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 朝6時前にヘリコプターでルクラへ帰るラクパさんを見送った。これから一週間滞在するクムジュン村の標高は、3,800m。随分と呼吸は楽だが、それでも富士山よりも高い場所とあって、朝と夜は冷え込むし、走るとすぐに息が切れる。
 起きたてに熱々の甘いミルクティーを頂いて、8時頃に朝食。シェルパ族定番?のツァンパを食べる。ツァンパは一見オートミールのよう。材料はきな粉そっくりの粉にバターと砂糖をお湯で混ぜたもので、食感は粘り気があり、相当食べ応えがある。オートミールが好きではない人には口に合わないかもしれないが、私はとても好きである。

 昨日ここへ到着した時、お母さんのカミさんの私に接する態度は、観光客をもてなす商業的な好感を持つ感じであったが、今日は私を家族として受け入れてくれたような優しいまなざしを送ってくれる。

 洗濯物が溜まりまくっていたので、家から徒歩
3分のヒラリー小学校の近くにある、公共の洗い場まで行って、石けんでひたすら洗う。午後は大体天気が崩れるので、午前中の早いうちに洗濯を済ませなければ。



             ピティーと呼ばれる体操


 洗濯を済ませた後は、ヒラリー小学校を訪ねた。今回の旅の目的の一つでもあった小学生との交流である。

 ヒラリー小学校は、その名の通り、エベレストに人類初めて登頂した、エドモンド・ヒラリー卿が設立した学校である。シェルパの名が広まったのも、イギリス隊のヒラリー卿をエベレストへ導いたテンジン・ノルゲイ・シェルパの功績によるところが大きい。
 ヒラリー卿は、登頂に協力してくれたシェルパに感謝し、ソル・クンブ地方の環境設備と生活向上に精力を出した。国立公園の設立、病院の設立や医師の派遣、薬品の供与。そして、
1964年に小学校が建てられた。学校が出来るまでの子供達の生活は、日中家畜を追い、家の手伝いなどに従事していた。それが今となっては、子供たちは一カ所に集められ、一定時間拘束されるようになった。それは社会的にも彼らの生活にも大きな変化だっただろう。それは、より良いとか悪いという計りにかけるようなものでは決してないと思う。それは一つの変化でしかないのだ。

 「伝統」という言葉があるが、英語では、
Traditionという。この語源は、tra(越える)+「dit(与える)+「ion」(こと)である。古いものを越えて、引き継ぎ、与えていくことが「伝統」の語源なのだ。それが本質的な意味を与えてくれるかの判断は自分の感じ方次第だが、少なからず何かを感じさせてくれるヒントになる。



                 4年生のクラス


 約束の9時半に学校を訪問した。朝一で、「ピティー」という体操のようなものが全校生徒によって行われた。
 ヒラリー学校の全校生徒は
300名。そのうちの66名が遠い村の子供達で、校内にある寮で寝泊まりしている。今日は4年生の英語のクラスで一緒に英語の授業をさせてもらった。みんな読み書きが上手で、授業態度も素晴らしい。先生も授業はすべて英語で行っている。若いネパール人に英語を解す人が多いのは、この教育のためであろう。
 今日は1クラスだけ参加させてもらい、また明日改めて学校へ行くことになった。



           ロッジのキッチンにてお手伝い

 お昼はロッジの手伝い。インド人の団体客が訪れて、忙しいランチタイムだった。みんな外国人の私が食事を運ぶ姿を珍しそうに見て、写真まで撮る人もいた。
 3時半を過ぎると、太陽は隠れ、一気に村は霧に包まれる。早起きをしなければ時間を有効活用できない理由を身にしみて感じる。
 ソナムさんは仕事から18時頃戻って来た。ストーブを囲みながら夕食を取り、20時就寝。




☆今日のご飯☆


ツァンパと呼ばれるシェルパの朝ご飯 きな粉の味がして美味しい

ERIKO