…【日本人のIdentity(アイデンティティー)】を知る事の重要性に付いて… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

>[日本人のIdentityを求めて] プロフィールより



秀真 太郎  
【武天皇・即位元年】は、世界歴を起点(アダム~ノア)と成す【創世記歴・3941年】(西暦1年)で在る。【元始・ヤマトコトバ】は、 『Dead Sea Scrolls(死海遺跡巻物)』(1947年発見)文書を死海付近のクムラン地域に隠し残し、紀元前一世紀頃、極東の島(現在の日本列島)へ移動して来 た【クムラン・ダマスコ契約宗団】(脱・ユダヤ教)の人達が創設した「日本・固有文字(アルファベット言語属)」を起点とする。其れは、【基本・1文字1 音】の「文字・言葉」(文書言語)に始まった。後年、漢字が導入されたのは、大陸からの帰化人が増えた事に起因する。然し、本当の日本人は【和哥】を重要 視する故、其の後年に於いて、更に、漢字から【神字・カミナ】(カタカナ・ひらがな)と成す、新たなる【日本・固有文字】を創ったので在る。《『日本ブログ村』プロフィール》


《♯[復活・元始ヤマト国家暦学](自説)…と成す【グルッポ】に掲載している記事(少し修正する)を、次(下記)に、貼り付けました。

…♯【復 活・元始ヤマト国家暦学】(自説)とは、抹殺された【元始ヤマト暦(コヨミ)】の復元の意と致します。尚、現在の西暦元年はイエス(Χυριοs はイエスの名称ではない)の生誕年ではありません。而して、私説に言う【日本国家(元始ヤマト国家)・元年】(神武天皇即位元年)に対し、現在の世界暦を以て説明するとすれば、【神武天皇・即位元年】に対し、西暦年で言い表す処の【紀元1年】と致します。然し、其れを証明するには、其れなりの文献を提示する必要が在ります。然るに、我が国に於いては、其のような文献は存在しないとされているが、其れは嘘で在る。而して、此処に言う【元始・ヤマト暦】の復元の意と致しますのは、我が国の古代に於いて、抹殺(焚書)されようとした文書が隠され続け、近年、つまり、「昭和41年(1966年)」に、松本義之助氏の尽力に因って『秀眞伝…ホツマツタヱ』と称する文書が再発見されたので在りました。其の文書は、【元始・ヤマト暦】を用いた歴年が記されていて、尚、其の文書は、其の全文が「我が国固有の古字(神代文字と呼ばれている)」で記された文書でも在った。


…然るに、神武天皇の即位元年は、現在の西暦元年(イエス誕生年ではありません)で言うと、「紀元前660年」等とされているが、此の説は全く根拠が無い説で在ります。尚、西暦年の暦の起元に目をやれば、「イエスの誕生を以て西暦に言う処の、紀元 1年と設定したのは、イエスを迫害し、更に十字架刑を以て処刑したローマ帝国に於ける、6世紀の事で在りました。尚、現在のクリスマスも古来から有ったローマの祭り事に起因していて、イエス 誕生年とは無関係で在る。つまり、現在のクリスマス(12月)は、後年、ローマの国教として取り込まれた後に、冬の季節の祭り頃の行事として取り込まれた処に起因するが、然し、其の【元始・キリスト教】(ユダヤ民族宗教)の時に在っても、イエスの生誕年に付いては記録された文書が見付かっていない為、現在に於いても依然として【謎】とされている。然し、近年に再発見された『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書を構成する【幾何学的形状文字】(日本の固有古字古字)の研究を以てすれば、我が国の事、乃ち、【日本国家・起元1年設定】と成す、其の起点年の特定は勿論の事、更に、【西暦起元・設定基点年】の、其の基礎的起点年をも解明する事に成功致しました。而るに、其の【謎】の解き明かしは、我が国の【和歌】の起元に付いて、『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書に記されている事がヒントに成りました。

…尚、『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書が正しいとして私が判断した根拠は、其の『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書に記載された文書内容では無く、【神社様式】、つまり、「神道は我が国固有の民族宗教で在る」と成す、其の社に言う【唯一神明様式】の形状や、更に、神社を象徴する【千木】の語元を、考古学的【クムラン(Qumran)・発掘文書】の中に見出した事を根拠と成す処に在ります。

…以下…【追記】(平成24/2013/1/18土曜
 「古代(後漢)中国の正月」…は現在の何月か?

…現在の中国の正月は、基本的には【旧暦】を用いていて、毎年、其の正月の日程は変わる事となります。

…中国の周代の暦は【日干支】で在って、年代設定に於いては干支年は用いられておりません。其の日付に関する【日干支】に於ける【辰】(シン)とは、つまり、其の意味とは…《【辰】(シン)の其の翌日が【朔】(サク)に成る意》…で在る。然るに…

…※…《← 【】(闇夜右から始まる循環に戻る)←【】(朔の前日)←【満月】(15夜)←【】(三日月最初の月) ←【】(サク闇夜)← 》…等と成る構図と成る。

…尚、「夏王朝」(伝説時代)の時は…《【冬至月】の翌々月が正月》…。其の次の「殷(商)王朝」(前1600~前1020)の時は…《【冬至月】の翌月が正月》…。更なる「周王朝」(前1020~前256)の時は…《【冬至を含む月】が正月》…等とされている。然し、【漢字の起源】が【殷(商)】の時代だとすれば「夏王朝の【日干支・暦】的な暦は存在しないので在る。而して、後漢(紀元後)の時は【太陰暦】で在り、其の暦的正月の日程は固定されていない。然るに、此の後漢時代の【正月日・設定】方式が現在の正月設定方式としてみると…以下の如くと成り、毎年の【正月日】は不定期的で在る。然るに…「旧暦で平年の年は翌年の旧正月は約11日後退」→「閏月が在れば約18日進む」。と成る

…2011年2月3日    ←  中国の太陰暦(旧正月)   … 【正月日】は毎年変わる…
…2012年1月23日     …前年と-11日の差が在る … 
…2013年2月10日      …前年と+18日の差が在る … (+ A)  
   【注①】
…2014年1月31日      …前年と-10日の差が在る … (今年平成25年 
…2015年2月19日      …前年と+19日の差が在る …  (+ B
…2016年2月8日       …前年と-11日の差がある  …  
…2017年1月28日      …前年と-11日の差が在る …  
…2018年2月16日      …前年と+19日の差が在る … (+ C
…2019年2月5日        …前年と-11日の差が在る …  
…2020年1月25年      …前年と-11日の差が在る …  


…【注①】…「平成25年…去年・旧暦正月・2月10日・新月」
「今年・平成26年・2014/1/1/新月・西暦正月」「平成26・2014/12/31/新月・旧暦正月(春節)」

…尚、其の中国の「後漢時代」(A,D25~220)に在っても、【日干支】(日付的な干支の使用)
は用いられているが【年干支】(歴年干支・方式)に至っては、紀元前の後漢時代等とも同じ事で、依然として、古代中国に於いては、其の【歴年干支・方式】は全く用いられていないので在る。而して、古代、我が国に於ける【元始・ヤマト国】の歴年を記載している『秀眞伝…ホツマツタヱ』文書は、【ヱト・コヨミ】(天鈴暦)、乃ち、【兄弟(ヱト)年・60年循環方式暦】(年干支方式の意)を用いてたので在った。


…以下…【追記】(平成24/2013/1/19日曜
 ↓ → 
神功皇后・39年条…『現存・日本書紀』】(卑弥呼

神功皇后紀・39年己未の条】…に関して、『三国志・魏略曰』(中国の本)に因れば…「景初二年(三年の間違いか?)十二月・倭の朝献目録の処の文字不体読めない?)、以て、魏、之、失(失う)」(筆者訳)等…と記載されている。此処で私が言いたいのは…《倭国の【卑弥呼】の使者は、魏の国への【朝献目録・文書(不体字)】を、魏朝の人に提示していた》…と、言う事で在る。従って、「漢字以外(不体字)の文字(神代文字?)」を、倭国(元始ヤマト国)の【卑弥呼】の国は使用していたので在り、換言すれば…「我が、日本の国には漢字が導入される以前は自国の【固有文字(神代文字)】を持っていなかったとする説」は、完全に間違っている、と、言う事で在る。    


…以下…【追記】(平成24/2013/1/21火曜 ↓→ 葛城山千日行思想の起元」(『秀眞伝』第4章)

…(前文は略す)…
占いひて、ツキ葛城の、イトリヤマ、世継ぎ社の、イロシテは、天の御祖に、
祈らんと、トヨケ(5代目豊受神)自ら、契りして、八千クラ契り、
…(中略す)…
イサナギは、天(アメ)を知らする、ウツ(AL)の子を、産まん思ひの、マス鏡、
マテ(左)に日剱(ヒルツキ)、ナヅラヱテ、神成り出でん、
事を請ひ、首巡る間に、アグリ請ふ、斯日(カクヒ)を積みて、御魂入る、
カト(角?)はチリケの、 綾処(アヤトコロ)、行ひチカ千日)に、成る頃は…
…(後文略す)…
…後年に於ける修験道的【千日行】の起元も『秀眞伝』文書が起元で在る。
そして、其の後に於いては、仏教(密教)の修行の道の一つと成った。 

追記】(2014/1/24/金)… ↓  ↓  ↓ …

…此の【千日行】的記述内用は、【天照大神・誕生】(幼名・ウヒルキ)に関する記事で在り、其の【幼名・ウヒルキ】の名称が、後年に於ける真言密教(空海開祖)の曼荼羅…【大()・日()如(
LU)来()】…と命名されているので在る。従って…《【真言密教】は隠れ神道で在る(筆者説)》…と成す由縁で在ります。然るに…【】の意は「大いなる意」。【ヒ】の意は「日の輪」。【LU】()の意は「日のチタマ(孁魂)」。尚、此の【】の意は「ツルギ(剣・剱)の【ルギの火】にも関連する単語で在る。而して、【キ】()の意は、「キネ)&ウス)の意を有す男を意味表す」等と、『秀眞伝』文書は説明している。尚、先述の「ツギ(剣・剱)」の語元に言う【】の意は、「枯れ柴の燃ゆる火」と『秀眞伝』文書は説明しているが、其の意は、『セプトゥアギンタ』(ギリシア語・72人訳聖書)に記載された「ホレブ山の柴の火」(『旧約聖書・出エジプト記』3・1-17を参照の事)を示唆しているので在る。其のような『秀眞伝』文書の説明を以て…《【天照大神】は男性で在る》…と言う事で在ります。

…話しは変わりますが、 私の知人で修験道(密教系)の人(奈良県天理市・【モモヲの滝】の付近を見回っておられる)に聞いた話しでありますが…「千日行】に言う修験道の起元は、神道で在る」…と答えられました。

…然るに、其の【モモヲ(桃尾)の滝】の近くの小山に、小さな神社が在る。其の神社(天理教から東の山道を入って行った「桃尾の滝」の近く)は、古代、「物部神社」(天理市)が創建される以前、既に建立されていて、其の地域では最古に属する神社(由緒書きも存在する)との事とされている。而して、「物部文字草書体」に因る【印章】(古券印章東大寺天平勝寶三年辛卯751年の孝謙女帝の時代に当る)が発見されていて、其の、「古券の地域名(物部草書体・印章文字)」を以ての名称としては其の【神代文字】の書体を用いて【モモヲ】(桃尾)と記されている。尚、筆書きの漢字では【桃尾】で在る。然るに、【対馬阿比留楷書体文字】を崩した文字が【物部草書体文字】で在る。従って、朝鮮が【対馬阿比留草文字】(草書体)をパクリ盗んで)、其のパクッタ記号文字(基本5母音記号文字)と、更に、「母音記号と子音記号との組み合わせ方式」をも真似て作った「ハングル」(朝鮮文字嘉吉三年
1443に作った)の頒布(配布)年頃より、もっと昔、つまり、少なくとも「約7百年もの昔」に、既に、楷書体を崩した【物部草書体文字】(多くの文書を書く為に字体が崩されている)が、我が日本国に於いては用いられていたので在る。

…尚、【神代文字】以降、漢字が導入されたのは、「大陸からの帰化人」(漢字使用者)が増えたからで在る。然し、「本当の日本人は【和哥】を重んじる」為、更に、和歌の基本で在る「1文字1音」(神代文字方式)と成す文字を、漢字を応用し、【カミナ神字)】(カタカナひらがな)の文字を創作したので在る。然るに、「元来的・日本人」は、【元始・日本建国】以来、国内於いては、文字を自由に使いこなせる民族で在ったと言う事でも在るが、つまり、漢字、平仮名、片仮名、英語、等の文字を織り交ぜて成す文書の用い方等の方式は、其の昔、つまり、「紀元前1500年程もの昔、【ミタンニ王国】(ダマスカス地域一帯ヒッタイト時代頃)等の国が用いていた書式的方式でも在る。


 …【桃の尾の滝】&【石上神社の元宮】…又、【神代文字・物部草書体文字】を用いた【印章】が発見されている事を記したブログは、【此処】 
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…【桃尾の滝から少し上…石上神社の元社】の、其の社の所在地は…「奈良県天理市滝本町滝口」(普段は無人)…です。