サルタ県で2箇所目の滞在先に移動する。San Antonio de los cobresという名のその場所は、標高3,774mに位置する小さな村で、ほとんど富士山と同じ高さに位置している。
以前、チリのアタカマ地域を旅したことがあるが、すぐにその場所を思い出したくらい似たような雰囲気で、乾いた白い大地に砂埃が狂ったように舞い、土でできた家と遠くに緑の山々が見える。
ここに着くまでは、世界一高い標高を走る電車“Tren a las nubes”(雲の電車)に乗ってきた。朝7時にサルタ市を出発し、時速17kmでゆっくりと約210kmの道のりを進む。標高が高くなっていくにつれ、植生と景色がみるみる変わり、ガイドさんの休みない説明もあり、あっという間の9時間だった。
終点のViaducto La polvorillaは標高4,220m。この辺りから頭痛が始まった。高山病にかかるかどうかは、本当にその日の体調による。あえて昼ごはんは食べずにいたが、どうしようもない。
San Antonio de los cobres村の人口は約5,000人。アイマラ族もしくはケチュア族と思われる末裔たちが暮らしているが、彼らも自分のルーツに関しては詳しく知らない。
エレーナ・サラプーラさん。私と同い歳の彼女が滞在を受け入れてくれた。彼女はマーケットで観光客用の民芸品を作って売っている。3人の女の子のお母さんでもある。同じ年といえど、彼女の方が数段大人に見える。
「ここで言われる女性のミッションは子供を持つことなの。だからそれを目標にして人生を送っている女性も多いのよ。私は15才で娘を産んだの」
旦那さんは、鉱山で働いており、12日間連勤して、10日間休みというサイクルなのだそうだ。
「旦那がいれば運転して色んな場所へ連れていってあげるのだけど、今は山へ入っているの」
数ヶ月前、鉱山で作業していた旦那さんに岩が落下し、重症を負って、その保険でかなりのお金が入ってきたのだという。エレーナさんは政府から送られてきた金額が記載された資料を私に見せる。
「このお金で車を買ったのよ」
彼女は自分の人生について、何も包み隠すことなく話す。それが、私の心をすぐに開かせてくれた。
夜になると頭痛はひどくなり、手や足が少ししびれ始める。こうなるともう何もしたくない。高山病に効くというププーサと呼ばれる薬草茶を飲んで、就寝。
ERIKO