ピエルパヤルビ

6/7

 

 仕掛けの網をそのまま残して、3日間の漁から戻り、昨日はゆっくり体を休めた。村の船着場から出ている船が今日から出航するというので、村へ出た。サーミの神様が祀られているウコンキビという島へ行くためだ。あいにくヨウニさんもマリアンネさんも仕事でいないので、村まで自転車で出かけた。向かい風が強く冷たい上に砂利道でアップダウンも激しい。30分はこいだだろう。足をもつれさせながらSIIDA博物館の案内所まで辿り着く。

「今日は残念ながら風が強くて運休となりました。明日には出るかもしれませんが、それも明日になってみないとわかりません」

 どうして先に電話しなかったんだろうと思った。しばらく案内所の椅子に座ってぼーっとして、また家まで戻った。明日はロヴァニエミへ移動する予定なので、残念ながらウコンキビへは行けない。この間漁へ出かけた時、ヨウニさんの船から見えたのがせめてもの慰めだ。

 夕方、仕事から戻ってきたマリアンネさんに勧められてpielpajarviピエルパヤルビを訪ねることにした。「もう夜7時だよ」と言ったものの、日暮れを知らないこの時期は、時間というものが何かをしない言い訳にならない。

 歩き出してすぐ、マリアンネさんの喉がぜいぜい音を立て始めた。彼女は数年前に喉の手術をし、それから運動をすると呼吸が苦しくなってしまう。「一人で歩くから大丈夫」と言って、私は前へ進んだ。足元は木の根が張り巡らされていて、時々躓きそうになる。歩けど歩けど標識さえでてこない。

 奥にある教会までは、約
7kmと聞いていたけど・・・途中、老夫婦に暖を取らないかと誘われたが、時間も気になったので、お礼を言ってそのまま進んだ。大きな湖が見えてくる。これがピエルパ湖だ。湖に雨粒の波紋が広がっている。今度は雨か・・・引き返そうとも思ったが、これ以上雨足が強くならないことを願って先を急いだ。

 小さな小屋が現れるたびに、ようやく教会に着いたかと気分が高揚しては、ただの小屋だと気付くと再び気を取り直して歩いた。看板も出てないし、道があっているのかも分からない。道のない場所を歩いていくことはどんな場合においてもものひどく勇気のいることだと、思い知らされた。沼に足を取られるたび、雲がどんよりするたび、何度も引き返そうと思った。





 湖のほとりを歩いていると、前方から
2人の女性トレッカーにすれ違う。「教会までもう少しよ」
 私の後ろ向きだった心はようやく前だけを向き出した。白樺が群生している先に建物が見えた。

 あれだ!そう思った瞬間、雲の切れ間から光が差した。濡れた緑の芝や木々、湖がなんと美しいだろう。天国という場所があるなら、それはここのようなところではないかと思うほどだ。

 1500
年代に初めてイナリにキリスト教がやってきた。それまではアメニズム信仰をしてきたサーミの人々。ここはもともと、春から秋にかけて遊牧しながら狩猟や漁を行っていたサーミの人々が、冬を越す場所として集団生活していた場所である。実は後で知ったのだが、この森一帯は昔のサーミの人々の遺体が埋められている。家族のヨウニさんの親戚の遺体もここで見つかったのだとか。しかしこのことは、案内にもガイドブックにも載っていない。


                イナリ最古の教会


 1647
年にできたこの教会には、夏に週2回、冬に週1回、牧師が送られていた。外に立てかけてある写真には、多くのサーミ人が教会に詰め掛けている様子が写っている。彼らはどんな思いを持ってここへ来ていたのだろうか。

 私がこの教会へ来たかったのは一つの理由があった。それは当時
16歳からここでガイドとして働いていたマリアンネさんが、ヨウニさんにプロポーズをされた、アイキオ家にとって大切な場所であったからだ。

 雨が降っていたその日、マリアンネさんを探しに来たヨウニさん。のちに嵐となり駆け込んだのがこの教会だった。誰もいない教会は石で扉が抑えてある。中に入ると薄暗く、妙に寒かった。場所というのは不思議なもので、その土地土地で違った雰囲気を持つ。人々は風のように過ぎ去っていくのに、場所にはそこであった出来事や人の思いが染み込んでいく。この場所を知った今、迎えに来てくれたマリアンネさんがいつもと違って見えた。




⭐︎今日のご飯⭐︎



トナカイの煮込み 強い肉の匂いがするが、マイルドでやみつきになる


ERIKO