東京でネパール出発前に知人から紹介してもらったネパール人のライ・シャラッドくん。彼は日本の大手企業に勤めながら立派に働いているだけでなく、母国のネパールに恩返しをするため、数年前に自分の村に学校を建てた。その名もY
ou Me Nepal。彼が命をかけて取り組むこのプロジェクトに興味を持ち、彼の故郷を訪れてみようと思ったのが今回の訪問のきっかけ。

 
   奥に見えるくねくねした道路は日本が作ったもの

シャラッドくんの村は、サガマルタ県にあるコタン村という場所で、エベレスト街道の玄関口であるルクラからも近い。朝10時、エアコンも効かないジープに本や学校へ寄付する荷物を詰め込んで、カトマンズを出発した。助手席に座っている私は、熱風と砂埃を浴びながら、この国の交通ルールのなさと運転スキルに改めてハラハラと感心しながら移ろいゆく景観に視線を委ねる。

途中、ガンジス河上流ドゥドゥコシ川で沐浴ならぬ、川風呂を満喫し、10時間後、コタン村のシャラッドくんの実家に到着した。


            ガンジス河上流で沐浴

 

標高500mにあるシャラッドくんの家は、ずっと寒い場所にいた私の身体には随分堪える。標高の低さと暑さというのは何をしても回避できない。この土地の赤土とバナナやマンゴーなどのトロピカルな風景が余計に暑さを感じさせる。

 
左からシャラッドくん、お母さんのアーシャさん、長女のサーテ

家にはシャラッドくんのお母さんのアーシャさん、近所の子供のタナカくん、次女のシャジェナちゃんが住んでいる。その他、犬が3匹と豚や山羊などの家畜がたくさん。この家畜たちも、度々訪れるベンガルドラの襲撃にやられているという。




家は2階建てで、トイレは少し離れた場所に立派なぼっとん便所がある。この辺りは川から遠く、水を持って来るのも一仕事。しばらくシャワーはお預けになりそう。

今回は私以外に、シャラッドくんの妹のサーテさんや他にもお客さんが来ているので、家のベッドが足りず、男性陣は外にゴザを引いてワイルドに就寝。

夕食は贅沢な鶏肉のダルバッド。この辺りの地域は鶏が放し飼いで育てているので、卵や鶏肉がとっても美味しい。

 

ネパールでは、相手を呼ぶとき名前で呼ぶと失礼にあたるので、年上の男の人には、「ダイ」年下には「バイ」、年上の女性には「ディディ」年下には「バイニー」と呼ぶ。
お母さんのアーシャさんを“ディディ”と呼ぶと、「ホイナ、ディディ、マーマニー」(ディディじゃなくて、ママと呼んで)と言ってくれた。いきなり家族の中に入れたようで思わず笑みがこぼれた。

ERIKO