いよいよ休みも今日まで。

 

明日から仕事始めになります。

 

今年の元旦はいきなりの能登の大地震そして、翌日の飛行機の衝突事故。

 

本当に人生っていつどこで何が起こるか分かりませんね。。。

 

 

被災地からは近いというところまではいきませんが、元旦は大津波警報のエリアにいましたので、

避難をいたしました。

 

高台へ向かえば、すでにたくさんの車が到着しており、いつもなら気楽に停められるはずの田舎の高台は大渋滞。

 

彼と合流してからは、二人で別の山手側へ移動して、車内でテレビを見ながら様子を伺っていました。

 

車内でも何度かあった有感地震。

途中一部道路にも亀裂が入り、規制線が張られていました。

 

不安の中、7時過ぎてきたころでしょうか・・・

 

余震の感じ、第一波の様子などから、彼と話し合い、一旦私の家に戻り、きちんとした避難道具をそろえて戻り、彼の家で過ごすことを決断し、元旦の夜は眠れない夜を過ごしました。

 

翌朝は、早くに買い物とガソリンをと彼の家を出てみたものの、海沿いのコンビニやスーパーが開いているわけもなく、ガソリンスタンドはやっと見つけても、長蛇の列。

海が近いエリアですものね…皆さんが警戒するのは同じでした。

 

幸い、唯一の幹線道路が土砂崩れでふさがっていたとはいえ、自動車道は通行可の知らせ。

 

物流が止まることはないと判断し、買い占めるような真似をせず、一日二日分の飲み水とカップ麺だけ買って、とりあえず一旦自分の部屋へ帰り、被害状況を確認しつつニュースを見ました。

 

あとで分かったことですが、近所の大きなスーパーは通常営業されていたので、一安心しました(笑)

 

ニュースからはいつの間にか「津波注意報へ変わりました」の知らせ。

 

彼は朝からほとんど食べずに近隣の被害状況確認の仕事へ行っていたので、お弁当を持って、再度出直しです。

 

本当に不幸中の幸いで、それ以降大きな余震に見舞われることもなく、ここは普段通りの日常へ戻ってきています。

 

被災地のことを語れるほどではありませんが、あれだけの地震・・・

 

私だったら、すべてに絶望して泣き崩れています。

 

被災地に近い友人は「朝も晩も揺れてる。もう慣れてきた」とラインで返してくれました。

 

慣れるわけがない。

 

自分に出来ることは・・・

 

 

ただただ、一日も早く地震活動が落ち着き、復興への動きが順調に進むことを願うのみです。

 

自然の前では、人間なんて本当にちっぽけで、無力な存在だと、今年の元旦は思い知らされました。

 

 

多くの方の命が失われ、多くの家屋、思い出のある土地の姿が一変してしまったことについては、

本当に心からお見舞い申し上げます。

 

神様がもしどこかで見て下さっているというのなら、

大自然の怒り、どうか一日も早く、お静め下さい。

 

合掌。