パンボチェのロッジ 朝はお香が焚かれる

4/28

 ロッジの部屋の壁は、まるでカーテンで仕切られているかのごとく薄い。昨晩食堂で出会ったポーランド人男性は私の隣の部屋だったらしく、夜遅くまで何かを唱えているような声が聞こえた。こういう時は本当に耳栓が役に立つ。

 昨晩の夕食で食べたピザでお腹の重さが半端ない。以前もピザを食べて大失敗してしまったのだが、全く学習していない。だって美味しいんだもん・・・



                    パンボチェ村


 天気予報は雨と聞いていたが、見事な快晴。徐々に目的地であるクムジュン村へ近づいて来ている。
 崖ギリギリの山の稜線を歩いていく。ヤクとすれ違う時は、山側へ寄らなければならないが、道が細いので、すれ違い様に角がぶつかりそうになる。アマダブラムを背にして、カンテガとタムセルクを眺めながら進む。今日はエベレストの頭も見えている。

 3
ヶ月前、ここへ来ようかどうか迷っていた自分をふと思い出す。自分の心の声に正直に従って良かったと思う。あの時、おぼろげにでも決断しなければ、私は世界で起っているもう一つの出来事に出会わなかっただろう。
 世界では平等に時が過ぎていく中で、様々なことが起っているのだ。時間や情報の海の中でもがいていては決して分からない世界も。
 私は今、ヒマラヤにいる。ここにあるものと自分の存在との摩擦によって生じる経験を、今は何よりも大切にしたいと思う。




                    禿鷲


 今日はお腹が重いせいもあってか、体の疲れ具合も早い。出発してからの4時間半は、下りが続く。緑が増え、所々に小さなアヤメや、ネパールの国花である、シャクナゲの花が咲いている。それらに出会う度に、私は足を止めて、ただじっと眺めた。急ぐ必要などない。




 フォルツェタンガという村で昼食を取り、今日の宿泊地である、モンラへ向かう。フォルツェタンガを過ぎてからは、急勾配が永遠に続いた。
 モンラはパンボチェより標高が低いと思っていたが、ここも
4,000mと、同じ標高。夜はラクパさんが、カトマンズで買ったという餅を焼いてくれた。

 たまにロッジで日本人グループに会うと、彼らはいつも味噌汁やふりかけといった、大量の日本食をテーブルに並べている。私は海外へ行く時は、梅干しくらいしか持って行かないし、あまり食事も恋しくならない。
「年取ったら日本食が欲しくなるよ」と言われたことがあるが、その時を待ってみることにしよう。

 今日のロッジはお客さんが私しかいない。どうやらシーズンがもう終わってしまったのと、エベレストへの登山客がいなくなってしまったからのようだ。ロッジの女将さんや従業員のシェルパ達とストーブを囲みながら話しをする。この旅で、心身ともに温めるひとときだ。ちなみに、ストーブの燃料はヤクとゾッキョの糞。素晴らしい生きる知恵に感心。

 明日からようやく、クムジュン村で、シェルパ族の人達との生活が始まる。インターネットも繋がるだろうから、この書き溜めた日記を一気にブログに
UPすることになる。メールがどれだけ溜っているか・・・少々怖い。

ERIKO