商震将軍は蒋介石から日本軍前衛部隊の背後を突く形での堤防爆破を命じられたが、国民党軍の撤退が終わるまで爆破を延期していた。この間、蒋介石は爆破が行われたかについて何度も問い合わせを行っている。
6月7日には中牟付近で爆破が行われたが、この作業は失敗し、場所を花園口に変更して作業が進められ、6月9日午前9時に作業が終了し黄河の水は堤防の外に流出した。氾濫は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54,000平方kmの領域に及んだ。
水没範囲は11都市と4,000村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。
日本軍の対応
国民党軍は開封陥落直前に約8kmに渡って黄河の堤防破壊を行い、雨期に入る開封一帯を水没させた。
日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた。
国民党軍は現場に近づく日本軍に攻撃を加えた[5]ほか、日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害した(日本軍の地上部隊は住民とともに土嚢による防水作業を行い、日本軍の航空機も氾濫した地区において麻袋をパラシュートにより投下してこれを支援したが、決壊地点の対岸にいた中国軍遊撃隊が麻袋の投下開始直後からその航空機と地上で防水作業中の住民に激しい射撃を加えたこともあった。
報道
中国側の発表
中国国民党は当初から「黄河決壊事件は日本軍が引き起こしたものである」との発表を行っていた。6月11日午前、中国国民党の通信社であった中央社は「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を発信した。6月13日には全土の各メディアが「日本軍の暴挙」として喧伝した。
各国メディアはこの発表に対しては慎重な姿勢を示した。また、日本側も中国側の発表を否定するコメントを出した。
さらに報告では日本軍機による中牟北部の堤防への爆撃が続けられ、これが洪水を悪化させ、かつ日本軍は洪水の被害を受けた地区からの避難民を機関銃で銃撃していることが説明された。
日本側は「開封の堤防破壊は中国軍に強制された農民によるもの」との声明を出し、日本軍は自軍の前進を妨げる洪水を引き起こすことはなく、また堤防の大きさを考慮すれば爆撃と砲撃によって堤防を破壊することは不可能だったと主張した。
日本メディアの報道
日本国内では『同盟旬報』が現場の声として「日本軍の堤防修理や避難民救済の活動により中国民衆の日本軍に対する理解が深まり、図らずも日本軍と中国民衆を固く結びつける機会となっている」と報じた。
各国メディアの報道
アメリカにおける報道は被害の規模を伝えるのみにとどまり、『ブルックリン・デーリー・イーグル』紙が6月16日に「日本軍が必死の救助活動をしている」と報じた程度だった。
日本の『同盟旬報』は「アメリカでは災害が人災であることを伝えていない」と報じている。
英国では事件が日本軍の砲撃で引き起こされたとする中国側の説明に無理があることを示しながら双方の主張を伝えた。
ロンドン・タイムズは、この事件が中国の長い歴史の中においてさえ比類のない大災害の恐れがあるとし、国際連盟から送られた専門家の支援による治水と公衆衛生向上のための巨大な建設作業を無に帰したことを指摘した。
6月17日にはフランス急進社会党機関紙「共和報」は黄河決壊事件は中国軍による自作自演であり、「中国軍の黄河の堤防破壊は下級軍人の個別の行動ではなく、有識者が熟慮の末に、重大な責任を自ら負って準備決行したものである」としている。
スペインのディアリオ・バスコ紙は6月19日の社説で
と伝えた。