(美術雑誌「OPUS vol.1」より再掲)

音楽はCMに何をしたか



音楽はスポンサーに何をしたか。

 もう数年前のことになりますが、ある信販カード会社に新しいTVCFのプレゼンテーションに赴いたことがあるんです。私のチームは「ミスターカード氏」という案をオススメとして持っていきました。カード会社の各種サービスを擬人化し「いつもあなたの近くにいるチャーミングな執事」として描く、というアイデアでした。執事のデザインも、けっこう気にいってもらえて、プレゼンテーションの手応えもよく、いい雰囲気で質疑応答まで進みました。先方の責任者から出た質問は、「このCFの音楽については、どのようにお考えですか?」
 質問の意図を図りかねた私は、あたりさわりがないように「映像に合った音楽を作るつもりです」と答えました。結論から申し上げると、この答えではあたりさわりがあったのです。質問の意図と違う答えをしてしまった、というわけです。
 そのカード会社は、CF制作において音楽をとても大切にしていました。音楽(あるいは、音)をとても大切にしていて、もっと正確に言うと「耳に訴えること」がCFの重要な使命だと規定していたのです。
 そういう会社の、そういうつもりの質問に、まあ乱暴に言えば「音は、まあ、あとから適当に作ります」という答えをしてしまったわけで、そこから会議の雰囲気が悪くなっていったのは仕方の無い成り行きだったと言えるでしょう。
 そのまますごすごと帰るわけにもいかないので、彼らがなぜそんな考えに至ったか、つっこんで聞いてみました。そもそも当時電通に在籍していた佐藤雅彦さん(注3)が「CFは、音が大切です」というプレゼンテーションをしたのだそうです。その論に従ってCFを作ったところ成功を納めることができた、と。それが発端だったそうです。
 ここに、その佐藤雅彦さんの作品やコラムをまとめた「佐藤雅彦全仕事」(1996マドラ出版)という本があります。そこから、今の話に関係のある部分を少し抜き出してみましょう。「音が大事」と題されたコラムからの抜粋です。
 「お茶の間はみんなが大人しくTVを見ている場所ではありません。(中略)その人たちを振り返らせるために、僕は、音という武器を使いました。しかも音さえよければ、15秒間、その人たちをTVに釘付けにできるのです。(中略)僕の企画は、まず、この「きている音」を探すことから具体的に始まります。僕が見つけた「きている音」の一例を示すと、連呼(韻もの)、CMソング、SE(効果音)、サウンドロゴ、濁音などがあります。」
お茶の間の注意を喚起し、持続させるために、いかに音に気を配ったか今のコラムからも、また佐藤雅彦さんの作品、たとえば「バザールでゴザール」や「スパシオ」「コイケヤのスコーン」等からも良くわかります。
でも、今のコラムには、大切な視点がひとつ抜けていると思うのですね。音や音楽がCFに貢献できる働きは、注意の喚起、持続だけではない、むしろ大切なのは「記憶」への貢献だと思うのです。
ソナタ形式や循環主題、ジャズのインプロヴィゼーション等様々な音楽の形式は音楽の持つ「記憶への貢献」という要素に大きく依存しているはずです。
「記憶への貢献」は音や音楽が持つ最も本質的な機能であり、すべてがそこから出発していると言っても言い過ぎではないはずです。
   「記憶」されることを使命として宿命的に背負うTVCF(注4)が音楽作品もしく         
  は音響作品として、まず存在するのは、この意味で当然とも言えるのです。そのこと
  に気づいたスポンサーは音楽(または音)に対して厳しい耳を持つようになる。当然
  のことだと思います。
  音楽はスポンサーに新しい認識を与えた、と言えます。この拙文の中で、その認識「C
  Mでは音楽が大切。音楽の方法論を使ってCMは新しい地平に到達できるかもしれな
  い」を共有し、観測し、できればその地平の先を予見したいと思います。

「形式」はCMに何をしたか。
山内健司「アップル マッキントッシュ」とロジェ・バディム「輪舞」。または、幻惑

 山内健司さん、という本当に素晴らしい監督がいます。「NOVAの鈴木さん」と言えばピンと来る方も多いことでしょう。僕は「ツムラのアヒルちゃん」というCMでご一緒したことがあるのですが、商品登場のシーンで監督自らオモチャの小型キーボードでファンファーレを弾いたのです。その効果的かつ素敵だったこと、音楽は(そしてCMは)技術よりセンスだなあ、とつくづく思いました。さて、その山内さんがある日、「いいものができた」と言って新作を見せてくれたのです。それが本章で観測していく予定の「アップル マッキントッシュ」のCMです。特番用なので、その番組の中でまるで連続ドラマのように、あるいは短編集のようにオン・エアされる構造になっています。「ロンド形式でつくったCMなんです」と山内さんは眼鏡の奥の目をキラリとさせました。ロンド形式というのは、クラシック音楽の形式のひとつでABACABAのような、やや大型の3部形式を言います。この場合ロンド形式から構成のヒントとタイトルを拝借したロジェ・バディムの名作映画「輪舞」の形式を使ったと言う意味だったのです。
 CMの舞台はとあるホテル。ロビーの片隅で筒井康隆さん演じる作家がアップル マッキントッシュへの偏愛を編集者に語っています。このへんは深い人間考察に基づいた、山内さんならではの台詞まわしと構成でついつい聞いてしまうところです。けれど、しかけはそれだけではありません。シーンの遠景にいるホテルマンが作家の前を横切るように前景に登場し、気になる台詞の断片を残していくのです。確か「どんどんゴミ箱に捨てていくんです」というようなものだったと記憶しているのですが…。ここでCM第一話は、いったん終わります。第二話では主人公が作家からホテルマンに変わり、先ほどの「どんどんゴミ箱に捨てていくんです」という台詞から展開していくのです。ロジェ・バディムの「輪舞」も実はまったく同じ手法を使っていて舞台とテーマは共通していながら、視点と主人公がくるくると交替しながら一周して最後には、また最初の夫人公に戻るという構成。あれよあれよと言いながら楽しい幻想に惑わされ、また大切な台詞は必ず2回聞くことになるのでCMとしても効果的です。音楽の形式論は映画とCMに楽しく重要な示唆を与えてくれた、と言えます。

「旋律」はCMに何をしたか
多田琢「サントリーDAKARA」とアフリカ音楽のコール&レスポンス。または記憶

 多田琢さんとは一度だけすれちがったことがあります。某製菓会社でカルトでチャーミングなCMをバンバン作っていた多田さんの、ちょっとしたファンだった僕は、ちょうど某製菓会社のCMの仕事があったので多田さんの姿を近くで見てやろうと偶然のふりをしてすれちがってみました。我ながらミーハーですね。今やスマップのプロモビデオなどCM以外でも活躍している多田さんの作品の中から、ここでとりあげたいのが「サントリーのDAKARA」。小便小僧達が何とも言えぬクセのある会話を交わしているアレです。その中でポイントは「可及的すみやかにね」という台詞。というより「カキューテキすみやかにね」とカタカナ表記した方が雰囲気が出そうな言い方。キューが高い音程で長く伸ばされている様はまさに音楽。しかもコール&レスポンスというアフリカ音楽の手法が楽しく引用されています。主役?の小便小僧の台詞に続いて、その他の小便小僧達が声を合わせて「カキューテキすみやかにね」と復唱する様は、まさにゴスペル。これは覚えてしまいます。そもそも「カキュー的すみやかにね」などという台詞自体、良い意味での違和感があって印象的なのに、さらにここまでするとは。
 そもそもCMの中で旋律を活用する理由の大切なひとつに記憶のエイドがある、と僕は考えています。オペラでも主人公の性格や心理に特定のメロディーを与えて、そのメロディーが出てきたら「ああ、そういうことね」と観客が納得するライト・モティーフという手法があるのですが、これなど旋律が記憶に貢献するという特性を活かした芸術形式の傑作だと思います。旋律はCMに記憶という武器を与えたのです。