八尾市の【ヤ・オ】の語元と【金印…漢倭奴國】に付いて | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!


 URL  http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11689199224.html  … (ドラッグ・検索)

 … 表題【元始ヤマトコトバ】は「アルファベット」の語根で構成されている」 …


 …此の記事は、上記の【URL・エンコード】(ドラッグ・検索)、乃ち…「Ameba Blog(アメーバ ブログ)記事」…内用(アルファベット語根に関連する)とに関連付けて成す意に於ける…【】(大阪府の八尾市の名称)…の語元に付いて、少しずつ此処に記す事と致します。


 …現在の大阪(大阪市付近)に言う【大阪・オオサカ】とは、「摂州東成郡生玉ノ庄内大阪」(明応七1498年)が初見とされ、其れ以前に言う【摂津)】の前は、神武紀(東征物語)に言う…「【河内国】の【草香邑】の【青雲の白肩之津」(大阪湾内)が、此の地域名称の始まりで在った。つまり、「摂津の】」とは…「盾津の
】」…が語元で在る。 而して、「聖書的創作神話(事後預言)」に於ける神武東征(『日本書紀』)に於ける最初の攻撃は…「ヤマト川を遡っての龍田入り」…を目指したのであるが、其の龍田への道が困難な為、元来た其の川を下り、二俣(八尾市JR志紀付近)に分かれて山沿いを流れる川(八尾市の玉串川)と、其の川沿に添って行っての川口付近に現在の東大阪市盾津)を以て陣(近鉄線吉田駅付近)を構えた。然るに、此の道中の川の分岐点に在る二俣付近(現在…由義弓削神社が存在する)の地名(中州的形状地)は、『秀眞伝』文書の「 タケヒト後の神武天皇ヤマトウチノアヤ」に記述されている如く【】と成す地名が既に存在していたので在る。では、何故【】と成す地名なのかと言えば、【日本開闢神話】に始まる「神代の時代」と、『秀眞伝』 文書に因る「タケヒト磐余彦)・ヤマトウチ」以後に於ける即位元年を以て成す…つまり「神の代と人の世代との分岐的基点地」…等と定義されていたからで在る


 …【】に対する、現在の八尾市
(明治36年誕生)の名称に言う漢字表記【八尾】に付いては、「鎌倉期から登場し、矢尾、矢生とも書いた」とされるが、其れ以前、其の呼称的【ヤオ】の初見は、幻の文書とされた『秀眞伝』(昭和41・1966年再発見) 文中の…「タケヒト後の神武天皇ヤマトウチノアヤ」(第29章)…が其の初出で在る。 然るに、『秀眞伝』 を構成する【ホツマ文字】(神代文字)のルーツに於ける…【チギ千木)】…の語根に対し、既に、考古学的文献で在る【Qumran 遺跡文書】中に発見(千木の語源語根の発見)している事を以て…《【ホツマツタヱ文書】は【日本人の【Bible(聖書)】として書かれている》…《【元始・ヤマトコトバ】は【アルファベット】を語根として構成されている》…と成す記事を、先ず、Ameba Blog(アメーバ ブログ)に記載し、今、改めて、其の内用の詳細等を、少しずつではありますが、此処に記していこうと思う次第であります。

 …世界的、考古学的発見である『死海遺跡文書』の中の、【ハルマゲドン(善神と悪神との最終戦争)】的な記述内用(日本語に翻訳された文書)を考察すれば、「数値57」の次の「数値58」に当る年を…「其の新たなる国家創建元年」と成す意に於ける恩恵の事が記述されている。而して、其の意を、極東の列島(現在の日本列島)に移動し、実行したと成す証拠の品が、彼の【金印漢倭奴國】(我が国に於いては不必要な為に棄てた)の存在で在る。

 

 …【追記…「何故第4代目懿徳天皇と第5代目孝昭天皇との間に1年の空位期が在るのか
 
 …我が国の最初の歴史書(フミ…踏みに通ずる)として書かれたのは、大物主家(ワニヒコ)の【ノコシフミ(遺文)】で在る。其の文書を、更に、聖書的(Canon・真っ直ぐ)に書き替えられたのが【ホツマツタヱ文書】で在った。然るに、
何故第4代目懿徳天皇と第5代目孝昭天皇との間に1年の空位期が在るのか、と成す疑問は、此処を以て解明することが出来る。つまり、初代神武天皇から懿徳天皇迄の在位年合計は【184年】で在る。そして、第5代目孝昭天皇と次の孝安天皇の在位年合計は【185年】で在る。其の【数値差1年】が、其の【1年空位】(太占神に関連する)に繋がっていると言う事で在る。乃ち、「初代神武天皇から第4代目懿徳天皇迄」との切れ目の謎は、[ホツマツタヱ文書]の「第10代目ミマキイリヒコ」の章や序章を考察すれば、其の謎が解けるので在る。

 …然るに、【ホツマツタヱ文書】の歴年数値は、其の歴年に於ける「人命的数値」の意では無く、飽くまでも【Canon】(竹的真っ直ぐの意等)に言う【日本人の聖書】(ヘブル語カーネー葦茎)として成就(finish)する意に於いては、【完全数】を取り込んだ【ヒエラルキー構図】(西暦元年的基点年は世界暦3941年と設定されている)の中に取り込む必要があったからで在る。因みに【】(八尾市の語元で在る)の語元と語根も、此の【
ヒエラルキー構図】の数値に関連付けられている。



此の続きは後日と致します