巨人・坂本勇人内野手(21)が、21歳の誕生日を迎えた14日、WBC日本代表入りを誓った。次回WBCは4年後の2013年。その時まで成長し続けるつもりだ。

 豪州で迎える誕生日に、坂本は「新鮮です。来年はもっといい年にしなければと思います」と気持ちを新たにした。3年目の今季は主に1番打者として打率・306、18本塁打と大ブレークしたが「1年1年、前の年よりさらにいい成績を残したい」と言い切った。

 21歳を迎え、将来的な目標に掲げたのが、WBCの日本代表入りだ。「野球をやっている以上、トップクラス(の選手)になりたい。そこを目指して小さいころからやってきた」。今年3月のWBCでは西武・中島やソフトバンク・川崎が遊撃を守った。いずれも日本球界を代表する遊撃手。そのレベルに達したいという思いは強い。

 そのためには、巨人で結果を残すことが唯一の道でもある。「まずはチームのこと。(代表という)結果はついてくるものだと思っている」。1月はグアムで阿部とともに自主トレを行う予定。「まずはけがをしない体をつくりたい。1年間バテないようにしたい」。走り込みを増やし、フルシーズン戦うため、鍛え上げるつもりだ。

 原監督は「巨人を代表するプレーヤーになってきているから、次は日本を代表するプレーヤーになってもらいたい」と期待する。世界の舞台で戦うことを目標に、坂本は来季も成長の歩みを止めるつもりはない。



野球を世界中に普及させたい-。阪神・安藤優也投手(31)が13日、大分・別府市にある立命館アジア太平洋大学でプロ野球選手会イベント『ワールドキャッチボールクラシック』に参加した。留学生が多い同大学で、約5時間、3600人のファンと交流。まだ野球が根づかないスリランカ野球連盟のコーディネーターと出会い、さっそく来季1勝につき、硬式球1ダースをプレゼントするプランを決めた。



【写真で見る】福永騎手(左)とラジオで対談した安藤





 奇跡の出会いから広がっていく-。地元・大分で開かれた選手会イベント後。安藤が世界の野球人口の増加へ、ひと肌脱ぐ決意をみせた。



 「野球は五輪競技ではなくなったけど、もっと世界に普及すればいいと思う。そういう点で、留学生の多いAPU(立命館アジア太平洋大学)でやれた意味は大きい」



 2012年ロンドン五輪の正式種目から外れたのは『普及していない』ことも理由の一つ。自身は04年にアテネ五輪日本代表として晴れ舞台を経験しただけに、「復活してほしいね」と事態を重く受け止めている。



 そんな時、87カ国から留学生が集まる立命館アジア太平洋大学ならではの“サプライズ”が…。会場で4回生のスリランカ野球連盟・コーディネーターを務めるスジーワ・ウィジャヤナーヤカ氏(26)=代表投手=と出会った。



 同国の人気スポーツといえばクリケットで、野球人口は5000人程度。認知度も低く、道具メーカーもないという。現在は大分県の野球連盟とスジーワ氏が協力し、使い古したグラブやボールを母国に届けている。「見たことがない人が多い中で、どうやって増やしていくか」と同氏に対し、虎の右腕は「道具が足りていないんですか? ちょうどいい機会。来年、スリランカに送りましょう!!」と宣言。来季1勝につき、1ダースの硬式球や道具をプレゼントすることを決めた。さらに「安藤INスリランカ!! 訪問もしようかな」と仰天プランまで披露するほど乗り気だ。



 小さなことからコツコツと。それが波及し、五輪復活にも一役買えれば…。ビッグプロジェクトが始まった。



ジャンカルロ・フィジケラ(フェラーリ)に代わり、ジュール・ビアンキが2010年のフェラーリでリザーブドライバーになるとの憶測をビアンキ本人が否定した。



フェリペ・マッサ(フェラーリ)と同じく、ニコラ・トッドをマネジャーにするビアンキは、フェラーリと契約を結んでいるが、その役割は明らかになっていない。



フィジケラは自身がフェラーリのリザーブドライバーになると語っているが、ビアンキの加入により、フィジケラがリザーブではなくなる可能性も指摘されている。



また、ビアンキは2010年、トッドのチームARTからGP2に参戦する。



「今はGP2での1シーズン目に集中している。その後は、将来やF1について考えてみるよ」ビアンキはこのように『La Tribune(トリビューヌ)』紙へ語った。