左:ダンテ 真中:石川さん 左:私


 六本木のIMAギャラリーギャラリーで開催されている、石川直樹さんの写真展『MAKALU』を友人のダンテと一緒に見てきた。私がネパールへ行っている同じ時期に石川さんもヒマラヤにいたのだが、タイミングが合わず、とうとう現地では会うことができなかった。会うことはできなかったものの、クムジュン村でホームステイしていたシェルパの家のキッチンには、石川さんの撮った民族衣装に身を包んだ村の人達の写真が飾ってあり、彼の辿った足跡を感じたのだった。

 何年が振りに会った石川さんは、全身の筋肉が凝縮されて、さらに細くなった印象を受けた。ひっきりなしに訪れる人々の対応にいささか疲れを通り越してしまったような表情を浮かべていたのが石川さんらしかった。

 無機質で迫力のある氷河、いつからそこにあったのかと思う大きな岩、荷物を下ろしてタバコをふかすシェルパ。
 石川さんの写真は、写真を撮るという行為自身が目的でなく、撮らなければならない理由がそこにあるような気がする。見る者は、その理由を探すかのように、写真の中に引き込まれ、向き合う。そして実態の分からない大切なものを感じるのだ。今回も素晴らしい写真を見せてもらった。
 ダンテもヒマラヤの山を登った経験があり、それを思い出しながら、私に独自の解説つきで色々と説明してくれた。

 もうすぐ9月になる。私は9月に新しいことを始めるのが好きだ。大好きな冬に向かっていく感じと、なんとなくやる気が出てくる月。
今年は次の定住旅行へ向けて、ペルシア語を習おうと思っている。習える場所を探すのに時間がかかったが、やっと教室を見つけ出すことができた。一生継続する言語のラインナップになるかは分からないが、最低限の読み書きと日常会話は習得したい。

 言語が好きな人が、色んな言語をあれもこれもとつまみ食いをしてしまうというのはよく聞くけど、一度しっかり勉強した言語の管理をどうやってしているのだろう・・・
 私の中では言語はペットみたいなもので、一度飼ってしまうと、ずっと面倒見なければならない。しかも自分が死ぬまで・・・もっと飼いたい気持ちもあるが、世話ができる自信もない。いい方法を知っている人がいたら教えて下さい。(マニアックな話しですみません)

ERIKO