「黄金時代」
自分の人生を振り返ったときにそう表現することができる時期を探すならば、きっとこの頃なのだろう。
キッチリ4年間で大学を卒業した僕だったが、その後の進路は未定だった。
就職活動を、一切しなかったのだ。
当時は「フリーター」って言葉がちらほら聞こえ始めた頃だったが、ようするにプーである。
親戚縁者の中では優秀な子として通していた僕にとって青天の霹靂というべき事態だったが、周囲のその評価を崩すことはなかった。
立派な大義名文を持っていたのだ。
「高校の先生になるため、塾講師を続けながら来年の採用試験をめざす」
この大義名文にはかなり説得力があったようで、プライドの高い両親が法事の席で半ば自慢げに話しているのを耳にしたことすらある。
実際、大学の4年間続けたバイト先の塾では教務、受験指導ともに使える人材となっていたので受験学年を中心に週5日のお仕事で初任給以上の手取りを稼いでいた。
週5日といっても、教務に専念できる講師の立場で4年の経験があれば事前に血眼になって予習する必要もなく、授業開始の1時間前、16時に出勤すれば良かったのでかなりの時間があった。
同棲していた彼女も同じく就職せずフリーターとなっていたが、その閉塞感からどちらからともなく別れてしまったので、有り余った時間……その大半をパチスロに費やしていた。
前述のとおり出勤時間が遅かったので、開店スグに入店し15時近くまで打つ。
仕事が早めに終わったときは閉店直前の店でリーチ目拾い。
休日も特に予定がなければ朝からパチ屋。
飲み会やデートなどの予定があってもその時間までパチ屋。
当時のメイン機種は…なんでも打ってたなぁ。
山佐系の大量リーチ目機からアルゼ系の技術介入機に主流がシフトしていった時代だった。
当初、クランキーコンドルは敷居が高そうで手を出せなかったけど、予告音とフラッシュが楽しそうだったのでサンダーVを打ちはじめ、パチスロ攻略ガイド片手にKKK打法とリプレイ外しを覚えていった。
この頃はスロットだけでコンスタントに月10万くらいは稼いでいたので、カネに困るようなことは無かった。
毎日飲んで騒いで、朝からはまた並んで開店から打つという、いま考えるとよく体力があったもんだ…な生活をしていたのだ。
いきつけの大手優良チェーン店で、アステカのイベントがあったときは、小雪ちらつく真冬の早朝6時から並び、どうにか確保した台にストレートで30K投入したときは心が折れかけた。
しかしそこから人が変わったかのように調子があがり、結果4000枚獲得し余裕のプラス収支!
またあるときは、新台入荷したもののまるで客がついていなかったアルゼのナインに業を煮やした店長が奇跡の店内放送を。
「本日、ナインは全台設定6を投入しております!!!」
その瞬間に、冗談でなく店内の全員がナインの島に疾走した。
…スロット歴は長いけど、あんなにアツい店内放送きいたのはこのとき以来ない。
(まぁ現在は規制もあるけどね)
また、フトコロに余裕があるからなのか、就職した友達が持ってくる合コンでも絶好調で、まさしくイレグイ状態。
人生最大のモテ期を謳歌していた気がする。
……あの台に出会うまでは。
自分の人生を振り返ったときにそう表現することができる時期を探すならば、きっとこの頃なのだろう。
キッチリ4年間で大学を卒業した僕だったが、その後の進路は未定だった。
就職活動を、一切しなかったのだ。
当時は「フリーター」って言葉がちらほら聞こえ始めた頃だったが、ようするにプーである。
親戚縁者の中では優秀な子として通していた僕にとって青天の霹靂というべき事態だったが、周囲のその評価を崩すことはなかった。
立派な大義名文を持っていたのだ。
「高校の先生になるため、塾講師を続けながら来年の採用試験をめざす」
この大義名文にはかなり説得力があったようで、プライドの高い両親が法事の席で半ば自慢げに話しているのを耳にしたことすらある。
実際、大学の4年間続けたバイト先の塾では教務、受験指導ともに使える人材となっていたので受験学年を中心に週5日のお仕事で初任給以上の手取りを稼いでいた。
週5日といっても、教務に専念できる講師の立場で4年の経験があれば事前に血眼になって予習する必要もなく、授業開始の1時間前、16時に出勤すれば良かったのでかなりの時間があった。
同棲していた彼女も同じく就職せずフリーターとなっていたが、その閉塞感からどちらからともなく別れてしまったので、有り余った時間……その大半をパチスロに費やしていた。
前述のとおり出勤時間が遅かったので、開店スグに入店し15時近くまで打つ。
仕事が早めに終わったときは閉店直前の店でリーチ目拾い。
休日も特に予定がなければ朝からパチ屋。
飲み会やデートなどの予定があってもその時間までパチ屋。
当時のメイン機種は…なんでも打ってたなぁ。
山佐系の大量リーチ目機からアルゼ系の技術介入機に主流がシフトしていった時代だった。
当初、クランキーコンドルは敷居が高そうで手を出せなかったけど、予告音とフラッシュが楽しそうだったのでサンダーVを打ちはじめ、パチスロ攻略ガイド片手にKKK打法とリプレイ外しを覚えていった。
この頃はスロットだけでコンスタントに月10万くらいは稼いでいたので、カネに困るようなことは無かった。
毎日飲んで騒いで、朝からはまた並んで開店から打つという、いま考えるとよく体力があったもんだ…な生活をしていたのだ。
いきつけの大手優良チェーン店で、アステカのイベントがあったときは、小雪ちらつく真冬の早朝6時から並び、どうにか確保した台にストレートで30K投入したときは心が折れかけた。
しかしそこから人が変わったかのように調子があがり、結果4000枚獲得し余裕のプラス収支!
またあるときは、新台入荷したもののまるで客がついていなかったアルゼのナインに業を煮やした店長が奇跡の店内放送を。
「本日、ナインは全台設定6を投入しております!!!」
その瞬間に、冗談でなく店内の全員がナインの島に疾走した。
…スロット歴は長いけど、あんなにアツい店内放送きいたのはこのとき以来ない。
(まぁ現在は規制もあるけどね)
また、フトコロに余裕があるからなのか、就職した友達が持ってくる合コンでも絶好調で、まさしくイレグイ状態。
人生最大のモテ期を謳歌していた気がする。
……あの台に出会うまでは。