前回書いてから、ふと違和感が襲ってきた。

 娘は冷静で、聡明と書いたが、娘を思い出せば出すほど、この表現ではなかった、、、と思う。

 

 改めて考えなおして、

娘にぴったりなのは、「落ち着いていて、穏やか。自分発信の言葉は少ないが、考えや意見はしっかり持っている。理解力抜群。優しく、丁寧。ユニークなセンス。面白い発想。几帳面。感受性豊かで、鋭い視点を持っていた」

 そんな所だろうか。

 

 ちょっと親ばかは入っているかもしれないが、娘は派手さはないか、光るものがあった。誰もが無視できない存在感を放っていた、、

 

 中学校では絵を描いて入選したり(まずモデルの馬を探すのに、馬主さんとの伝手を探す、そこから写真を100枚近く撮らせてもらって、そこから絵の先生と写真を選びに選び抜いて(絵の先生も片道2時間位の地域にいます)、構図を考えて色を重ねていくという長いプロセスを得て、入賞!そして授賞式出席など)ピアノで学校行事の伴奏したり、生徒会の役員をさせてもらえて貴重な経験だった。

 

 娘の事を思うときに思い出すことは、

 

小学校の時に、軽い気持ちで「将来何になりたいか?」という話をしたときに、「お母さんと同じ仕事したい」と言ってくれた。

 私は介護職についている。この仕事は感謝されたり、社会の役に立っていると思うが、給料が少ない業界だ。シングルマザーになり、養育費をもらっていない自分は、娘の言葉は思いがけず大変嬉しかったが娘には違う職種についてもらいたいと思った。「すごく嬉しいけれど、介護はけっこう大変だから、看護婦さんとかどうかな?資格としてもいいよ」と伝えると、娘はしばらく考えてから「それならお医者さんになりたい」と言った。

 これは小学4年生の冬の会話だ。

 

 娘の真剣な想いを聞いて、それなら田舎にいても医大受験に備えようと公文で三教科習うようになった。そして地元のトップ進学校の理数科に入り、北大か札幌医大を目指そうと二人三脚で進んでいた、そんな矢先。

 娘は突然進路を変えた。医大志望のままで、そこへ行くまでの過程を札幌の進学校に入りたいと言ってきた。仲良くなったお友達の札幌北高校を目指す話を聞いているうちに、自分も札幌に行きたいと。友達と同じ高校は目指せない、ライバルになってしまうから。だから自分は札幌南に行きたいとはっきりした意見だった。中三の夏休み明けだった。

 

 田舎の中学校で学年成績トップクラスでも、札幌南高校は厳しい。地方5%枠での勝負だ。ここの高校に受かるには、市町村レベルでのトップクラスの逸材だ。娘は地頭は良いタイプだが、準備するのが遅かったと思う。模試では散々な結果だった。でも本人はどうしても受けたいという希望があり、受験した。

 イノシシ年生まれの猪突猛進を初めて見た。本気で挑戦している。もう誰にも止められなかった。

 娘は習い事が多くて家事などしたことがなかったので、もし札幌南に受かったらもちろん嬉しい、けれど生活面や経済的に成り立つのか、、もし受かったら私も弟も生活拠点を札幌に移そうか、、いろいろ考えてみたりした。

 

 一緒に札幌に行って、高校の下見をしてホテルに三泊。手持ちの時間はすべて勉強に費やし、当日は地下鉄の駅まで送り、挑んだ受験。

 自己採点して理科以外は90点以上だけど、理科は56点だったそうな。それでも娘は「ワンチャンあるかも」と焦りのような、祈るような期待をしていた。

 

 合格発表の日に、娘の精神が崩れた。

 「不合格」

 

 楽しかった、充実した中学校生活が終わり、挫折を味わった日だった。

 

 思えば、このことが一連の流れの根底にあったのかもしれない。