エリスのブログ

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​皆さんの周りに、いつも
「自分は被害者だ」と訴えながら、
実は周囲を一番振り回している人はいませんか?
ネットで話題?の
「愚かな言い訳のパターン」という画像。
これを見ると、某日常アニメの
「暴走女子高生」や
「わがままな先生」が
頭をよぎる方も多いはず。

​今回は、この「自称・可哀想なヒロイン」の
心理と、私たちが消耗しないための生き方について考えます。

​1. 呼吸するように
「その場しのぎのウソ」をつく

「私は何も悪いこと、
間違ったことなんてやっていない」

そう断言する彼女たちの前では、
事実は二の次です。
その場を切り抜けるためなら、
平気で設定を書き換えます。
​どこかの先生のように、
自分の遅刻や失態を
「道路が」「世の中が」と、
もっともらしい(?)言い訳で
塗り固める姿は、側で見ていると
本当に疲れてしまいますよね。

​2. 数学すらねじ曲げる?

「絶対に非を認めない」
​「1+1=3」というシュールな図。
「私の言うことが間違っているはずがない」
と信じ込んでいる人にとって、
客観的な正論は攻撃でしかありません。
​『あずまんが大王』の智(とも)のように、
どれだけ自分が原因で騒ぎが起きても
「わはは!」と笑って流すパワー。
あの鋼のメンタルは、時に清々しさすら感じますが、現実に身近にいると、こちらのエネルギーをゴリゴリと削っていきます。

​3. 最強の免罪符「私は被害者」という叫び

​「私は可哀想。だから何をしても許される」
このロジックは非常に強力です。
過去の苦労や現在の不遇を武器にして、
他人をコントロールしようとします。
​ゆかり先生がにゃも(黒沢先生)に対して見せる
「あんたは恵まれているからズルい!」
という八つ当たり。
これはまさに、自分を被害者のポジションに置くことで、加害を正当化する典型的なパターンと言えるでしょう。

​4. 責任の全投げ「他人になすりつける」
​「私が不幸なのはお前らのせいだ」

最後に行き着くのはここです。
自分の人生がうまくいかない原因を、
すべて友人、同僚、環境のせいにします。
​責任を自分で取らなくていいのは楽な生き方かもしれませんが、そのシワ寄せが来る周囲はたまったものではありません。

​疲れないための「あずまんが式」生存戦略

​こうした「自称ヒロイン」たちと真面目に向き合いすぎると、ストレスで**「疲れすぎて夜も眠れない」**なんてことになりかねません。
​彼女たちから身を守り、**「苦手なことをやらなくてもいい生き方」**を実現するためのポイントは3つです。
​議論を諦める: 1+1=3だと信じている人に、算数を教える必要はありません。「へー、そうなんだね」と聞き流す勇気を持ちましょう。
​「にゃも」の距離感を保つ: 振り回されつつも、最後は「はいはい」と適当にあしらう。深入りせず、自分の生活のペースを崩さないことが大切です。
​自分の不機嫌を相手に預けない: 相手が勝手に怒ったり泣いたりしていても、それは相手の問題。あなたが責任を感じる必要は1ミリもありません。
​終わりに
​世の中には、どうしても話が通じないタイプが存在します。
そんな人たちの「悲劇」に付き合って、あなたの貴重な夜の睡眠時間を削るのはもったいないこと。
​「そういうキャラなんだな」と割り切って、あなたはあなた自身の、穏やかで楽しい日常を優先していきましょう!


 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 





​1. 「10人の未来」と「1人の命」、天秤にかけることの冒涜
​SNSやニュースで時折目にする、「加害者にも未来がある」「更生の機会を与えるべきだ」という言葉。特に未成年が凶悪犯罪を犯した際、決まって持ち出されるのがこの論理です。
​しかし、問い直さなければなりません。10人の加害者の未来を守るために、たった1人の被害者の、奪われたかけがえのない人生を切り捨てていいはずがありません。命や尊厳を「数」や「効率」で天秤にかけること自体、あってはならない冒涜ではないでしょうか。
​2. 「未成年」という免罪符が守るもの
​殺人、あるいは執拗な暴行や嫌がらせによって、相手に致命的な後遺症を負わせる。それは「若さ」や「未熟さ」という言葉で片付けられるものではありません。
​国際的なルールでは18歳未満への死刑は禁じられていますが、被害者が背負わされた絶望に年齢制限はありません。悪魔のような凶悪な罪を犯した者が、「未成年だから」という理由だけで社会に守られ、数年後には「更生した」と顔を上げて歩き出す。この圧倒的な不均衡を、私たちはいつまで「正義」と呼び続けなければならないのでしょうか。
​3. 「ジャイアンが称賛され、のび太が晒される」世の中への絶望
​現代社会の歪みは、単に加害者を守るだけでなく、被害者をさらに追い詰めることさえあります。過去に暴力を振るった者が「昔はヤンチャだった」と笑って称賛される一方で、傷つき動けなくなった被害者が「自己責任」と叩かれる。
​弱者が切り捨てられ、強者の理屈が通る。こうした「強者の論理」がまかり通る世の中では、正義はもはや死語に近いのかもしれません。
​4. 求められるのは「更生」ではなく「真の報い」
​更生を否定するわけではありません。しかし、他人の人生を永遠に壊した者に、自分の人生をやり直す権利がどこまであるというのでしょうか。
​あからさまな大罪、特に命を奪った場合や、取り返しのつかない傷を与えた場合においては、年齢を問わず「問答無用の報い」があるべきです。それがなければ、被害者やその家族の尊厳は一生、踏みにじられたままになってしまいます。
​おわりに:この不条理を「当たり前」にしてはいけない
​「世の中はそういうものだ」と諦めるのは簡単です。しかし、納得のいかない不条理に対して「おかしい」と声を上げ続けることは、被害者の側の真実に寄り添う、唯一の道かもしれません。
​加害者の未来を語る前に、まずは奪われた側の絶望に、社会全体がもっと真摯に向き合うべきではないでしょうか。


 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 






​日本中に愛された伝説のスター、石原裕次郎さん。
彼がこの世を去ってから長い年月が経ちますが、今なお「裕ちゃん」の名は衰えることなく、多くの人の心に刻まれています。
​なぜ私たちは、これほどまでに彼に惹かれ続けているのでしょうか。
今回は、昭和という時代を象徴する彼の歩みと、現代にも通じるその魅力について紐解いていきます。




​1. 日本映画を変えた「新しい風」

​1956年、映画『太陽の季節』での衝撃的なデビュー。それまでの日本映画にはなかった、自由で、少し危うくて、どこまでも真っ直ぐな若者像は、当時の若者たちに熱狂的に受け入れられました。
​「タフガイ」と呼ばれたそのスタイルは、ただ強いだけでなく、どこか優しさと孤独を漂わせるものでした。
彼が画面に現れるだけで、空気の色が変わる。そんな圧倒的なカリスマ性が、日活黄金時代を築き上げました。

​2. 歌声に込められた「大人の哀愁」

​俳優としての活躍と並び、私たちが忘れてはならないのが「歌手・石原裕次郎」の姿です。
​『銀座の恋の物語』や『夜霧よ今夜も有難う』など、低音で語りかけるような甘い歌声は、聴く人の心に寄り添う魔法のようでした。
彼の歌には、人生の喜びだけでなく、ままならない悲しみや切なさが滲んでいます。
だからこそ、時代を超えて多くの人の琴線に触れ続けているのでしょう。

​3. 「石原軍団」が証明した、男の情熱と絆

​石原裕次郎さんの魅力は、その作品群だけではありません。
自ら「石原プロモーション」を設立し、
『太陽にほえろ!』や『西部警察』
といった伝説的ドラマを生み出したプロデューサーとしての手腕も超一流でした。
​彼を慕って集まった「石原軍団」の面々。
彼らが震災などの際に見せた炊き出しの姿は、
裕次郎さんが大切にしていた
「困っている人がいたら助ける」
「仲間を大切にする」という精神そのものでした。リーダーとしての度量の大きさが、今の時代でも語り草となっています。

​結びに:太陽のような輝きに触れて

​石原裕次郎さんは、まさに昭和という激動の時代を全力で駆け抜けた「太陽」でした。
​彼の生き様は、私たちに「情熱を持って生きること」の素晴らしさを教えてくれます。
一方で、彼のようなパワフルな生き方に憧れつつも、現代を生きる私たちは、自分自身の心と体の声に耳を傾けることも忘れてはいけません。
​一生懸命に駆け抜けたあとは、お気に入りの裕次郎ソングを聴きながら、ゆっくりと休む。
そんな風に、偉大なスターのエネルギーを少しだけ分けてもらいながら、自分らしいペースで明日へ進んでいけたら素敵ですね。