いろいろありますわネ。 -2ページ目

いろいろありますわネ。

あれからもう少しで10年と思っていたら、肺に遠隔転移で乳がんステージ4になってしまった。
だけど、不幸なわけではない。だって幸せも感じているもん。
何もないより、いろいろある人生の方が面白いと思うのだ。
そういう私の「がん」の記録であ~る。

はじめまして、リエの姉です

リエが、体力が落ち、集中力が続かないということで

姉の私が今後のブログを書いていくことになりました

 

一人暮らしに限界を感じ、

ひと月前に住民票を私の住む街に移しました

一つ屋根の下、私と私の夫と三人で暮らすことになりました

それとエアデールテリアの2頭も一緒です

 

この歳になって、おじさん、おばさんで暮らすのも楽しいもの、

男も女もなく、出物腫れ物所嫌わず、

 

人生の酸いも甘いも噛み分けてきた歳の男女

どんな話をしても、「わかる〜わかる〜」と納得することばかり

 

変わり映えのしない会話しかなかった初老の夫婦には、

妹との同居はとても刺激的で、3倍くらい会話が増えました

 

病院も紹介状を書いてもらって、引き続きこちらの病院で治療を続けることにしました

 

ホルモン剤を始めてから、2週間を過ぎた頃から、難聴になり始めました

薬の副作用かな?

集音器を購入してみましたが、うまくコミュニケーションが取れず

あんなに笑ってばかりいたのに、妹から笑顔が消えてしまいました

耳が聞こえないというのは、奈落の底に突き落とされたような不安を感じると表現していました

 

脳転移だったら?どうしよう

やっぱり副作用?

悩んでいても始まらない

思い切って耳鼻科を受診しました

 

結果

滲出性中耳炎というので鼓膜の奥の中耳に水が溜まった状態になっているということでした

脳転移でもなく、ホルモン剤の副作用でもありませんでした

 

その場で、切開して水を抜いたらよく聞こえるようになりました

こんなことなら、悩まないでもっと早く耳鼻科を受診すれば良かったです

 

やっと、いつも笑顔が戻り、会話を楽しめるようになりました

 

今日のところは、このぐらいで......

また療養生活を報告させていただきます

 

 

 

体調の悪化は突然やってくるもので、いったい自分がどうしちゃったのか?

一人暮らしだからどうすりゃいいのか?

結構大変でした。

でも、決断も早くできたような気もしますが…。

 

3月に入って、痛み止めにトラマール(飲み薬)を使い始めて、多少は良かったのですけど、突然痛みが酷くなって起きれないし体をどの向きに置いてもどうにもならなくなって主治医に電話をしたのです。

その時はトラマール1錠を服用していたので、2錠にするよう電話で指示されました。

痛みはかなり良くなって動けるようにはなったけど、今度はひどい吐き気に襲われる。と、言っても吐いてしまえばスッキリするので動こうと思えば動けるので、そのうち薬に慣れるだろうと思ったのが大間違いでしたよ。

 

吐き気はどんどん酷くなって、食べ物も受けつけなくなって衰弱して、一人で病院に行くことも生活をすることも急に難しくなってしまった。

その時、家族と話し合って、姉にお世話になることにしたのです。

ありがたい、そしてホッとする生活になった。

 

もう、主治医の病院へは体調的に通いきれないし、痛みのコントロールを考えても病院を家の近くの病院(姉が連れて行ってくれるし)へ移る事にしました。

 

今、前向きな治療と緩和を同時に行なっていますのね。

痛みは麻薬の貼り薬、痛み止めも貼り薬に変えて、レスキューでオキノームを飲むようにしたところ、少し動けるようになってきたのです。

距離を歩くというのは難しいけど、少しずつ歩けるようになればいい、そんな気楽な感じで昨日より今日、今日より明日が元気になれればそれでいい。

 

痛みのコントロールだけで、こんなに気分よく過ごせるなんて驚きですわ。

それでも衰弱して寝たきり状態が続いていたので、全く体力がなしでしてね。

 

次の抗がん剤までには体力をつけることがイチバン大事!ということで、エンシュアは1日1本、そして少しずつでいいから食事の量を増やして行くこと。

これが今の私の治療でございます。

4月末くらいから抗がん剤が再開できれば良いと思っておりますの。

 

薬に関して、今続けているのはホルモン剤とゾメタ、私の場合は消化器系のがんは小さくなってきているけど骨がひどくなっている、ということはトリネガだったところがホルモン依存に変化してきているかも…ということでホルモン治療を再開したところ、なんとなく効いているような気がしてるのですわ。効いていると思うだけで薬は効くんじゃなかろうか。

 

楽しい方、明るい方、良い方を信じましょ。ネ。

 

 

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突然の体調悪化は、もう一人暮らしは無理な状態でして

家族にお世話になることになりました。

ありがたいなぁ。

 

そして、車椅子がやって来たのですよ。

 

ん?どうしたの?

 

姉が「車椅子きたから桜を見に行こう」って

何やら計画してくれていたのです。

 

桜はもう満開!

キレイだったな~。

いい空気がカラダ中を流れるようだ。

 

いろんなことが変わってく。

でも、病気になって気づいた家族の絆が胸いっぱいに幸せな気分にしてくれる。

もう少し動けるようになったら、買い物に行ったり、海を見に行ったりできるかな。

 

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そう思ってしまえば気が楽だ。

 

できないことだらけでシュンとするより

ちょこっとでも出来たことを褒めちゃった方が

よっぽど早く元気になれそうな気がする。

 

ぜ~んぜんせっかちではないと思っていたけど

再発してからと言うもの、かなり焦っていたんだなと思い知らされる。

 

体調も、やりたいことも、あれもこれも・・・

思うようにはいかないのが当たり前じゃ。

 

大中小の手作りカゴを買ってみたのだ。

手作りだから、ちょこっといびつなカタチをしている。

でも、触っていると何だか心地良い。

 

マトリヨシカみたいにカゴinカゴ

そのまんまトランクに入れて次はここに大切なものを詰めて持って来ようと思う。

 

毎朝、カゴを撫で撫でスリスリしてニンマリ。

 

カゴを触って想像するだけで幸せだなんて、私ったら単純でお安い女でございますわね。

でも、この幸せな気持ちはお金じゃないですからね。

うふふのふ~♡

 

 

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↑体調が少し良かったから、姉とビスコッティを作ってみたのだ。ビスコッティって簡単にできちゃうの、ハマりそうだわ。

 

体調は良い時もあれば、そうでない時もある。

性格的な気分だって良い時もあれば、そうでない時もある。

ぬはははは~(不敵な笑みを浮かべておるのだ)

 

まぁ、それでもできれば不快にはなりたくないので

ブラックの対象は家族であると明かしておこう(だははは)

 

前置きとして

乳がんが再発してからというもの

家族関係に大きな変化があった。

 

私にとっての姉は、子どものころはず~っと仲良くて、いつでも姉の後ろを追いかけていた。

学生時代もいっぱい喋って遊んだ。

いつから?そうね、姉は結婚が早く子どもも早くに生まれて子育て、そして仕事、私は独身で都内一人暮らしが長く自由気まま、その後結婚し離婚するけどいつの間にか疎遠になっていった。

 

でも、血の繋がった姉妹って不思議なもので、私の乳がん再発で最初は会話が噛み合わなかったけどよ~く話し始めたらもう何だったのよ~

「お姉ちゃん、辛い」

「妹よ、お姉ちゃんに任せときなさい」

「お姉ちゃん、辛いよ~」

「妹よ、お姉ちゃんは心配なんだよ、もう私のそばにいらっしゃい。ああ妹よ…」

なんて小芝居しちゃったけど、もう本当にこんな感じであっという間に時が戻って、姉妹の絆って半端ないって気づきましたのね。

 

小さな幸せは、いつでもここにい~っぱいあってひょいと掴めちゃうの。

姉妹で思い出作りたくて遊びの計画立てて、あと10年でいい一緒に遊びたい。

 

この姉が両親を最後までみると言ってくれた。

そりゃ~そりゃ~大変なことだと思うの。

おまけに私もお姉ちゃんを頼っちゃってるし、そしたらね「癖のあるあの親を見るのは大変だけど、親だから最後まで見たい。何もかもを一人でというのは自信ないけど、あなたに愚痴を聞いてもらえたらそれだけで頑張れる」と、姉が言った。

 

もうこの身体じゃ、手伝いは当てにならない。姉の労いだけなら何とかできるかも知れないなぁ。「ただし、親より先に逝くのは許さないから」この言葉を言われて『ごもっともでございます』だから、治療頑張るよ。

私は姉とのこの約束を守りたいと思っておるのです。

 

さてさてさて~

ここからブラックな私が出現!

両親のことを考えると、姉がここまで親を大切にしてくれるんだから幸せだよと思う。

不動産の事務仕事でもいろんな家庭を見たし、親を見て大変な思いをしていた友人もいる。そういういろいろの中でも、うちの両親は幸せすぎるほど幸せだと思うのだよ。

 

でも、こんなことを言いやがる!(出た出た、ブラックな私が)

「子が親を見るのは当たり前だろ!」と吐き捨てた父親(怒)

それでも父親かよ、だってそもそも父も母も自分の親は見ずに兄弟に押し付けてたのよ。

どの口が言うんじゃい。

可愛くないぞ~

 

そう、こう言う時の言葉があるじゃない

『老いては子に・・・』この後なんて言うんだっけ?

もうこの父親にはどれだけみんな泣かされてきたことか。

 

そうは言うものの、私はあまりこの父親と関わることなく生きてきたもんで、オレ様なところを知ってはいたけど見て見ぬふり、できれば良いところだけ関われていればいいかと思ってた。

だから、ぐぐぐ~っと関わることになったこの1年で親の見たくないところをいっぱい見ることになってガッカリですわよ。

姉からは時々聞かされていたけど、まさかこんな酷いヤツだとは思わなんだ(泣)

 

まぁね、人の悪いところを探し始めたらキリがないし悪口言ってる私自身が自己嫌悪となってしまうので、私が再発してからの父の言葉だけをネタにあげてみることにしますわ。

 

昨日のブログでもブラックな私がチラリと・・・

まぁ、人の命をどう思っておるんかいってことなんだけどね。

例えば、娘が乳がんの再発でステージ4になったら、親はどんな気持ちになるんだろう?

なるべく、親が心配せぬよう気配りをしてきたつもりなんやけど、父の口からは恐ろしい言葉がチョイチョイ出てくるんですわよ。

 

つい先日も・・・

父「お前はお父さんよりも先に死ぬと思うけど、顔見せに来い」ですと・・・

私「お父さん、人の命をそんな風に言うもんじゃないでしょ。まだ余命告知を受けてもいないのに」

父「お母さんからもそう言われたけど、どうせお前が先に死ぬんだろ」

 

もう、死ぬ死ぬって言葉にして言うのやめて欲しいよ。

そうやって私のこと言ってる人の方が先に死んじゃうかもしれないじゃん(ブラックですまぬ)。

 

もうね、再発がわかった時から

「どうせもうすぐ死ぬんだから実家に帰って来い」

「すぐ死ぬんだから、何もすることないじゃないか」

「死ぬんだから、親に顔を見せるべきだ」

「どうせすぐ死ぬんだろ、電話くらいよこせ」

 

世間の親はこうなのかい?

心配しているって本人は言うけど純粋に言葉を受け取ったら「早く死んでほしい」ってことになるんやないかいな。

いつでも親を立てて、親孝行できてるか、どうすれば親孝行できるかな~んて考えてきたけど、私の命は私のだ、勝手に自分の娘の命を決めるな~(怒)

このクソオヤジ!!!

 

ああ、スッキリ!

たまにゃ、ブラックなとこを出したってよかろうもん。

父親であることには変わりないし、腹は立つけど父親が死んだらきっとあたしゃ号泣するだろうしね。

こうやって悪口言った私も何ですが「死ぬ」って軽々しく使ってはいけません。

 

まだまだ治療があるみたいだし、無理でなければ治療してちゃんと生きるのだ。

ちゃんちゃん!

 

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