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     オム・マニ・パッドゥ・メ・フーと書かれたマニ石



 昨晩は夕食が終わった後、食堂で流れるTVで昨日の雪崩の様子が放送された。雪崩が発生したのは、エベレストBC1からBC2の間。犠牲になったシャルパ達の遺体は、ルクラの飛行場に運ばれた。
 同じ画面を見つめながら、ラクパさんは「山で死んでも、どこで死んでも人はいつか必ず死にます」と言った。私は亡くなったシェルパ達の家族を思った。

 寝る間際に、左足の膝裏が痛み出し、階段を下りるのがやっとだった。まさか1日目で歩けなくなったなんて、笑い話にもならない。
 一緒のロッジに泊まっている、コスタリカ人夫婦の奥さんはお医者さん。膝の様子を診察してくれ、薬まで塗ってくれた。
 彼らと話しているとまるで同郷の人間に思えてくる。それはきっと、彼らを見る向こう側に、私の知っているコスタリカの風景が広がっているからだろう。

 寝袋の睡眠は驚くほど快適で、夜の21時から朝6時までノンストップで眠り続けた。体調も優れていて、高山病の心配も今の所ない。膝の痛みは少し残るが、今は歩きながら様子を見ようと思う。



                所々で山桜に出会う

 ドゥドゥコシ川に逆らうように、上へ上へと登り続ける。今日はパクディン村から標高3,440mのナムチェバザールまで進む。その標高差788m
 白いゴロゴロした川の石が転がる道を行く。手のむくみで、標高が上がっているのを感じる。長く高い吊り橋をいくつも越え、また砂埃の舞う岩場が始まる。
 
 山桜やギンモクセイ、トンボの群れが、日本の山にいるような錯覚に陥らせ、体力を奪っていく坂道の中で、穏やかな瞬間が心に流れる。

 ようやく、サガルマータ国立公園の入り口まで辿り着いた。この国立公園は
1976年にできたもので、ナムチェバザール、クムジュン村、クンデ村を含む一帯が指定された世界遺産でもある。

 正午、レストランで昼食を取る。焼きそばの入った春巻きを食べた。そのすぐ側を重たい荷物を抱えたロバやゾッキョが首に付けた低音の鈴を慣らしながら通り過ぎていく。鈴とロバ達の足音は、レストランで流れるボブディランの曲と混ざって、私を妙な気分にさせる。



             ガイドのラクパさん


 今日は、ラクパさんのお兄さんの娘さんの結婚式だった。
「娘みたいにかわいです。いつも私が実家に帰ると、泣きます」ラクパさんは彼女が欲しがっていた液晶
TVを送ってあげたのだと言った。
 きっとラクパさんは今日ずっとそのことを考えていただろう。私達は同じ道を歩きながら、心はまたそれぞれの場所を移動しているのだ。

 標高
3,000m手前で雨が降り出し、汗まみれの体を冷ました。砂埃が舞わなくて助かった。私とラクパさんは、時に話しながら、歌いながら、冗談を言いながら、沈黙を保ちながら、ひたすら足を前に進ませた。

 出会ってまだ2日しか経っていないのに、不思議とそんな気がしない。それは、ヒマラヤという土地がそう感じさせるのか、それとも私たちの縁だろうか。トレッキングガイドの仕事は、観光業という視点から見ても、特異性のあるものかもしれない。
 歩いている道中ももちろんだが、朝一番の新鮮な空気を一緒に味わうことや、腹ペコな胃に温かいスープを流し込むことなどを共有することで、ガイドという枠を越えた気持ちを抱くようになる。きっと人はまたそんな場所へ戻りたいと思うのだろう。彼らの経済活動は、人間力にかかっていると言っても言い過ぎではない。

 ナムチェバザールには、出発してから7時間後に到着した。今日はシャングリラという名前のロッジに宿泊する。汗まみれの体に耐え切れず、シャワーを浴びてしまう。
300ルピー(1ルピー=1.2円)。でもスッキリ感プライスレス。


☆今日のご飯☆


               ネパールのうどん トゥクパ


ERIKO