沖縄の風土をみると、アミニズム傾向が強い。
今は昔だが、御嶽信仰が色国残る。
古来からある御嶽と
いつの間にか作られた綺麗で人を祀っているような御嶽と多種多様である。
興味本位で御嶽巡りはしない方が良いし。
呼ばれているからと、むやみに行くのも違う。
少し前.去年辺りから御嶽も変わりました。
これ以上は、私が書くべきでもなければ語る程私自信わかっているわけじゃないからいえません。
ただ、私自信
神は、偶像化された物も立派ではあるけども、やはり自然の中にあると思います。
人間も、昔は自然だった。
だが、人間も昔は神秘であったが今はどうだろうか?
今の人間は、自然か?
豊穣を産み出す海や土
太陽に月
水や火や風
何一つかけても成り立たないからこそ、ここに神性を見出し自然信仰が生まれた。
沖縄は、四季折々に豊穣祈願して感謝してます。
これからも、なくならないでもらいたい。
何も御嶽で願わなくても、普段私達は、各々祈り感謝出来る。
そろそろ、個人よる神性を見出し
一人でも、一つでも
心一つで祈れば良い。
沖縄では、重箱にたくさんのウチガビ(あの世の金)人型の紙や線香。
物に乗せ祈るが…。
物がなきゃ聞き入れてもらえないとなると
それすら、用意出来ない貧乏人は、祈る事すら出来ないのか?
結局富裕な人の祈りしか出来ないとかちょっと違くない?と思うし、物を要求されたら、チョっと考えてもらいたい。
自然は、全てを受け入れます。
それが豊穣になってる。
これだけあげるから、これだけ頂戴。ってのがない。
森は、鳥や虫、なんでもいいけど動物に、住まわせてあげるよ、
ご飯あるけど、代わりに何か頂戴よ。と要求しない。
全てを受け入れる。
それを壊すのは人間なだけ。
全てお金や自分の富にしたがる。
もう一度、アミニズムや自然信仰を見直したい。
気持ち一つで、行動が変わる。
それが何よりの、信仰じゃないかと思う。
結局、見られるのは、そうゆう所。
wiki
世界中で普遍的な「始まりのとしての原始宗教であるアニミズム」とその蔑視
霊的存在が肉体や物体を支配するという精神観、霊魂観(日本で言えば「依り代」に近い観念)は、世界的に広く宗教、習俗の中で一般に存在している。キリスト教が先進のものというヨーロッパの視点から、アニミズムはかつて原始的な未開社会のものであると考えられた。レヴィ=ブリュールの『未開社会の思惟』など、民族学や文化人類学の南太平洋(トロブリアンド諸島)やアマゾンの先住民のその根本的な考察観にうかがい知ることができる。
自然信仰
自然崇拝(しぜんすうはい)とは、自然物・自然現象を対象とする崇拝、もしくはそれらを神格化する信仰の総称。
「自然への崇拝」ではなく、「自然」という概念ができる以前の崇拝形態である。自然崇拝は世界各地に見られ、また各地の神話にも自然物・現象を神格化した神が登場することから、古くは普遍的であったと思われる。万物に宿る精霊を崇拝対象とするアニミズムとも関係が深く、その原初的な形とも捉えられる。しかし自然崇拝では精霊でなく自然物・現象そのものを崇拝対象とする(自然と超自然的存在を区別しない)場合も多く、またしばしば特定の自然物・現象だけを尊重する点で区別される。
「ペイガニズム」も参照
対象
対象としては、
天空
大地、山、海
太陽、月、星(星辰崇拝)
雷、雨、風などの気象
樹木、森林
動物(特に熊、狼などの猛獣)
水、火、岩石
などが代表的。これらのうち共通の属性を持つ複数のものを一体として神格化する崇拝(例えば天空と雷など)もある。神道では、巨木、巨石(磐座)、山などを御神体とする神社も多く、これらへの自然崇拝を色濃く残している。ユーラシアの多くの牧畜民族では天空(テングリ)崇拝が重視され、シャーマニズムとも結び付いており、また中国の「天」観念との関係も指摘される。太陽崇拝が多くの民族で重視される一方で、月崇拝を重視する民族もある。火は人工物としての側面も強く、いろいろな宗教の儀式に取り入れられている。巨石崇拝も人工物(巨石記念物)への崇拝に転化しうる。
心理学と神道論は、切り離せない。