パンボチェロッジの女将さん

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 今日はクムジュン村へ到着する日。ということは、今日でガイドのラクパさんとポーターのパマスともお別れである。

 山での
11日間は、普段我々が感じている都会の時間と違い、密度が濃かった。ふざけて笑ったり、体が辛くて不機嫌になって口をきかなくなったり。様々な感情の波を一緒に過ごした。ラクパさんはさすがエベレスト街道のガイドともあって、そんな私の起伏などお見通しだった。

 モンラからクムジュンまではゆっくり歩いても1時間半。私達は時間を惜しむように、いつもよりゆっくりと歩いた。緑の屋根が点々とするクムジュン村が見えると、急にラクパさんの足取りが愛おしくなった。

 11
日間、私は毎日彼の後ろをついて歩いた。早くもなく、遅くもなく、まるで私のちょうどいいペースを知っているかのような、完璧な先導だった。雲一つかかっていない、タムセルクを見ながら、サングラスの淵には止めどない涙が溜っていく。そう言えば、ヒマラヤへ来て初めて間近で見た山もタムセルクだったなぁ。



           モンラ村 左の山がタムセルク

 クムジュン村は予想以上に大きな村だった。立派な家やロッジが立ち並び、小さなショップもたくさんある。

 ここで私がホームステイさせてもらう家の家族は、シェルパ族という民族。
 シェルパはもともと、チベットから16世紀にサガルマータ南面に移住してきたと言われている民族。クンブ地方に定着した彼らは、標高差のある地形に適した農耕と放牧を行いながら、チベットとインドの間の交易を行って来た。

 シェルパというと、登山のガイドというイメージが強いが、彼らが登山活動に参加するようになったのは、
1950年代に入って、ネパールの鎖国が解かれた後である。シェルパが高く評価されることとなった背景は、酸素が希薄で寒冷な高地への順応能力や、急激な岩場、氷雪面な場面での対応能力に秀でていたこと。また、交易での経験が、現地で接触する住民との渉外能力に発揮されたことがあげられる。

 1970
年以降のトレッキングブームで、世界中からたくさんの登山家やトレッカー達がこの地を訪れるようになり、彼らの経済水準はとても高くなった。ソナム家もその良い例であると言えよう。お世話になるソナム家の主人、ソナムさんは、ヒマラヤのドン・キホーテと呼ばれている宮原巍さんが建てた、エベレストビューホテルのマネージャーとして働きながら、自身でもアマダブラム・ビューロッジを経営している。

 家族は奥さんのカミさん、大学生の息子の
ティゲ君、アメリカに留学中の娘のソナムイシさんの4人家族である。
 トレッキング中は、ロッジのお客さんの立場だったが、今日からはどちらかと言えば、その手伝いにまわることになる。家族全員英語を解すのでコミュニケーションには困らないが、やはり現地の言葉が分からないと、本当の意味で色々と理解が出来ないし、壁がある。でも今からマスターするのも難しい話しなので、少しずつ覚えていきたいと思う。
 明日から移動がないと思うだけで、幾分気持ちが落ち着く。


        ホームステイ先のソナムさんの家兼ロッジ



☆今日のご飯☆


クムジュンの畑で取れたジャガイモ 南米から伝わった物 甘くてホクホク。

ERIKO