「日本建国」(創建史) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

「日本語」(ロゴス)はダニエルの発明だった ! ! 

 

…「日本国家の始まり」を定義するなら先ず「日本」(ヤマト=日ノ本の意)の語元(語源の意ではありません)は勿論の事、その国家の成立過程や思想大系等の定義付が必要です。その説明無く、ヤマト国家成立以前の遙か昔に於ける島の地形、又、石器、縄文、弥生時代文化等の言い回では「日本(ヤマト)国家の成立年」を定義付ける事は出来ません。早い話が、日本(ヤマト)国家の成立を以て始めて日本国家の歴史と言えるのであって、それ以前は日本国としての歴史(時代)ではありません。ちなみに、弥生文化に言う【ヤヨイ】とは、倭暦(アスズ・コヨミ)の3月(ヤヨイ/弥生)の月名であって、明治17年(1884年)に「東京府本郷区向ヶ岡・弥生(ヤヨイ)町二丁目」(現在/文京区本郷7-3-1/東京農学部・敷地内)の貝塚から発見された縄文土器に混ざって出土した「赤褐色土器」(縄文土器より薄くて強い先進的土器)の時代や土器様式等を意味付ける名称ではありません。
 

…日本語の元点【ヤマト(日ノ本)・言葉】は、八尾市(大阪府)の語元である【ΙΑΩ・AL】(ヤオ・アラ/ヘブル語・Yahwehの別称)を祀った大祭祀が、「ヤマト(日ノ本)・思想国」のロゴス(Λόγος)として、それは「基本・48カミ文字」で固定し発せられた言葉です。その「基本・48カミ文字」の統括主とする【ΙΑΩ】(ιαω/ヤオ)とは、クムラン第4洞窟で見つかった【死海文書】(昭和22年=1947年発見)断片文字(レビ記3・12&4・27)として見つかっています。ちなみに、約二千年の時を経てクムラン第4洞窟から発見されたレビ記(全27章)断片文字(ιαω/大文字=ΙΑΩ)部分(1章~7章迄)の内容は、祭祀者ではなくイスラエルの民がヤハウェ(God)の祭壇に対し、「どういう時」、「どうやって」、「何を奉納するのか」等の規定が書かれている部分に当っています。そして、此の写本された当時(紀元前1世紀中頃)のクムラン宗団トップグループの人達は【脱・ユダヤ教】を目指していた事を考えれば、新たな国造に於けるYahweh(ヤハウェ)の別称として【ιαω】の御名が考え出されたと考えられます。従って、その後に発生した大地震(ヘロデ王・7年)以降、此の【クムラン・秘儀教義宗団】トップグループの行方は定かでありません。

 

…「死海文書・研究委員会」リーダーだったロラン・ド・ヴォー氏(ヘブライ語聖書・専門家/ドミニコ会司祭)は、クムラン大地震年(紀元前31年)で宗団の共同施設が崩壊された年から紀元前4年迄の間(ヘロデ王の治世年に当る)は誰も住んでいなかったとする。ちなみに、元の住民の動向に付いても解らないとされています。

 

★…【捕囚】(紀元前586年)から5年目発せられたエゼキエルの預言…「あなたは左脇を下にして横たわりイ、スラエルの家の咎を自分の身の上置け。あなたがそこに横たわっている日数(390年+20年=BC171年頃迄の期間)だけ彼らの咎を負え」(4・4~5)。

 

★(預言)…「その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる」(38・19…カミの顕現を認識させる意/その550年後の紀元前31年にQumran大地震発生/預言的中)。

 

★…「彼は私を東向きの門に連れて行った。すると、イスラエルの神の栄光が東の方(極東崇拝・思想)から現れた。その音は大水のとどろき(大地震)のようであって、地はその栄光で輝いた」(43・1~2)。

 

…予言者エゼキエルは、ユダヤ民族の捕囚に関し「咎の年数・410年間」(BC586-5-390-20=BC171年頃)を設定した。その咎(精神的、肉体的に苦痛を与える)の期間を子孫代々伝えて全うした人達が最初の「ダマスコ契約・宗団」であり、その後に再結成された【クムラン・秘儀教義宗団】(BC125年頃創設))者であった。そのエゼキエルの預言に言う「★その日」(ゴグとの最終戦争=ハルマゲドン)とは、「大地震の発生を以てカミ(上)の顕現を認識させる事」(エゼキエル書38・22~23)にあって、その日が来る迄には、「新た成るカミ(上)の国の創建」に向け準備をさせる事にあった。従って、Qumran大地震年を【カミの顕現年】(カミの国・創建始動年に当る)と捉え、極東方面に向け移動したのである。尚、捕囚解放(紀元前・538年)後も帰還せずバビロンを居住地としてた東方の3博士(Magos/占星術師)や、一部の祭司系(サドク系&レビ族)の人達も、「イエス・誕生」(マタイ伝2・1~12)を祝福した後、つまり大地震から満29年後(紀元前2年/『魏略』)の時として、景慮(漢字訳・人名)と大月氏の使者(伊存口)達と共に後漢の哀帝(4年/己未)地域を経由(王莽に挨拶/此の時、大月氏の使者は新に王座に立てられる男であろうと言ったと『魏略』に書かれている)し、更なる極東列島(大阪/河内平野)へ辿り着いた。そして最初に【ΙΑΩ】カミ(上)を祀った処に対し【ΙΑΩ】(ヤオ/大阪府・八尾市の語元)と命名しました。ちなみに、八尾地域(澁川郡・等)と、後漢初期の王莽王権(政権)との交流が在った事を物語るのが貨幣【貨泉】(カセン/王莾氏・政権時/AD14年~40年迄)の出土です。つまり、【貨泉】が河内平野の亀井、瓜破遺跡(外10余ヶ所で179枚発見)から出土してい事が、その証拠となります…

 

…「ヤマト・言葉」の始まりに付いては散逸書「ミカサ・フミ」(カミ代ヤマト名・章)に書かれた内容が参考に成ります。つまり、(前文略)「筏と鴨(住吉系の始祖/海の民)の始め(ミコト・3910+エノク10周・4900=8810)より、ヤマト言葉の道(イオニア&アッテカ式・数値表記方/ダニエル書5・24~28/メネメネテケルウパルシンのゲマトリア数値・1191)開きて、立つ中壷(太占図/アウワ≒御中主数値・370)のチマタ(完全数・8128の示唆言語)より、テニオハ格助詞/ゲマトリア数値・521カミの御魂のゲマトリア数値・300)着き、導きて」(後文略)。とある。つまり、エゼキエルの預言「★その日」(クムラン宗団創設年~大地震発生年)が来る事を想定し準備していた…「新成るカミ(上)の国・創建計画」とは…【1万年・枠物語】として、又、新たな国の国語と成る言葉(ダニエル書5・24~28/メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン)を発明していた事がミカサ文書「カミ代ヤマト名・章」は物語っています。

 

…尚、その「1万年」とは…「1万時代が巡って来て彼らの罪(捕囚の原因に対する咎)の日数が消える迄」(エノク書・21章)とする数値に当たります。従って、アッテカ(頭音語)及びイオニア(文字配列)方式を用いたゲマトリア数値(大地震年迄8810年+日本創建数値1191=満1万)の構築と新たな数値言語(ヒフミヨ…)の設定を以て一括し…《(坐)・(1万)・(着/尽の意)」(万単位言語/御親カミの居住数値迄の意)》…カミ(上)として設定(ホツマツタヱ・15章)しました。

 

…極東の此の島(後に言う日本列島)に到着後、先ず「カミの顕現数値(4900+3910=8810)を基点とする【オノコロ島】(ゲマトリア・790)を設定し、先ず、言語のカミ(オノコロ・790+カミAL・31=821)としての【天・ミナカヌシ】(370)を登場(790+31+370=1191+8810=満・1万)させ【1万・枠物語】の外枠数値を(1191/ダニエル書5・24~28)を再構築しました。その内訳は、【定型詩・和歌】(基本・31文字)言語(5・7調)数値用い、又、【オノコロ】(三角数・790)数値を用い暫定的「オオキミ・在位通年枠」(初代・神武天皇~第12代・景行天皇)迄とする歴年史枠(計・821)と成っています。然し、此の「在位通歴・790」年には聖書的なカラクリが多々仕込まれました。そのカラクリの1つが、「ヲシロワケ」(景行天皇)の歴年数値(在位・60年)です。その即位年(在位通歴・731年)は、「Jerusalem第2神殿・陥落」の翌年(幻のAD71年)に繋げられ、又、崩御年は、「天・御中主」居住値点(31+1160=1191)に接続されていて、その証拠となるのが古文【太神宮諸雑事記第一】(景行天皇・条)です。従って、その完成書とする【ホツマ・ツタヱ】(三輪氏・文書)と【ミカサ・フミ】(春日氏・文書)は、日本人の聖書として設定されました。

 

…「ヤマト・言葉」に先立つ根元文字の発明に当っては、アテネ(紀元前・402年頃)での公式文字配列(大英博物館双書『初期アルファベット』)順に言う「Α=ア」・「Ε=エ」・「Ι=イ」・「Ο=オ」・「Υ=ウ」(基本・5母音)を取り込み、幾何学的形状等の記号を用いて「ア・○」、「イ・冂」、「ウ・△」、「エ・弓」「オ・囗」と成す5母文字を発明し、その5母音別分類による「基本・全48文字」 (ホツマ文字)で固定した言語を以て「ヤマト・言葉」と定義(三笠文書/カミ代ヤマト名・章)されました。尚、その母音別分類(全・48文字)を更に2分割(24文字+24文字=48文字)し、【アッテカ・式】(頭音語方式)に並べ替えたのが【アワの歌】と言う。この文字配列単体数値を取り込み造語したのが【1文字・数値単語】…「ヒ・フ・ミ・ヨ・ヰ・ム・ナ・ヤ・コ・ト・モ・チ・ロ」(1~萬単位迄)である。その新た成る国の国語「ヤマト・言葉」を書き表す文字の発明に当って、何故? 「幾何学形」採用かと言えば、それは創世記(聖書/モーセ五書)の天地創造に関連付ける為であった。つまり、古代エジプトに始まる幾何学(土地測量学)は、タレス(BC624~BC546年)がギリシアに持ち込み、ギリシアのプラトン(紀元前427年~前347年)が万有【4大物質】(気・火・水・土)を正多面体に関連付け、火は「正四面体」に。土(地)は「正六面体」に。水は「正八面体」(次の十二面体は特殊形等の理由で省かる)に。空気は「正二十面体」に割り当てた。その【4大物質】形状(○・△・□・等)を取り込むを以て、創世記(49・10~10)で預言された「メシア(カミ=上)の出現」(ミコトノリ/命=尊)が定義出来るからであった。その【ミコトノリ】(詔)の前提表示に必要不可欠なウラナイ用図形として設定したのが【フトマニ】(太占)図である。それは「七曜サイクル設定方式・図」(24時間&七曜周期表)の転用した図形であって、その中にはプラトン多面体図を取り込んだ幾何学形状文字(ホツマ・文字)の5母音「ア・○」、「イ・冂」、「ウ・△」、「エ・弓」「オ・囗」による「基本・48文字」がカミ名と称され配置されました。つまり、「ヤマト・言葉」は自然発生言語ではなく、歴然とした日本(ヤマト)の国語(母国語)として広められた言語であった。その幾何学的形状文字の1つである【円】(ホツマ文字の【ヰ】の形状)の形とアルファベット【A】(エジプト象形文字の禿鷲)とのモノグラム(合字)化を以て作成し建立された物体に対し【トリイ】(禿鷲=鳥/鳥が居るから鳥居)と命名し、尚、伊勢神宮の「唯一・神明様式トリイ」(シの字形)と共に、現在に至っては化石化的に「ホツマ・文字」が存在する事と成ってすます。

 

…従来の母国語(ヘブル語)を棄て、新に「ヤマト・言葉」(文字言語)を開発した動機は、エゼキエルの預言に起因する。つまり、「390+40=430年間の悔い改めの責め」を実践(紀元前586年-390-20=紀元前177年頃迄続けられた)し体得した【日ノ本(ヤマト)・思想】によるカミ(上)の国創建に当っては、従来の言葉と文字等を一新する必要があったからだった。そこで採用したのがギリシア文字に組み込まれていたゲマトリア数値方式であり、その方式による造語の設定方式に関しては、カルデア語(アッカド語/新バビロニア・カルデア王朝期/北東セム語派)で書かれたとされる『ゾハール』(光輝の書とも訳される)と題する本が出版されています。

 

…日本語に於ける造語に在って、三角数(ゾハールにも取り込まれている)をも取り込んだのは、ギリシア語数値とヘブル語数値が微妙に食い違う事への解消にあった。その一番の問題と成ったのが、【メシア・来臨言語】(創世記49・10)である処の…「ついにはシロ(Shilh)が来て」、と訳された部分である。そのギリシア文字配列【イエバ・シロー/ΙΒΑΣΙΛΗ=258】(ヘブル文字配列・358)数値のズレを修正する必要から【フトマニ・図】を作成し、「トホカミ・ヱヒタメ」(848・倭暦の数値)。「アイフヘ・モヲスシ」(284・Θεὸς/メシアのギリシア語訳数値に合致)。「アウワ」(367・御中主の数値)と称すカミの御名の配置と、倭語による造語「ヤオ」(ιαω)数値(507)を以て(計・2006)、【236】(想像的虚空数値=2242)に繋がる「ノア昇天年・2006」に合致させました。  

 

…【日本(ホツマ思想)国家・創建史】の解明に至ったのは、【死海文書】(1947年・発見)の解読本(日本語訳)が日本で発行された事にありました。その「メルキゼデクテクスト/11QMelch」内容は、【日本国家・創建史】の前提物語と成っている【長髄彦・討伐物語】の題材だったからだった。その始まりは、先ず「IBAShILH」(イエバ・シロー/創世記49・10)の来臨数値(358)を分解した【300】(God/カミの御魂の数値)を用い【300万年】(ミモロ)と定義するカミ代の物語が作成され、又、残りの【58】を用いては神武(タケヒト)の即位年として設定されました。ウラナイの太占図の設定に当っては【完全数】(6…28…496…8128)の【8128】を用いヤチマタ(8000)+フトマニ歌の数(128)として設定し、「ト/ホカミ・ヱ/ヒタメ」の8文字には、「ヱ+ト=58」(神武天皇・即位元年数値)と「ホカミ+ヒタメ=790」(神武天皇~景行天皇迄の在位通歴年数値)とする、予め決められた数値文字を以て造語(単語)されている。そして、次の「アイフヘ・モヲスシ」(8文字)には、ヘブル語ゲマトリアを用い「Α 1+Ζ 7+Ν 50+Σ 300=358」(創世記/メシア・来臨数値)の造語を用いて設定されていますが此の造語は、先ず、三角数ゲマトリアによるを「Α 1+・Ζ 21+Ν91+ Σ 171=284」(Yahwehのギリシア語数値言語Θεὸς/9+5+70+200=284)が語根と成っていました。

 

…「ヤマト(日の元)・言葉」(文字による言語)にゲマトリア数値を組み込んだ目的は、「日ノ本(ホツマ=ヤマト)思想国」としての正典(Bible/バイブル=本)を作成する為であった。ちなみに、トーラ(Bible/モ-セ5書)教義の根元は、「大洪水(ゲマトリア数値・211)阻止教義」(ヨベル書に記載)が元義である事が旧訳聖書【ヨベル書】(6・9~33/永遠的大洪水阻止の年々契約更新=年中行事祭の履行)に書かれています。従って、クムラン(ヨルダンの西方地域)を居住地としていた当時(紀元前125年頃~前31年頃迄)は「大洪水阻止・祈祷文版」設置値点の最終年としては「ノア・昇天年」(2242年/ギリシア語訳・聖書)数値を用い、更に、【完全数】(6/28/496/8128)の当時(紀元前30年頃)としては最終部分に当る第4番目「完全数・8128」とを加算した秘儀数値【1万370】(2242+8128=1万370)として設定されていました。だが、Qumran(クムラン)巨大地震発生(紀元前・31年発生)後、極東の此の列島に移動し、新に採用した三角数を交えたゲマトリアの採用によって、その以前に設定済み数値(1万370年)が訂正されました。此の訂正事項を題材として書かれたのが【日本(ヤマト)・国生み物語】(国土開闢~天照大神・誕生物語)です。

 

…「ヤマト・言葉」に先立つ記号文字設定に当っては、先ず、母音記号文字別「ア・○/イ・冂/ウ・△/エ・弓/オ・囗」(基本・48文字)に分類し、その分類文字を更にイオニア式数値順に並べ替えたのが【アワの歌】(5・7調/24文字×2=48文字)です。そして、その全文字の中から占い用「フトマニ・図」に配置し、混沌(AT=1400/含牙)から派生した最初のカミ(上)の御名として「アシカヒ(211)・ヒコチ」(葦牙彦舅/国床立=国常立・尊)と命名されたのは【アメ・御中主】の別称としてであった。そして、「大洪水(ゲマトリア・211)・阻止契約」の証とするのが鳥居(AT=1400/明神様式)の形状であり、それは先ず【ΙΑΩ・ΑΛ】(ヤオ・アラ/811+31=842)カミ(上=アメ/1400+842=2242)を祀った【タコチ】(八尾市の竹渕神社付近)地域に設置されました。その名残として存在するのが八尾市植松に建立する「澁川神社」の鳥居です。それは、「大洪水(ゲマトリア・211)・阻止」に関する契約(ヨベル書6・9~33)に基付くもので…「永遠的大洪水阻止の年々契約更新」に当り、滞り無く履行される【年中行事・祭】に関連する。

 

…「日本建国・創建史」(ホツマ&ミカサ)文書は、シナイ文字(22文字)を取り込んで作られたギリシア文字配列順に添って、三角数によるゲマトリア数をも取り込んでいます。然し、古典ギリシア文字の「6番目=数値6」(後年のW)、「18番目=数値90」(後年のQ)、「27番目=数値900」(後年のF/ディガンマ)の3文字は使用が少ない事から削除(数値は使用された)され、新に「Υ・Φ・Χ・Ψ・Ω」(oー/ph/kh/ps)の文字を発明して加え、「24文字」(アテネ・公式文字)として再設定しました。それで、此の極東の島に移動してきたクムラン秘儀宗団(1947年発見の死海文書を書き残した宗団)トップグル-プの子孫達(ユダヤ系の人達)は、ユダヤ民族のダビデ(イスラエル・初代国王)の存在を明らかにしておく必要から、その削除された「18番目=90」(ヘブル語/tsadee=ツァダイ)文字に対し意味付けを行いました。それが先述に投稿させて貰った「佐賀の語元・伝説」(肥前風土記・逸文)に言う「サカシメ」(賢女)=「與止(ヨト)姫」伝説(佐嘉川の上流に国府跡や吉野ヶ里遺跡・在り)です。つまり、山幸彦(彦火々出見・尊)が鯛(タイ)の口(第17番目文字・Π/パイ=口の意)に掛かった釣針とは、削除された第18番目文字(鉤/ヘブル語・ツァダイ)を釣り針に見立て、又、その鯛(魚)の口に掛かって釣り上げられたとする鯛の鱗(三山の形状)を上下に返せば【ダビデ・紋=✡】と成る事を示唆し、「鯛は魚の王」として神事の食神物する事を「ホツマ25章」(http://gejirin.com/hotuma25.html)は記しています。その後、山幸彦を有明海の杵島(佐賀県)近くの浜(筑紫ウマシの浜)迄連れてきた塩筒(シオツツ)の翁の手紙を読んだ住吉系の「ソヲハテ・翁」(佐賀県/有明海の杵島付近を居住地としていた)は、鹿児島に住していた山幸彦の父「ニニキネ・尊」に会って、自分の娘「トヨタマ・姫」を山幸彦(ホホデミの別称)の后にしてもらい、「神代時代の11代目・彦火々出見尊」の時として、本格的に九州(筑紫)の国造(32国)が行われたとされています…
…従って、【長髄彦・討伐物語】に於ける「タケヒト」(後の神武天皇)は、九州の宮崎に住んでいたと言う事です…

 

…「ホツマツタヱ」(『日本書紀』の底本)によると、「アメノオシホミミ尊」とは、天照大神の12后中の正室(中宮)に選ばれたセオリツ姫(桜内の娘・ホノコ/龍田神社の祓い主)との間に生まれた嫡男(長男)であって、此の人物の王権(政権)時代は未だ「物部職」ではなく神代時代にあっては天下主(天皇の身分)であった。問題は、此の王に跡継ぎ子供が生まれなかった事です。それで養子に迎えたのが「ニニキネ尊」の三つ子の中の「ホノアカリ」(梅仁)が生んだ【クニテル】(天照国照・ニギハヤヒ)でした。此のニギハヤヒの后(ミカシヤ姫)との子供がウマシマチで、此の時代に謀反を企んだナガスネヒコ(長髄彦)は「ミカシヤ姫」の兄である。その謀反者の長髄彦を討伐した「タケヒト」(後の神武天皇)が日本(ヤマト)国家としての初代王に成ったので、それ迄の王権(政権)を担っていたウマシマチに対しては「物部・職」(それ以前は三輪系の大物主が役職を担っていた)が与えられ、此処に「ニギハヤヒ系の物部職時代」が始まりました。その八尾市に建立する【澁川神社】が意味する処は、その祭神「アメノオシホミミ」の母に当る「セオリツ姫」を、その川上(奈良県)に建立された龍田神社(澁川郡付近からほぼ真東に建立されている)の祓い主とされている事に関連し、それは、【ΙΑΩ】(ヤオ/ギリシア語訳・θεοsの別称=ヘブル語・Yahwehの意)カミの最大な関心事であった「大洪水・阻止祈祷文版」の設置(ヨベル書/天使・エノクが設置)に対応させての建立と考えられるからです…http://shibukawa-jinja.com/ (澁川神社・URL)。

 

【追記】(2018/11/16・金曜)…日本最初の「鳥居・設置地域」は、八尾市(大阪府・河内)の【澁川】(澁川・神社)であった…

…鳥居の元形は、アルファベットの「A」と「Τ」とのモノグラム(合字/組み合わせ文字)の形状であり、エジプトの【聖刻文字】(ヒエログリフ)とする禿鷲の絵はアルファベットの「A」を意味表します。従って、【トリ】(A・禿鷲=鳥)が【ヰ】(Τ・400/居)るから「鳥・居」(ホツマツタヱ文書・21章)と言う。その【日本建国・創建史】の始まりは、【ιαω】(ヤオ/八尾市の語元)カミが最初に祀られた河内(大阪府)のヤオ(八尾)から始まりました。

…「禿鷲」(鳥/A=1&千)+「Τ=400」(1400/天地創造の混沌の意)数値が組み込まれたホツマ文字に関連付け、「A=トリ・Τ=ヰ」(鳥・居)のモノグラム(合字)を以て鳥居の元形が出来ました。そして、その【A】の上方を切り取り省略(切り口に笠木を付けた)し、基本的な鳥居の形と成る。その意味する処は、【大洪水阻止・祈祷文版】が設置(ヨベル書/天界に天使エノクが設置)された「ノア・昇天年」(洪水から350年目の2006年)を意味表します。従って、日本で最初に設置された地域に対し「シフ(350)・川」(シフ=渋・川)と命名(1世紀始め頃)し、此れが八尾市に建立する【澁川・神社】の起元(起源ではありません)です。

 

…八尾市の植松(澁川神社・付近)付近から枝分かれし~太子交差点付近~亀井遺跡付近を経由して流れていた川(ヤマアト川/現在の平野川に当る)沿いの亀井遺跡から、貨幣【貨泉】(王莾政権時/AD14年~40年迄)が出土しています。つまり、日本で最初の「鳥居・設置」地域は、河内平野の【シフ・川】(語元はノアの崩御年に起因する)地域であり、その設置年は、前漢の王莽王権(政権)と交易していた時代(1世紀・前半)頃と考えられます…

 

 

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