慌ただしい東京での日々を残して、私は今フィンランド行きの飛行機の中にいる。「暮らす旅びと」の書籍が発売になったことで、ここ1ヶ月はプロモーションや毎日のように初めましての人に会い、目の廻るような毎日だった。

そんな日々の中で、先月末に植村公子さんと出会った。彼女は、説明するまでもない大冒険家、植村直巳さんの奥様だ。彼女のことは、植村さんと同期で親友だった、知人の廣江研さんの著書でも読んでいたので、以前から公子さんに会ったこともないのに、彼女のことを知ったような気になっていた。

 まだ少し風が冷たく感じる春の日、公子さんの家の近くで、廣江さんや、当時の山岳部の仲間たちと食事をした。彼らが少年のようにふざけてじゃれ合う姿を見ながら、植村さんがそれを見ているのをみんなが感じているような、不思議な時間だった。

「本をありがとう。もう3回も読み返しちゃったわ」出会った数日後、丁寧にも私に電話をくれた公子さん。「気をつけていってらっしゃい」の声に、私はいつかの植村さんを重ね合わせた。彼はどんな気持ちで、何度この言葉を聞いたのだろうか。

 前回のブログでも書いたが、この間「縄文号とパクール号の航海」を観た。探検家の関野吉晴さんらが、昔の日本人が辿ったルーツを航海する旅。その旅は船を作るための道具作りからスタートする。砂鉄を集め、鉄を作り、木を切る斧を作る。途方もない作業、何度も中断される4,700キロの航海、大切な仲間を失いながら、3年という長い時間をかけて石垣島までたどり着いている。

 この映画を観た後から、私は移動について深く考えるようになった。目的地へたどり着くまでの時間、私は土地から離れ、移動時間を最大に短縮させる飛行機に乗って、そこへ向かっている。しかし、そこへ着くまでのプロセスの豊かさを、置き去りにしているような気がしてならないのだ。

 時間の短縮、効率化、すぐに結果を求めてしまう社会。関野さんの映画を観て、改めて時間をかけることの意味や、非効率の中に潜む豊かさや感動を感じられる人間でいたいと強く思った。そんなことを思いながら、全ての土地の時間を飛び越えて、私は今時を移動している。

ERIKO