シーチキン。
親戚のおじさんがシーチキンが食べられないと言っていた。数年前に体を壊して油物を控えているらしい
その話のなかでささみは食べてもいいそうなのだがシーチキンはダメだと。
シーチキンとささみとなんの関係があるのかと考えていたら
彼はシーチキンをチキンだと思っていたらしい。驚いた。そんな間違いにも驚いたがなによりその発想に
驚かされた。よく考えてみたらそっちの方が普通な気がしてきた。
昔から知り合いの年配の方も幼い頃コンニャクを象の肉だと親に教えられ沢山食べていたと言っていた
きっと私も知らなきゃ信じるなあ。そこはかとなく似ている。
トラウマ。
今日は母親と昔話をした。 まだ幼稚園に行っていた頃、帰りは幼稚園バスで所定の場所まで帰っていた。
幼稚園の庭の桜の木に毎年必ずアメリカシロシトリが大発生していた。業者が殺虫剤を撒いては駆除していた。
なので私は業者が来る前に収集しなきゃいけなかった。ある日バスの時間が来るまで急いで収集し
袋にいっぱいのアメリカシロシトリを捕りそれを見せたら母親がどんなに喜ぶかどんなに褒めてくれるのかと
期待しながらバスに乗りバス停を降り母親に差し出した。母親はとたんに驚き怒り流れてた川にいとも簡単に
そのプレゼントを捨て去った。子供の考える事とはいとも恐ろしいものです。
そんな昔話をしつつ実家の裏に居るアリジゴクを収集した。今日は最高記録8匹の収集に成功。
もおアリが居ないから困っているんだろうな
三つ子の魂百までもとはよく言ったものです。大人になっても好みは早々変わらないんだなあと気づきました
子供の記憶。
今日も実家に来た。6匹居るネコのうちの1匹とは昔からの他人以上の仲なのですが
今日も私の部屋へ来て甘えてきた。布団の上やフカフカの絨毯の上で喉を鳴らして喜びを表現する。
そのうちにほとんどのネコがそうするように前足を(前手かな?)その場で動かし布団や絨毯を揉み始めるのが日課になっている。そのように揉み始める時はスペシャルに喜ばしい時で見ているだけで癒される
それはなんだろうかと考えた時に思い出した。小猫が産まれて母ネコの母乳を吸う時に小猫が母ネコの乳房を
しきりに揉んでいるのを思い出した。
揉んで母乳の出を促しているのか理由は分からないけどそれとまったく同じ行為だった。
母乳を飲む→嬉しいって事で大人になって理由が変わってもその時の記憶がプログラムされ
知らず知らずに揉んでしまうのかしらと思う今日この頃。人間はどうなんでしょうか
寂しくなったり不安になると無意識に指を吸ったり爪を噛んだりする人やイライラして癇癪を起こすと
大人なのについ地団駄を踏んでしまう私はそれと似てるのかなあ。