エリスのブログ

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​1. 「10人の未来」と「1人の命」、天秤にかけることの冒涜
​SNSやニュースで時折目にする、「加害者にも未来がある」「更生の機会を与えるべきだ」という言葉。特に未成年が凶悪犯罪を犯した際、決まって持ち出されるのがこの論理です。
​しかし、問い直さなければなりません。10人の加害者の未来を守るために、たった1人の被害者の、奪われたかけがえのない人生を切り捨てていいはずがありません。命や尊厳を「数」や「効率」で天秤にかけること自体、あってはならない冒涜ではないでしょうか。
​2. 「未成年」という免罪符が守るもの
​殺人、あるいは執拗な暴行や嫌がらせによって、相手に致命的な後遺症を負わせる。それは「若さ」や「未熟さ」という言葉で片付けられるものではありません。
​国際的なルールでは18歳未満への死刑は禁じられていますが、被害者が背負わされた絶望に年齢制限はありません。悪魔のような凶悪な罪を犯した者が、「未成年だから」という理由だけで社会に守られ、数年後には「更生した」と顔を上げて歩き出す。この圧倒的な不均衡を、私たちはいつまで「正義」と呼び続けなければならないのでしょうか。
​3. 「ジャイアンが称賛され、のび太が晒される」世の中への絶望
​現代社会の歪みは、単に加害者を守るだけでなく、被害者をさらに追い詰めることさえあります。過去に暴力を振るった者が「昔はヤンチャだった」と笑って称賛される一方で、傷つき動けなくなった被害者が「自己責任」と叩かれる。
​弱者が切り捨てられ、強者の理屈が通る。こうした「強者の論理」がまかり通る世の中では、正義はもはや死語に近いのかもしれません。
​4. 求められるのは「更生」ではなく「真の報い」
​更生を否定するわけではありません。しかし、他人の人生を永遠に壊した者に、自分の人生をやり直す権利がどこまであるというのでしょうか。
​あからさまな大罪、特に命を奪った場合や、取り返しのつかない傷を与えた場合においては、年齢を問わず「問答無用の報い」があるべきです。それがなければ、被害者やその家族の尊厳は一生、踏みにじられたままになってしまいます。
​おわりに:この不条理を「当たり前」にしてはいけない
​「世の中はそういうものだ」と諦めるのは簡単です。しかし、納得のいかない不条理に対して「おかしい」と声を上げ続けることは、被害者の側の真実に寄り添う、唯一の道かもしれません。
​加害者の未来を語る前に、まずは奪われた側の絶望に、社会全体がもっと真摯に向き合うべきではないでしょうか。


 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 






​日本中に愛された伝説のスター、石原裕次郎さん。
彼がこの世を去ってから長い年月が経ちますが、今なお「裕ちゃん」の名は衰えることなく、多くの人の心に刻まれています。
​なぜ私たちは、これほどまでに彼に惹かれ続けているのでしょうか。
今回は、昭和という時代を象徴する彼の歩みと、現代にも通じるその魅力について紐解いていきます。




​1. 日本映画を変えた「新しい風」

​1956年、映画『太陽の季節』での衝撃的なデビュー。それまでの日本映画にはなかった、自由で、少し危うくて、どこまでも真っ直ぐな若者像は、当時の若者たちに熱狂的に受け入れられました。
​「タフガイ」と呼ばれたそのスタイルは、ただ強いだけでなく、どこか優しさと孤独を漂わせるものでした。
彼が画面に現れるだけで、空気の色が変わる。そんな圧倒的なカリスマ性が、日活黄金時代を築き上げました。

​2. 歌声に込められた「大人の哀愁」

​俳優としての活躍と並び、私たちが忘れてはならないのが「歌手・石原裕次郎」の姿です。
​『銀座の恋の物語』や『夜霧よ今夜も有難う』など、低音で語りかけるような甘い歌声は、聴く人の心に寄り添う魔法のようでした。
彼の歌には、人生の喜びだけでなく、ままならない悲しみや切なさが滲んでいます。
だからこそ、時代を超えて多くの人の琴線に触れ続けているのでしょう。

​3. 「石原軍団」が証明した、男の情熱と絆

​石原裕次郎さんの魅力は、その作品群だけではありません。
自ら「石原プロモーション」を設立し、
『太陽にほえろ!』や『西部警察』
といった伝説的ドラマを生み出したプロデューサーとしての手腕も超一流でした。
​彼を慕って集まった「石原軍団」の面々。
彼らが震災などの際に見せた炊き出しの姿は、
裕次郎さんが大切にしていた
「困っている人がいたら助ける」
「仲間を大切にする」という精神そのものでした。リーダーとしての度量の大きさが、今の時代でも語り草となっています。

​結びに:太陽のような輝きに触れて

​石原裕次郎さんは、まさに昭和という激動の時代を全力で駆け抜けた「太陽」でした。
​彼の生き様は、私たちに「情熱を持って生きること」の素晴らしさを教えてくれます。
一方で、彼のようなパワフルな生き方に憧れつつも、現代を生きる私たちは、自分自身の心と体の声に耳を傾けることも忘れてはいけません。
​一生懸命に駆け抜けたあとは、お気に入りの裕次郎ソングを聴きながら、ゆっくりと休む。
そんな風に、偉大なスターのエネルギーを少しだけ分けてもらいながら、自分らしいペースで明日へ進んでいけたら素敵ですね。


​「働けない」
「社会に馴染めない」

そんな状況に陥ったとき、
ふと頭をよぎるのが
「自分には価値がないのではないか」
「このまま消えてしまうしかないのではないか」
という暗い問いです。
​特に今の日本社会には、
「働いて稼ぐこと(生産性)」
だけが人間の価値を決めるような、
冷酷な空気が漂っています。
しかし、断言します。
あなたが今の社会の物差しに
合わないからといって、
あなたの命を投げ出す必要なんて、
どこにもありません。

​1. 「生産性」は、単なる一つのローカルルールに過ぎない

​今の社会が「生産性」に固執しているのは事実です。
しかし、それは長い人類の歴史や広い世界の中で見れば、ごく一部の、偏った価値観に過ぎません。

​社会の側が「不全」を起こしている: 
現代社会のスピードは速すぎます。
繊細な感覚を持っていたり、疲れやすかったりする人が「馴染めない」と感じるのは、その人の欠陥ではなく、社会というシステムの側が多様な人間を受け入れる余裕を失っているからです。

​機械ではない「人間」としての存在:
 私たちは、利益を生むための部品ではありません。ただそこに存在し、息をし、その日の空の色を感じる。それだけで、生命としての役割は十分に果たされています。

​2. 生活保護を罵る「世間の声」の正体

​働けない状況になり、
生活保護などの支援を検討すると、
決まって聞こえてくるのが
「穀潰し」「甘え」
といったネットや世間の一部からの罵声です。
​しかし、冷静に考えてみてください。
そうやって誰かを叩く人々は、
実は**「自分もいつ脱落するか分からない」
という恐怖**に怯えている人たちです。
自分たちが必死に耐えているからこそ、そこから降りた人が許せない。
それは正義ではなく、単なる「八つ当たり」です。
​生活保護は、あなたが人間としての尊厳を守るための「正当な権利」です。
誰に何を言われようと、国が認めた生存の仕組みを使うことに、一点の恥じる理由もありません。

​3. 「苦手なことをやらない」という勇気ある選択

​もしあなたが
「頑張りすぎて、疲れすぎて眠れない」
という状態にあるのなら、
それは心が
「もうこれ以上、このゲームには参加できない」と叫んでいるサインです。
​あなたが目指すべきは、社会に無理に適応することではありません。
「苦手なことをやらなくてもいい生き方」を、
戦略的に選んでいくことです。
​世間の物差しを捨てる。
​自分を攻撃する情報(SNSやニュース)を遮断する。
​「最低限、これだけあれば生きていける」
という自分の安心ラインを見つける。
​社会から見れば
「脱落」に見えるかもしれませんが、
それは自分を救い出すための
「賢明な撤退」です。

​4. 今日を生き延びること、それが最大の「抵抗」

​「死ぬしかない」という言葉が浮かぶのは、
あなたがそれだけ一生懸命に
「まともになろう」と戦ってきた証拠です。
もう、その戦いはやめてもいいのです。
​社会が「生産性がない人間は不要だ」
と突きつけてくるのなら、
それに対する最大の抵抗は、
**「生産性がなくても、
平気な顔をして生き延びてやること」**です。
​完璧に馴染もうとしなくていい。
立派に働かなくていい。
ただ、好きな音楽を聴き、
お風呂に入り、今日をやり過ごす。
その一歩一歩が、歪んだ価値観に対するあなたの勝利です。
​おわりに
​あなたは、社会の犠牲になるために生まれてきたのではありません。
「社会」という狭い檻の中から
一歩外へ出れば、そこにはもっと静かで、
あなたの歩幅を許容してくれる場所が必ずあります。
​まずは、疲れ果てた自分を責めるのをやめて、
温かい飲み物でも飲んで、
ゆっくり休んでください。