さて、前回の続きです。
「決算書を作らない税理士」の奥には
いったいどんな意味が隠されているのでしょう?
この質問には
わたしの過去記事、
冨永英里が考える愛の定義
がポイントとなるといいました。
私が考える愛の定義は・・・
「相手を成長を促すこと」
です。
「決算書を作らない税理士」
「相手の成長を促すこと」
この2つから導きかれたわたしのイメージする
決算書を作らない税理士とは、
このようになります。
税理士が日々の指導の中で
社長さん自身に
決算書を作る知識と知恵を与える-、
そうすれば
社長さんは日々の営業活動を
「数字」という一つの言語を通して
翻訳ができるようになります。
そのうち、
社長さんは税理士が手取り足取り指導しなくても
自分の手で決算書を作ることができるようになる。
これがまさにわたしのいう
決算書を作らない税理士
の姿!
なんです。
税理士は、
オリンピック選手のトレーナー
とか、
受験生を指導する家庭教師
もっと大きく言えば、
子供を一人前に育てる
母の姿に似ています。
これらの場合、
トレーナーや指導者、お母さんが何でもやってあげていたら
本人は相手に依存してしまうことになり、成長できません。
ところで、
決算書を地力で作ることができるようになった社長さんに
もう税理士は必要ないのでしょうか?
「教えてくれてありがとう、もう君は要らない、さようなら~」
ってことになるのでしょうか?
いえいえ決してそんなことはありません。
いくら地力で決算書を作ることが
できるようになったといっても、
会社は常に進化していくものです。
その過程において
税理士は相談相手として必ず必要です。
さらには
決算書を作ることということと、
決算書を「読む」(分析)ということは
別のものです。
この意味においても税理士は必要です。
わたしの場合は、さらに
社長さんのメンタル面においても
サポートをしていきます。。。
今回は私が税理士であるという前提で考えてみましたが、
役割をいろいろと変えてみれば
納得がいくはずです。
社長の役が私、
税理士の役がダイエットの指導者とかお医者さん。
必要なのは彼らがいないときに
いかに日常生活での食事や運動がちゃんとできているかということ。
ご自分があまり経験や知識のない分野にあてはめてみると
どんな指導者がいたらいいのかがわかってくるのではないでしょうか?
長文になってしまってすいません。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。

冨永英里