…【八岐大蛇】と、我が国に於ける【鉄】の起元に付いて… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…現在(2013年/02/02/節分・土曜日)…此の文書は「2012年のブログ」に少し書き足しを致しました

インド東部と、[ミャンマー国(旧ビルマ)の国境沿いの[マニプール洲]と[ミゾラン洲]に、[失われた10支族](前721年)の内の【マナセ族】(北イスラエル…首都サマリア)の人達が存在していた事を受け、「アミシャーブ…Amishav](ラビ… エリヤフ・アビハイルが1975 年に設立した[失われた10支族]の調査機関)に因って「古代イスラエル民族で在る]と認定され、2005年3月に帰還(現在のイスラエル国へ)しました。

話しは変わりますが…[プールールリ・神話](ヒッタイト神話)に関連し、【伝説】に付いて、少し、此処に記します
  
…上記に言う[ミャンマー国]の近くに[ブータン国](チベット)が在ります。其のチベットの[ブータン国](後世の欧米人が名付けた国称)の、【ブー】とは、古来[チベット地域]を指す言葉とされ、尚、【タン】の意は、古代ユダヤ民族の言語に従えば【】を意味表します。然るに、其の、ブータン国家]の正式名称は、「ドゥク・ユル…Druk・Yulで在り、其の意は【竜の国】の意味で在ります。然して、其の昔(紀元前5~6世紀頃)、つまり、【釈迦誕生・仏教成立以前】頃の、其のチベット地域には【元始ボン教】が存在していたとされています。

 …仏教に言う…《[十二因縁説(根本的無知)・老死迄の十二支分](60進法)の悟り》…を以て成る…《釈迦の得道の時(前525年頃・誕生年は…前563年頃・異説多々在り)》とは、然るに、其の得道の現場に立ち会っていたとされるのが、其の本人(釈迦の説明)以外に在っては、人間としては誰も居なかったとされる。従って、ヴェーダに言うアートマン(霊魂】と、【梵天…ブラーフマン(ヴェーダの言葉の意)】のみで在ったとされるのが、仏陀自身に於ける【自己申告説】(小乗仏教・教典)で在る。

…然るに、此処(仏教説話)に言う、此の神、つまり、【
梵天】(アートマン・霊魂)とは、ユダヤ民族の唯一神【ハウエエロヒム】の事で在り、又、梵天…ブラーフマン(ヴェーダの言葉の意)】の言葉とは、「アラム文字・言語」(後にブラフミー文字が創生された)に因る、【アラム文字・言葉】で在ったと考えられます。然し、此の事に付いては、釈迦、本人以外に、誰も目撃した人は居らず、誰も知る由は在りません。

…【アートマン…】が…「霊魂的【】の意」…とされ、又、【ブラーフマン】とは、「ヴェーダの【言葉の意」とされている事を考察すれば、現在的インド文字の起源は、つまり、「ブラーフミ文字の其の文字の起元はアルファベットで在る」と言う学説が、現代に至っては、ほぼ、定説的に成ってる事等とを、更に考察すれば、「仏教成立(525年頃)以前」、既に、其の地域(チベット)には、【マナセ族】が有す思想を以て成る【元始・ボン教】(梵教)が、既に存在していた処に辿り着く説が可能と成ります。

…仏教成立以前の【元始・梵教】思想(『旧約聖書』創世記の元初神に関連する)を有す民族が住む、其のチベットに近い地域に住していた、「釈迦族の王子」(後に言うゴータマ仏陀)が、「人間的道理に関する探求」(小乗仏教)に取り込んでいた処に、此のチベット地域の
【元始・梵教】に出会った可能性が在ります。而して、「初期的・大乗仏教」(紀元前後頃?)が、支那地域(現在の中国)への伝来に於いては、「ガンダーラ~西安迄」の間を通過する過程に至っては、「西域のヘレニズム文化思想が混交した形」で、尚、其の大乗仏教は中間的位置に住した人達(西洋語・インド語・支那語に通じた人達)に因る翻訳、そして漢字に書き替えられた教典として、其の教典は、地中海文化、及び、ギリシア神話の思想が付加された教典と変えられ、支那の方へ伝播して行ったので在った。又、仏陀の守護神的仏像の形状に到っては、此の中間地点於いて、「ギリシア神話の神々を摸倣して作成例えば風神の仏像等)されていた」ので在りました。

…大乗仏教の中では最古的教典に属するとされる【般若心経】の中の、【空智…思想】と、【曼荼羅】に於ける【瞑想…思想】とは、いにしえ的、チベット地域に住していた民族に言う【元始・ボン教】に起因していた可能性が在る。つまり、空海の【理趣経】(後に書き直しされている)の内容(比喩的な性的説明が含まれている)は、[創世記…30・14~16]の中の「恋茄子マンダラゲ)」的思想に在ると考えれば、空海開祖(中国でシリア語の新約聖書に接していた)の【真言密教】に言う…【大日如来】…とは、【日本神道】の原点で在り、我が国の最高神で在る処の【天照大神】の幼名ホツマツタヱ文書に明記されている)で在る処の【ウヒルキ】と言う名称が、漢字に書き換えられて成る【大日如来】(真言密教マンダラ)と当て字を以て、曼荼羅化されております。従って、真言密教とは…空海(771~835)開祖の…隠れ神道】…で在った。と言う事で在ります。因みに、空海は、中国に於いて、[景教](原始キリスト教)と接触していて、現在、其の祈念碑的遺物が高野山(和歌山県)に設置されております。然るに…伊勢神宮(内宮)の祭神で在る【天照大神】の元初的な名称は、『秀真伝』(ホツマツタエ)文書に因れば、【ウヒルキ】(幼名)と明記されいて、其の【ホツマ文字】即ち、【神名字】(仮名の語元で在る)に因る…《【天照大神】幼名→ウヒルキ》…を、漢字に書き表せば…【大日如ru)】(ウヒルキ)…と成る。従って、空海開祖の、【真言密教】に言う【胎蔵界・曼荼羅】の主を成す【大日如来曼荼羅】の意味する処の、【大日如来】(ダイニチルライ)とは、我が国固有の民族宗教で在る処の、【神道】の、其の最高神と崇められている【天照大神】の事で在った…と言う事で在ります。

…空海の氏族系は、【佐伯氏族】で在り、其の、佐伯氏は、東北(
昔は秀真国と呼ばれていた)の地域に住していたが、景行天皇期に於いては、「エミシを管理する役職」に関連し、其の後「近畿、四国等にも移り住む事になった」。従って、佐伯氏系譜を通じて、後年に於ける空海(771~835)は、『秀真伝』文書(律令時代以前・前史期)に記載された、其の内容等を良く知っていた可能性が在る。然るに、其の空海が独自に開発した【24記号・真言文字】の、其の記号文字の謎解き、即ち、【光明真言】(24記号文字)、及び、其の記号文字の中の【ウン】、つまり、【空海的自称…梵字】(正式的な【梵字】では在りません)に秘められている謎解きの糸口は、やはり、其の【ウン】(アカウマの四字合成語で在る)と呼ばれる、「1文字」(ウン)に集約された、語意、及び、語根(既に解読済)の解読に在りました。

話しを【】の説話に戻そう古代チベット地域に於いて、【マナセ族】(失われた10支族)が住み着いていた事 意味は…『Dead Sea Scrolls…死海遺跡巻物』(1947年発見)…を、現地(クムラン地域等)の或秘密の場所に隠し残し、極東方面へ移動を開始した宗団ににも関連しております。然るに、其の【秘儀思想・クムラン宗団】の、極東移動の ルートに関しては、或一隊は西域方面(現在に言うシルクロード)へ。又、或一隊は、チベット地域から南下したと私は考えます。つまり、少なくとも双手に別れて行動していた可能性(ユダヤ人は脱出の名人とされる)が在る。従って、或一隊は、チベット地域から南下(海域方面へ)したと考えられる。尚、其の一隊は、海路から、現在に言う沖縄県の【与那国】等の海路を経て、極東の列島(現在の日本列島)へ辿り着いたと、私は推測(沖縄の古代伝承を調べました結果)致します。因みに、古代ユダヤの人達は、在る本に因りますと、「脱出の天才在るとされ、『旧約聖書』の日本語訳に因る[出エジプト記]と言う標題の語意とは、【エクソダスExodus】(大脱出の意と訳される)の意と言う。

『死海(遺跡)文書』に記されている[クムラン秘儀宗団]者に於けるQumranからの脱出クムラン)に関しては、『旧約外典第四エズラ書』(第2エスドラス書)が参考に成ります。然るに、[八岐大蛇]神話の題材は、ヒッタイト(楔形文字文書)の[プールールリ神話]にり在ると私は思います。其の根拠と致しましては、【】のルーツに関連し、[キュル・テペ(別名ネシャ)]文書(前1910~1830)に因ると、其の地域には、「ヒッタイト人」進出する以前、「ハッティ人」が住んでいて、既に其処では、【】以外(他に金や銀等も取り扱われていた)の取引も行われていたとされています。尚、【】を意味するシュメール語は、【アンバルスガ…天の金属・隕鉄か?)】とされます。尚、其の隣国の、「ミタンニ国」(現在のシリア付近)は、「エジプト国」と同盟を結び、エジプトへは【】(ハッティ語…ハパルキ)が送られていました。然るに、「ヒッタイト国」は、其の「ミタンニ国」(馬の飼育・調教等に優れた技術を有していた)とも友好関係を保ち、【鉄の戦車】を開発していた。然る後、【】の技術を独占していた、其の「ヒッタイト国」は、【鉄の車】戦争の兵器(鉄の戦車)として駆使し、「ミタンニ国」を滅ぼし、「エジプト国」をも権力下(カデッシュの戦いでヒッタイトはエジプトに勝利した)に置いたと言う事で在ります。乃ち、「ヒッタイト国」は、「製鉄技術を国家の機密」としていたので在りました。然し、その後、「海の民」の侵入に因って「ヒッタイト国」も亡びました。

…古代(上代史奈良時代以前)、我が国に於いて、漢字表記の【テツ)】に対し、「テツ」とは呼んでおりません。つまり、我が国に於いては、【】に於ける[鋳造鍛造]の技術に関しては、中国を経由する以前、既に、我が国は【】の原料(砂鉄)、及び、其の[鋳造鍛造]的技術等は、直接(中国経由では無い)、西域(アナトリアのハッティ)からの技術が導入(八岐大蛇説話の原案も【鉄】の技術に関連し付いて来た自説)されていたので在りました。従って、【八岐大蛇】伝説、然り、其の、【】の原料(奇稲田姫の父親の御名のアカツチ…『紀』ではアシナヅチと記す)の探し方、及び、[鋳造鍛造]等技術の保持も、『旧約聖書』を読めば、然りで在り、我が国独自の方式を以て、鉄器に因る農具等が製造されて行ったので在る。尚、古代、チベット地域に住していた「マナセ族」の、其の一部の人達をも、其の極東への移動の際、其の「極東方面・移動」の一隊に加わったと私は考えます。

…然る意を以て、【】に関する【
伝説神話】等は、「極東方面・移動宗団」(クムラン秘儀宗団者達)は知っていた可能性が在る。然るに、其の「マナセ」(エフライム族…エンブレムで在る処の【ユニコーン・一角獣】は任那国のエンブレムだった)の筆頭的な人達の一部の人達は、【クムラン秘儀宗団】の人達の【極東方面・移動】に対し協力して、極東の島(現在に言う日本列島)へ来た可能性が在る。尚、「紀元前721年」に、北イスラエル(サマリア)の陥落を以て、捕囚の身と成った、其の、北イスラエルの「十支族の中の「マナセ族」の或一部の人達」は、陸地を経て、何時しか紀元後の数世紀頃には、現在に言う韓半島の南部地域に住していた。然る後、『日本書紀』(偽書)に言う崇神(紀)の「任那」の話に出てくる「角が在る人」(一角獣のエンブレム)の言語を通訳したのが、『秀真伝』(ホツマツタヱ)文書に記載されている「ミマキイリヒコ側の通訳…「ソロリヨシタケ」(マナセ族)だったと考えられます。


…此のブログ記事は、次の…『 http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11576762990.html 』…「テーマ・【死海・秘儀宗団者】の極東移動ルート】」…つまり、赤色の部分を「ドラッグ」して検索すれば、此の文書と関連(【伊勢神宮・建立思想】に関連する記事)する記事に行き着きます。