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 ネパールに到着した時、橋本コーポレーションの橋本マダムから連絡があった。
「今ちょうどネパールにいます。明美さんという方に貴女の話しをしたので連絡して下さい。電話番号です。
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 橋本マダムとは、中南米の旅の前に出会った。カリブ周辺国についての協力願いの電話を初めてかけた時、
1時間位話し込んだのを覚えている。マダムがTVのコーディネートの仕事をしているのは知っているが、普段は世界のどこにいるか分からず、最後に東京の喫茶店でお会いしたときは、「中東で刑務所に入れられて参った」とか、信じられないことを平然と口にする竹を割ったような性格の女性だった。そんな彼女だから、同じ女性としてどこかで私のことに共感を強く抱いてくれ、帰国してからもしょっちゅう気にかけてくれていたのかもしれない。
 マダムとは結局すれ違いでネパールでは会えなかったが、紹介してくれた明美さんと会うことになった。人生とは、見えない電波のように縁や思いが無数の数飛び交っている中を泳いでいるようなものだ。どこでぶつかり合うか分からない。

 本田明美さんは、もうネパールに10年以上住んでいる。彼女が醸し出す柔和な雰囲気は、ネパールで手にいれたものだろうか。
 彼女は毎週月曜に放送される「
NIPPON CHAUTARI」というラジオ番組のパーソナリティーを務めていて、今回私をゲストとして招いて下さった。流暢なネパール語でレコーディングスタッフを話す姿は、本当はネパール人なのでは?と疑ってしまうほどだ。



                 おしん言語学院にて

 こじんまりとしたスタジオで、収録は無事に終わった。彼女はラジオのパーソナリティー以外に、日本語学校の校長先生という顔も持っている。

 カリマティ地区にある“おしん言語学院”の名付け親は、数年前に交通事故で亡くなられた旦那さんが付けたもの。明美さんは、旦那さんの意志を継いでこの学校を運営し、今年で
10年目を迎える。100名近い生徒さんが、日本へ行くことを夢見て日々勉強に励んでいる。あいにく今日は学校が休みの日だったので、授業をみることは出来なかったが、スタッフの方々の流暢な日本語にとても驚いた。

 昼食の時間をとっくに過ぎていたので、明美さんは“
KAZE DARBAR HOTEL”という日本食レストランへ連れて行ってくれた。昔宮殿だった場所をリモデルした建物は、車のクラクションも街の喧騒も聞こえない、全く静かな場所だった。太陽の日差しと、白壁に映える花のコントラストが、私をグアテマラにいるような錯覚に陥らせる。このパティオの向こうに、いくつもの山が見えそうな雰囲気。



                  HOTEL KAZE DARBAR

「たまにここに一人で来るんです。静かで、ほっとするんですよ」

 私は豆腐ハンバーグを、明美さんはゴーヤ定食を注文した。私たちは、残った時間の期限を知るように、これまでお互いの人生で体験してきた大切なことを、引き出しから一つ一つ取り出すようにして話し合った。

 明美さんは徳之島の出身。
「ネパールに来た時、自分の故郷かと思ったんです。ここは島にとてもよく似ているんです」

 明美さんは、ネパール人を徳之島に招いて、島の人達との交流や小学生達にネパールのことを伝える活動も精力的にされている。

「自分がネパールにいるんだから、私がさせてもらえることをしているだけです」

 暫くすると彼女の娘さんがやって来て、私たちは慌ててコーヒーを流し込み、娘さんが今年から入学する予定の
SLC10年の義務教育が終わった後に通う学校)の見学に出かけた。学生達は、ジーンズにTシャツといった、カジュアルな服装。なぜか、外国人の私がネパールの民族衣装のクルタを着ていて、おかしな感じがする。
 クルタは長袖で日焼け防止になる上、薄地で涼しく、大変着やすい。日本の夏に是非活用したいほどである。

 家に戻ると、ガジェンドラさんが納豆と豆腐を買ってきてくれていた。彼ほど日本食を毎日食べる外国人を私は知らない。私はダルバッドで十分だが、ありがたく頂きます。


※NIPPON 
CHAUTARIは、5月19日 96.1MHz ネパール現地時間の7:30~ ネパール全土で放送されます。インターネットでは、www.radiokantipur.comからお聴き頂けます。
ERIKO