ネパール最大のストゥーパのあるボートナート

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 目が覚めて時計を見ると6時だった。もう少し寝ようと思ってもう一度眠りにつこうとしたが、しばらくして、お経のような和音とお線香の匂いが部屋を満たして、目が覚めてしまった。
昨晩は、久しぶりにひどい金縛りに襲われた。多分2時間くらいうなされて、やっと解けた時にすぐに立ち上がった。相当疲れていたんだろう。金縛りになった時は高くジャンプして、壁逆立ちをし、水を飲んだら大抵治る。


 朝は停電のようで部屋の電気は付かない。聞けば、カトマンズでは、ほぼ毎日14時間くらい停電するらしい。11頃に電気が戻った。

  今日はカトマンズ市内を観光する。案内してくれるのは、チャンドラさん。 3月中旬、去年の旅でペルーのアレキパに滞在した際に面倒を見てくれた、ハロルドさんが来日していた。どうやら日本人の彼女との結婚が正式に決まったようで、彼女のご両親に挨拶をしに来ていた。その時、私がネパールへ行くことを話すと、日本に住んでいる知人のネパール人、カルマさんを紹介してくれた。後日、カルマさんと渋谷のヒカリエでお会いし、カトマンズに住む友人を紹介してくれた。それが、チャンドラさんである。
 彼は昨日もホテルに来てくれていたようだった。ガイドの仕事をしているそうだが、あまりの日本語の上手さに脱帽する。日本語は現地の学校で習ったようで、日本へは2週間旅行したことがあるだけだ。

 手配してくれたドライバーさんの車に乗って、ボードナート、スナヤンブナート、王宮広場を巡る。道は砂埃がひどく舞っていて、人々は黒や緑色のマスクをしている。信号のない混雑した通りは、車と人と牛が不規則的に入り乱れている。
 2週間ほど前から、ネパールではガソリンが不足しているらしく、スタンドの前には永遠に続くような長蛇の列ができている。デモ行進と渋滞を切り抜けて、ボートナートに到着。



巨大なマニ車 一回まわすとお経を読むくらいの価値がある


 ボードナートは5世紀に建てられたネパール最大の寺院。ストゥーパを中心として、外周にはマニ車とタルチョの旗がはためいている。ストゥーパの台石は、チベット仏教での宇宙と精神力を象徴する円と正方形が幾何学的に組合わさった、曼荼羅の形をしている。
ボートナートの敷地内に住む、あずき色の袈裟を着たチベット移民の人達の姿をたくさん見かける。驚きよりも、安心感が勝るのは、やはり私がアジア人だからであろう。



                  スワヤンプナート


 スナヤンブナートは丘の上に建てられたストゥーパ。リンガと呼ばれる、旅に出かけたお坊さんが亡くなった時に遺品をいれる石碑が周りに点在し、ずっしりとした雰囲気が漂う。
ここからはカトマンズ市内を一望できる。見晴らせば、カトマンズが盆地であることが手に取るように分かる。天気が良ければ遠くに雪山も見えるのだそうだ。



                 カトマンズ盆地


 伝説によると、カトマンズはもともと湖だった。ある時ゴーダマ・仏陀に生まれ変わったと言われている、伝説上の「本初仏」(ヴァイロチャーナ)(太陽を意味する顕教の本尊名)が、湖の真ん中にある島の蓮の花から姿を現した。ボーディサットゥバ・マンジュシュリー(山西省の霊場・五台山で知恵と徳を司っていた人)が、本初仏に敬意を現すためにここへやってきた。その時、持っていた利剣でチョバールの地点の山脈を切り開いた。すると、水と一緒に大蛇と怪物も消え去って肥沃な土壌が残り、人間がいつまでも定住出来る地となった。ボーディサットゥバ・マンジュシュリーは、孤立した丘に本初仏への奉納としてストゥーパを建設した。それがスワヤンブナート(自在者寺院)となり、東南アジア地域で最古の文化遺産の一つとなったと言われている。変哲もない盆地は、こう言った豊かな物語の上に成り立っているのだ。


「昼ご飯はどうしますか?」チャンドラさんは日本人が1日3食なのを知っていて気を使ってくれたが、あまりお腹も空いてないし、そのまま観光を続けることにした。
 ネパール人の食生活は1日2食らしい。中南米から帰って来てからと
いうもの、私もすっかり1日2食の生活になってしまっている。本当にお腹が空いた時しか食べないようになった。



         SONYのレンズスタイルカメラで撮影

 最後に訪れたのは、「クマリ」と呼ばれる生き神のいる、王宮広場。あちこちに木でできた塔が建ち並び、人々は思い思いに歩き廻ったり、石段に腰掛けている。
 広場で、SONYさんの「
レンズスタイルカメラ QX」で撮影をしていると、物珍しそうに私を見つめて、「何してるの?」と話しかけてくる。それもそのはず、このカメラはレンズのサイズしかなく、設置したあとはi phoneと連動させて、画面を見ながらシャッターを押すことができる優れ物なのだ。一人旅には本当に持ってこいのカメラである。何で今まで知らなかったのだろう・・・



   クマリさん本人は写真撮影禁止のため、ポストカードで


 4時になると、宮殿の小窓からクマリさんが顔を出した。それはおよそ30秒ほどだった。まだ弱冠6~7歳くらいだろうか。強い意志を持った顔立ちをしていた。
 生き神のクマリになるには、32の厳しい条件を満たさなければならない。ホラ貝のような頬、牛のような長いまつげ、鳥のような美しい声、虎のような強い心、などなど。クマリは月経を迎えるまで神様であり続ける。


         チャンドラさんとバイクで家へ向かう


 夜はチャンドラさんが、家に招待してくれ、夕食を振る舞ってもらった。家族はあいにく外出していたため、彼のお母さんの妹、ティエズマさんの家にお邪魔した。

 ここで一つ大切なことを書いておこう。チャンドラさんは、ネワール族と呼ばれる民族。ネワール族は
アジアにおにて最も高度な文化の一つを築いた民族と言われている。神話は他に類がないほど内容が豊かで、有史時代初期にまで溯る。宗教は、シバ神とゴーダマ・仏陀信者の2つの大きな信仰集団に分かれている。独自に住居、寺院、宮殿などの建築様式、木造建築の煉瓦作りと特徴のある窓構造を発展させた。今日訪れた場所の建築もネワール族の建築様式である。

 家は路地裏の一角の4階建てアパートのようなところにあった。一部屋ずつ違う家族が住んでいるかと思いきや、全部彼らの家族の部屋だった。食事部屋には大勢の人で賑わい、食べ終わったらまたすぐに違う人がやってくる。
 
 実は今日は、ナカティアと呼ばれる日で、半年に一度、近所の人や親戚を招いて、食事を振る舞う日なのだそうだ。これはネワール族の習慣で他の民族にはないという。
「今日は何人くらい来るのですか?」ティエズマさんに訊ねると、「80人」だと答えた。

 「昔はこれが月に1度あったんだけど、仕事がなくなり、収入が減ったから最近は半年に一回しかないのよ」
 近所の人達や親戚と顔を合わせて他愛もない話しをしながら食事をする。食事っていうのは、人の心をオープンにさせ、人との距離を一気に縮める魔法のような力があるのかもしれない。



                ティエズマさんの家で


☆今日のご飯☆


                    こちらは前菜


   ネパール定番料理 ダルバード 豆のスープとご飯



※明日からヒマラヤトレッキングに入ります。


ERIKO