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寒い夜だった。寝袋の上に毛布を2枚かけても寒くて何度も目が覚めた。起きたら冷たくなった服に着替えて、凍るような冷水で顔を洗う。毎日していることなのに、毎度勇気がいる。
今日は一気に標高4,000mのパンボチェまで下りる。私は下りの方が苦手なので、なかなか気乗りしないが、歩かないわけにはいかない。
毎朝6時起床、8時出発、20時就寝というリズムが体に染み付いて来ている。疲れが溜って来ているとはいえ、太陽が地面を温め出すと、また歩き出したくなるのだ。
前後左右に6,000以上の山に囲まれた土地を歩くことを想像して欲しい。それぞれの山は存在を主張するかのように、独自の形を持ち、その美しさに心奪われて天を仰げば、足元がふらついてしまう。塞がるものが何もない土地に風が吹けば、細かい砂埃が舞い上がり、それから身を守るようにして、頭を伏せ、体を縮込ませる。川の流れの音が聞こえ、私達のいる標高が随分下がったのだと感じる。
パンボチェ村 左にカンテガ(馬の鞍)、右はタムセルクが見える
歩き始めて5時間後、行きにも訪れた小さな村で昼食。ネパールのカレーは、ご飯がパサパサしていて食べやすく、大盛りにさらに大盛りのお代わりをしてしまった。
カレーを食べ終わる頃、霙がちらつき始めた。ウインドブレーカーを着込んで、再び歩き始める。
1時間後に、丘の上にある方のパンボチェに着いた。どうやらパンボチェという村は、丘の上と下の2カ所に分かれているらしい。
ロッジにはシャワーがあったので、久しぶり体を流す。しかし、このシャワーがツワモノ。手動式で、温めたお湯と水を上部に設置してあるタンクに流し込み、ジョーロのようなシャワーヘッドから出すといったもので、ロッジのお姉さんとラクパさんが代わる代わるタンクに水を担ぎ入れてくれた。最後は真水だったが、彼らの努力に乾杯である。
パンボチェの標高は4,000m。まだまだ高い場所にいるだけれど、体は随分と楽で、水もさほど冷たく感じない。洗濯も調子いい。
ラクパさんに、「もしラクパさんが海抜0の場所へ行ったら、すごい体力ある人になるね!」と話すと、意外な答えが返って来た。
「いやいや、それが、僕たちが低地に行くと、低山病になるんだよ」「えー!どんな症状に?」
「高山病と同じで、お腹を壊したり、頭痛や吐き気がするんだ」
慣れって怖いと思う。
今日宿泊するロッジは、お寺の真ん前で、お客さんは私とポーランド人の2人。ポーランド人の男性は、ヒマラヤに毎年通っているそうで、今年はロブチェピークを登って来たのだそう。ラムをお湯割りで飲み続け、しばらくするとデモンやサタンなどとオカルトチックな説教が始まり、ガイドも相手をするのに精一杯という感じだった。山に登るのは、自分のデモンと戦うことなのだという。よく分からないが、彼はしきりに富士山の質問を私に投げかけた。いつもより遅く、22時就寝。