なにを思ったか,ときどきTwitterで議論(というかレスバトルというか)をしている人が散見される。しかしながら,これほど議論に向かないツールというものもなかなかないので,ついうっかりTwitterで議論をしてしまった経験のある人(まあ私もないではないのだが)や,いままさにTwitterレスバトルの真っ最中である人には,以下を念頭にご自身のされていることを考え直されたらいかがかと思う次第である。
 まず厄介なのは,Twitterには140字の文字制限がある。140字とはつまり400字詰め原稿用紙の半分より60文字も短いということで,このような文字数でそれなりに緻密で中身のあることを書くのは相当に困難である,というか不可能である。もっとも,Twitterにはツリー機能があるので,これを利用すればそれなりに長い文章を書くことは不可能ではない。しかしながら,そのツリーの全部が読まれるとは限らず,さらにTwitter特有のリツイート機能は連続するツリーの一部を切り取って広く拡散させてしまうため,全部読めば解る話でも容易に誤解を産む結果となる。
 さらに厄介なのが,「立論について査読者がおらず,賛同者の数(おおよそフォロワー数に比例する)があたかも正しさであるかのように取り扱われる」という特性である。学術論文であれば対立する論者がそれぞれ論争を戦わせているとして,その議論のいずれが妥当であるか否かは,同様の知識を持ち,文章読解や推論能力に問題のない専門家が双方の議論を検討して決定を下すことができる。もちろん専門家相互で意見の食い違う場合もあって,多数決で白黒がつくという話でもないが,これら専門家は自身がその結論に至った理由を理性のある人間ならトレース可能なかたちで説明することができ,読者もそれを期待することができる。しかるにTwitterがどうかというと,ほとんど何の知的訓練も受けていないウゾウムゾウが,ただ論者の好き嫌いであったり,(たとえどんなにデタラメな主張であっても)「自分の頭で理解できるから」という理由で議論の勝敗を決めてしまったりする。
 さらにさらに厄介なのが,「何度斬られても死なない人間は基本無敵」という特性である。学術論文であれば致命的な論理の誤りやデータの無視,改ざんなどがあればそれはリジェクトされ,公の場で日の目を見ることはないか,いずれは取り下げられる運命にある。しかるに,何の査読もないTwitterにおいては,論理の誤りがどれだけあっても,事実に基づかない言いっぱなしの妄言でも,恥さえ知らなければそれこそ何度でも何度でも何度でも同じ内容を発信することができる。Twitter歴のそれなりにある人なら,端から見たら「いやおまえもう斬られて死んでるやん」っていう人間でも(というかだからこそ)自信満々で同じ論理以前の屁理屈で同じ相手に突っかかって行っているのを何度も見たことがあるだろう。そしていい加減相手するの疲れて返信を止めたりブロックしたりすると「勝利宣言」が待っていたりする。チャンバラごっこでは斬られたら倒れるのがルールだが,そもそも「自分が斬られて死んでるのに気付かない」人間は無敵なのである。
 Twitterを指して「インテリのパチンコ」という言い回しがあり,なんというか言い得て妙だと思うのだが,以上述べてきたような理由から,「Twitterでの議論」はあたかも「換金できないパチンコ」くらいに,あるいは不快な後味だけが残るぶんそれ以上に無意味であると言わざるを得ない。つくづく「Twitterで議論」するようなことだけは止めておいたほうがよろしいし,「Twitterで議論をふっかけてくる」ような奴からは全力ダッシュで逃走することをお勧めする次第である。

 まあそれ言い出したらそもそもTwitterでなんか喋ること自体が無意味そのものだったりもするのだが。