医学部で受ける社会の授業は、医療などに絡めた授業が多いです。

1年では、医学の勉強はしないけれど、そういう医療倫理というか将来医師としての考え方の元になりそうな授業をするんですよ\(^^)/

私の受けているゼミでは、ハンセン病について考える授業がありました。

その課外授業としてハンセン病資料館に行ってきました!

場所は清瀬で、清瀬からバスに揺られること約10分。
(歩いても行けるそう!20分くらいの散歩👣)

(引用、春の資料館の写真)

ハンセン病についての動画を観たあと、館内、園内を散策しました。

いままで知っていたようで知らなかった話をたくさん聞き、驚きの連続でした。

・主に強制収容所ではなかったこと
患者さんたちは、周りの雰囲気に耐えきれず自ら療養所にむかったということ。それだけ、近所の雰囲気を変えてしまうほどの病気であったのだろうと想像します。

・療養所は、病院というより、一つのコミュニティが出来上がっている印象
そこに患者さんを住まわせていたわけですから、コミュニティが出来上がるのは当然かも知れません。でも、ここまでとは思わなかった、園内には通りが沢山あり、通り一つ一つに名前がついていました。(ツツジ通りとかね)

あと運動場もあれば、学校もあった。園内散策の際には、歩行者用のガードレールやミラーもあり、なんだか街中を歩いているように錯覚してしまいました…

また、昔は定期的に催事が行われていたようです。患者さんはそれぞれのイベントにかなり意気込んで、参加していたようです。

館長さんにお話を伺いながら見た写真が印象的だったのですが、仮装行列の写真。仮想をする様子をとったその写真は、もはや、仮装の域をはるかに超えた仮装でした。それくらい意気込んで、イベントに力を注いでいたのだと感じました。
しかし、同時に、管理者からみれば、その催事で、患者さんの日々の鬱憤をはらし、療養所から逃げないようにする目的。
なんだか楽しそうに見えるイベント一つ一つが窮屈なものに見えました。

現在はほとんどこの病気はないようですが、授業じゃないとここまで知ろうとは思いませんでしたし、結構私なりにかなり考えた授業でした。


小笠原登という医師の存在。ハンセン病は体質によるもの、不治の病ではないという、今なら当たり前のことも時代の流れにより、無視されてしまったということも知りました。

寺の子供にうまれた小笠原医師の、目の前の患者をしっかり見つめて治そうとする話に自分も学ぶところがありました。


こんな記事を書いてまとめてみようと思ったけれど、こんなんじゃまとまりません。自分の中で考えたことも沢山ありますが書ききれないです。
もし関心がある方がいたら、実際に資料館に行ってみると良いと思います。事前にハンセン病について学んでいっても知らなかったことがありました。