるで変わってくる。

それまでに見えていなかった部分が見えるようになり

それまで許容できていた事が、できなくなってくることがある。

 

ただ“結婚”というものに焦りを感じて

“周りの目”に、プレッシャーや諦めを感じて

答えを急いで決断してしまうと、とんでもない後悔をする羽目になる。

 

ひとまず第一に、自分がしたくて、自分の幸せの為に結婚するのだと

そういう思がなければ、結婚生活の中に、自分が安心できる

自分の居場所を作ることは、できないと思う。

相手の幸せの為に、相手を幸せにしたいから、という気持ちももちろん

素敵なことだし、素晴らしいことだ。

けれど、結婚というのは1人でするものではない。

(まずは)相手と自分、2人でするものなのだから(背景にお互いの家族もあるけど)

相手の幸せを思うことも大事だが、自分の幸せも考えられるものでないと

幸せな結婚とはなり得ないのではないかと思う。

 

 

私はただただ、結婚を焦っていた。

年齢のこともあるし、無駄に、彼に対しての執着があったのかもしれない。

その時自分が過ごしていた環境が違ったならば

きっと、彼との結婚という道を、私は選んでいなかった。

 

結婚前に見ておくべき部分というものを、敢えて見ていない自分もいた。

直視するのが怖くて。

直視して、負の感情を抱くかもしれない自分を想像して

“そんな風に思うのは最低だ、受け止められなきゃ結婚なんてできない”

と、無駄に自分に対して“理想の自分”でいることを強要していた。

 

けれど、結婚してしまえば、見ないわけにはいかないものばかりになる。

そして、負の感情を抱く自分も、なかなか変えることはできない。

 

 

価値観・考え方のズレ、食の好み、生活リズムの違い

これらは共に生活する上で、受けるストレスの度合いがかなり高くなる。

彼は、自分の価値観や考え方を押し付けるようなところがある。

こちらの考え方や価値観を、理解できなくとも

受け入れよう、寄り添おうという気持ちに欠けている。

 

食の好みもまるで違う。

いや、まるで違うというよりは、彼の好き嫌いが激しすぎて

彼に合わせた食事にするというのが、こちらにとっては苦痛なのだ。

使える食材が少なすぎて、毎回ワンパターンで肉ばかりになり

脂っこくて、食への楽しみがない。

作り手の思いは全く無視で、自分が食べたくなければ一切口をつけず

お菓子やインスタント食品で済ませるし

気に入らないものがお弁当に入っていれば、中身を捨てて帰ってくる。

おかずのレパートリーをつけることが難しくなり、嫌いではなかった料理も

彼のために作ること自体が面倒になり、最近では全く作っていない。

自分のためだけに、簡単なものを作って食べてはいるけれど…。

作っても、食べてもらえなくてストレス。

作らなくても、“夫に食事を作らない自分”への罪悪感でストレス…。

 

寝る時間、起きる時間が互いにバラバラなのも大きなストレスだ。

今の住まいが1DKということもあり、お互い家にいる間は四六時中

顔を合わせていなければならない環境で、それもかなりのストレスだ。

そもそも私が一人暮らしをする、という目的で借り始めた部屋を

同棲する時もそのまま使い、今の結婚生活も変わらずそこで過ごしているのだ。

引っ越したい、と提案も何度かしたが

お金がないから俺は出せない、と言われるばかりで

結局、引っ越したいなら私のお金をあてにするという事であるし

俺は特段、引っ越しの必要性を感じない、という事だろうと感じた。

 

 

彼には“HSS型HSP”であるという事は伝えていない(最近わかった事でもあるので)。

伝えたところで、めんどくさいと思われるだろうし(自分でもめんどくさいと思う)

現時点で、私の思いをきいてくれる(受け入れてくれる)機会などほぼなかったのだから

言うだけ無駄だと思っているし、話したくもない。

 

 

付き合っている、同棲している時点から彼に対して

ん?と、疑問に感じる点はいくつもあったのだ。

けれどその度に、私は受け入れてしまっていた。

傷つく事も散々言われた。

だけどそれは自分が悪いからだ、悪かったからだと思い

“叱ってくれる彼に感謝しなければ、恩を返さねば”と思っていた。

考え方のズレも、すり合わせは難しく

彼の態度にイライラするこちらが悪いと、彼に非難された。

彼が行動を改めてくれた事もあったけれど

気づけばこちらが譲歩する事ばかりを求められていた。

 

引き返せるポイントは、何ヶ所かあったのだ。

その時に、きちんと自分の気持ちと向き合っていたら…と

今さら後悔している。

情に流され、その時の感情だけで判断を下してしまっては

冷静に状況を見ることができないのだ。

 

相手に対して何か不信感を感じたのなら

そう感じた自分をまず、信じてあげること。

そして、なぜそう思ったのかを今一度、客観的に冷静に考えること。

“不信感を感じた自分”を、自分が否定してしまっては

自分が一番、かわいそうなことになってしまう。

嫌われたくない思考が、その時にもバリバリに働いていたのだ。

相手と意見が食い違う部分をつついて、嫌われてしまうことが恐怖だったのだ。

嫌われてもよかったのに。

自分に自信がないばかりに…。

その時の一瞬の時間の中のことだけを考えてしまって

その後の長い人生の時間のことを、考えられていなかった。

 

 

全て、考えが浅かった自分が招いたことであるけれど

結婚を迷っている人がいたら

本当に、あなたはそれでいいと思うのか。というのを

真面目に真剣に、問うてあげたいと思う。

私は母にこれを問われた時、返した言葉が

「仕方ないよ、もうここまで来てしまったんだし…今さら引き下がれない。」

でした。

この時点で、『全然良くない』って言ってるようなものなんですけどね…。

本当に、バカだったなぁ…と思います。

 

結婚してからでないと分からないことも、たくさんあります。

それは、いいことかもしれないし。悪いことかもしれない。

ただ、結婚前に不安に感じる部分があるのなら

そこを、事前に取り除けるのかどうかが、その後に大きく左右すると思います。

取り除けなかった場合、結婚後に新たに“悪いこと”が判明したら

負の連鎖で、辛くなる一方になってしまいます。

 

何か少しでも、引っかかることがあったら

相手に対して、話そう、伝えよう、と思える自分がいるのかどうか。

その引っかかりを共有できる、理解しようとしてくれる相手であるのか。

解決へ向けて真剣に向き合ってくれる相手であるのか。

 

そこをちゃんと、考えて欲しいと思う。

 

自分の人生のために。