佐久病院に、経営方針はほとんどありません。そのときの「農民のニーズに応じる」
というのがほぼ唯一で、それに付け加えるならば「弱い者を支える」といったことぐら
いです。

 ここでのポイントは、「ニーズ」という言葉です。言語化されておらず、それを自覚
しているのかどうかわからない状態の農民に対して、一緒に酒を飲んで話を聞き出すぐ
らいの取材をしてから、健康な体を維持できるよう促していく。

 お金にはならないし、短期的にすぐに成果が出ることもありませんでしたが、二〇年
、三〇年と経つと国際的にも認められはじめ、四〇年、五〇年経つと、みなさん(プレ
ジデント編集部)のように長寿の秘密を取材してみたいと思うようになるわけでしょう
(笑)。

 世界で一番の長寿となり、一人あたりの医療費が日本で一番安くなりましたが、若月
先生や佐久病院が、当初からそれを目標にしていたかというとまったく違うと思います
よ。病院もなく、お金もなく、健康状態も問題だらけだった農民たちに対して「東京ま
で行かずに済み、できるだけお金もかからない形で幸せな一生を送れるような地域を実
現したい。だからぜひ君たちには私たちを支えてほしい」と訴え続けてきた結果なのだと思います。