「残念だなー」

前職を辞める前に私に向かってそう言った人がいた。

「WEBやってる人はPC操作早いと思ってたわー」

一緒に画面を見ながら打ち合わせをしていた人が呆れた口調でため息をついた。

「どこに行っても窓際にいる人はいる。これからそうならないよう頑張ってくださいね」

退職をした日に激励とは到底思えない言葉を笑顔で見送られた。

私という人間がそう見られていることが改めて心に重くのしかかった言葉だった。

残念だ、と言った人は、見た目とは裏腹に、という気持ちが多分に含まれていた言葉だった。


そんな数々の悪意ある言葉を、ひたすらに笑って受け流していた。そんな時は、決まって自分に言われている事が他人に言っているような錯覚に陥った。またその時はもう一生会わない人達だからと思って割り切って聞いていた。その時の私は環境や人のせいばかりにして、思考が自分を守ることばかりに執着していた。

あれから6年。自分と向き合う作業を始めていた中で、自分がADHDではないか、人格障害ではないか、ということが、人と交わるほどに思い悩み、それがとうとう現実味を帯びてきて、心の中で一本の線として繋がった時があった。

要領が悪く口下手で自己主張が薄い、頓珍漢な事を言う空気が読めないできぞこないな私。

複雑に絡んだ糸を解けないまま、どんどん心の闇に飲まれていった。

私はADHDであり人格障害だ。
その掛け合わせやパターンは人それぞれであるが、少なくとも私はその両方が複雑に絡み合っている。

その答えが出るまで、また認識するまでに長い歳月がかかっていた。気づけば40代。早く気づきたかったし、気づかないほうが幸せだったのかな。