島の家族 勝代さんの家。(島は苗字で呼び合う習慣がないので、下の名前しか分からない)


東京から名古屋へ、名古屋から近鉄線で鳥羽まで、鳥羽からフェリーで答志島に着いた。地図で見ると東京から近いようだが空を飛ばないせいか、なかなか距離を感じる移動だった。

鳥羽で旅館の女将をしている江崎貴久さんと合流。いつ会っても美人でどこか自由な雰囲気の彼女は、地元だけでなく国内中をエコツーリズムや観光の講師として飛び回っている忙しい女性。そんな彼女が私の答志島の滞在の準備をほとんどすべてしてくれたのだ。

「これに必要なものは全部詰めたから。もう引っ越しみたいやけど」

車のトランクには大きな段ボールとスーパーのカゴに入った日用品がどっさり詰まっている。

日用品が運ばれる理由は、この度島で受け入れてくれる家が決まらず、漁業組合のかずゆきさんという方が、私のために借家を手配して下さったのだ。だがその空き家には生活用品が何もないということで、布団から何から最低限必要なものを貴久さんが揃えて下さったのだ。

 

かずゆきさんは私たちをフェリー乗り場まで迎えに来てくれるはずだった。しかしその約束をすっかり忘れて漁師さんたちとすでに一杯やっているようだった。代わりに、かなさんという方が軽トラで荷物を運んでくれた。

 

島の路地は両手を伸ばせば壁に手が届いてしまいそうなほど、家々が密集している。かずゆきさんが借りてくれたのは、その中の立派な一軒家だった。

「俺は昔ここに寝屋子で住んでたんだ」

ある程度荷物を整理したところで、近所への挨拶周りが始まる。

「この子ワカメ手伝いたいっていう変わった子だから、なんかあったらよろしくね」と一軒一軒かなさんと貴久さんが言って回る。

「風呂は毎日ここで入ればいいから」と立派な寿々波旅館さんを紹介してくれた。回っているうちに、「一人じゃ可愛そうだからうちに泊まりに来たらええやん?」と言ってくれる人もいる。この島に社交辞令はない。

結局、一軒目に訪ねた大春さんという寿司屋を営む勝代さんのお宅で初日は泊まらせてくれることになった。

私が来るまでにも貴久さんが一生懸命、私の滞在先を探してくれていたのだが、やはり日本人というのは、本人を見てみないとわからないというのがあるのだろう。私の念願の定住旅行がやっと始まった。

ERIKO