10月は月末まで再び2週間ほど故郷の鳥取へ戻っていた。理由は3つ。米子青年会議所主催の講演会、エコツーリズム国際大会の参加、そして旅の途中のパナマで、岡村和美さんから預かった手紙を香川に住むご両親に届けるため。

 何ヶ月も準備していた講演会は無事終わった。たくさんの方々に来場頂き、嬉しさと共に、学びがたくさんあった講演会となった。

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日~開催されたエコツーリズム国際大会では、大山登山、交流会、閉会式に参加させてもらった。私が大山に登った日は終日雨が降り続いた。参加者の中には霧に包まれた景色を残念がっている人もいたが、雨が好きな私は、雨粒を全身に受けながら、浄化されていくような、気持ちの良い登山だった。頂上で出会った大山キャラボクの深い緑色は、私が住んでいた昔の家の庭を思い出させ、それにまつわる祖母との思い出が鮮やかに蘇った。こうして人は、あらゆる景色の中に数々の人生の風景を見るのかもしれない。

 この恵まれた山陰地方の自然や食べ物を生かした取り組みを、県をあげて推進してくれることを非常に嬉しく思う。この大会のきっかけを与えてくれた、兼高かおるさんと山田桂一郎さんに感謝したい。そして、このエコツーリズムが、エコの語源である、ギリシア語で“家”のように定着してくれたらと思う。
 

 そして私はイベントが終わったと同時に、香川へ向かった。旅の途中のパナマで手紙を預かってから約7ヶ月。ようやくミッションを果たす日がやってきたのだ。

 台風の影響で朝から雨が降り続いている。岡山行きのバスはガラガラで、小旅行と思われる2人組の婦人たちの世間話がBGMとなった。
岡山の駅は新しくなったのか、それとも私が知らないだけで以前からそうであったのか、行き交う人と電車の本数の多さが、都会的な空気に包まれている。マリンライナーで終点の香川へ向かう。瀬戸大橋の上を電車が通っていたなんてこれまで知らなかった。いつも鮮やかな日本海ばかり見ているせいか、クリームがかった緑色の瀬戸内海が優しい気持ちに包んでくれる。私は年に一度、モデルの仕事で愛媛に通っているが、四国はいつも太陽に包まれてカラッとした気分にさせてくれる。そして四国へ来る度に、村上春樹の『海辺のカフカ』に出て来る、図書館で働くブルーの服を着た女性と、『辺境近境』で訪れたうどん屋巡りの様子を思い出すのだ。彼女を一度も見たこともないのに、極めて鮮明に。

 岡村和美さんの実家は、さぬき市にある。愛媛に住む友人が久しぶりの再会も兼ねて、迎えに来てくれた。どんよりした空なんかそっちのけで、お互い会わなかった間の話しは尽きない。駅から30分ほどして、岡村さんの家に到着した。和美さんのお母さんは、顔にかかる雨を右手で覆いながら、笑顔で出迎えてくれた。

 『遠い所からすみません!』

 細くて元気なお母さんである。応接間に通してもらい、お父様とも挨拶を交わした。コーヒーとお菓子を頂きながら、和美さんから預かった手紙をお渡しした。

 『まぁ、本当にありがとうございます。あっ、一昨日、和美に子供が産まれたんです!』

 お母さんは嬉しそうに、和美さんから送られてきたお孫さんの写真を見せてくれた。私がパナマにいた頃は、和美さんの体調が不安定で、結局会うことができなかったが、無事に子供が産まれたと聞いて安心した。

 お母さんは、和美さんがしっかりしたお子さんだったこと。自分がスペイン語を進めたために、彼女が外交官への道に進んだこと。さぬきでの生活のこと。和美さんの姉妹のことを興奮気味にそして嬉しそうに話した。1時間ほど話した後、家を出た。頂いたかまぼこと讃岐うどんを片手に。雨粒がびっしりついた車の窓から彼らに手を振り、彼らとの出会いに感謝した。



岡村和美さんへ

あれから随分と時間がたってしまいましたが、やっとご両親にお手紙お渡しすることができました。とても元気なご両親で、もっとたくさんお話したかったです。大変ご丁寧なおもてなしをして頂きました。ラテンアメリカの旅を終えてからもう3ヶ月以上経ちました。今はかの地がとても遠く感じます。私は日本でまた新しい人生の旅を始めています。和美さんにもお子さんが無事生まれたと聞いて安心しました。きっと可愛いでしょうね!いつかまた和美さんの家族とお会いできる日を楽しみにしています!手紙届けさせて下さって、ありがとうございました。

ERIKO



                  和美さんのご両親と



        讃岐うどん 美味しいけどすごい量!!





※4日に関内のMirai南極観測料理人Barで行われたトークイベントは満員御礼でした。足を運んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
次回第2回目の『カリブ・中南米・メキシコ編』は1月を予定しております。