もう家には帰ることはないであろう最後の入院へ


東京から戻って約1週間でした


東京の病院から診療情報提供書はもらっていましたが、保険適応で使う抗がん剤以外のことは書かれていなかったようでした


どんな治療をしたのかと、主治医から聞かれましたが、ちょっとよくわかりませんと言って詳しい治療内容は言いませんでした


保険適用外の薬を使って延命していたことは違法なのかもしれないと薄々思っていました


でも東京の病院のおかげで半年以上の延命ができた


同じ病気の方たちと情報交換もできた


医師もこの病気を白血病とは言わず、ちゃんとこの根本的な病気だけの研究をされている素晴らしい先生だった


なのでこのブログではお母さんの根本的な病名と病院名を伏せています(地元の病院では白血病と診断された)


訴えられたりして無くなってほしくないから


私たちにとっては違法でもいいから、研究を続けてほしい
使われていない薬を使ってほしい


まだ入院されている方もいる


どうかこの病院がなくなりませんように…



地元の主治医も今では感謝しています



セカンドオピニオンをいいと思わない先生もいますが、東京へ行かせてくれて、戻ってもみてくれると約束してくれた主治医には感謝しています



最後の入院をしてから、地元の病院の治療は当初使っていた弱い方の抗がん剤と輸血を主にしてくれることになりました


なぜか地元の病院に戻ってからはずーっと続いていた微熱が出なくなりました


毎日平熱


最初からこの平熱なら、移植も考えたのに…


なんで今更…


主治医に私だけ呼ばれ


「肺炎がひどいです。真っ黒になってるところはカビだと思います。いつ急変してもおかしくありません。家族に伝えておいてください」


と。。。


お母さんはまだ春まで大丈夫かなーって思ってるみたいでしたが


でもその日がいつきてもいいように、葬式の準備をすると言い出しました


私に3ヶ所くらいの見積りをとってくるように言われ


一番リーズナブルなところで決めました


見積りはやった方がオススメです


値段が全然違いました


お母さんがどんどん決めていきました


頭がしっかりしてると、本当にまわりがきついです


元気なときは旅行のパンフレットをみて楽しく話しをしていたのに


今は葬式のパンフレットをみて、お母さんの葬儀の話。。。


きつ。。。


それでもやるしかありませんでした




※お母さんへ※


この年は私にとって目まぐるしい年だった


お母さんの入院に輪番制の自治会長、上の子の中学受験


自治会長もやったこともないのに


心身ともに本当に疲れた年


いつも助けてくれてたお母さんがいないから


死んだら楽だなって思うほど


辛かった


娘2人がいたから頑張れたけどね