お世話になったソリス一家



6/29/13  

 メキシコへの移動日。ベリーズを出国すれば、この旅最後の国となるメキシコへ入国となる。約1ヶ月滞在するとはいえ、最後の国と思うと複雑な気持ちである。

 1
3ヶ月前に日本を発ち、慣れないパソコンに向き合い文章を書き続け、見えない誰かが元気になってくれたら、ラテンアメリカの魅力を少しでも伝えることができたらという思いで自分なりにやってきた。

 やってきた成果は突然こんなふうにして訪れた。パナマ工科大学の日本語を勉強する生徒さんから届いたメールである。

 

 “お元気ですか?エリコさんの旅が順調にいっているようで何よりです。僕は来年ある日本語のコンクールへ向けて一生懸命勉強しています。絶対勝って日本に留学したいからです。エリコさんに会って、益々日本に興味を持ち、日本語の勉強を続けたいと強く思うようになりました。僕だけでなく、エリコさんに会った生徒達もそうです。本当にパナマへ来てくれてありがとうございました。そして最後まで素晴らしい旅が続くことを祈っています”

 

 このメールは私にとって何にも代え難い喜びとなった。自分がしたことが人のためになり、喜びになるとき、人は自分のこと以上に幸せな気持ちになれる。この旅を通じて誰かが元気になってくれることは、私の夢でもあった。諦めなければいつか必ず夢は叶うんだ、そう思った。
彼からの便りは、これからの残りの旅に活力を与え、この旅が終わってからの私の人生へ大きな一歩を踏み出す勇気をくれた。

 

 ベリーズでお世話になったソリスさんとお別れした。ベリーズ人のご主人と旅行会社を経営しながら、異国の地で2人の小さい子供を育てる日本人の彼女の姿は本当にたくましかった。いつでも優しい口調で話しかけてくれるが、それでも時には顔に疲れが見えるときもあった。
日々忙しい彼女は、それを想定しながらも私の滞在を受け入れてくれた。ベリーズでのプログラムも私用に特別に作成してくれ、一部仕事として対応してくれながら、家族の一員として受け入れてくれた。

 ベリーズはカリブに面した英語圏で、中米でもラテンアメリカとは言いがたい、またカリビアン100%とも言いがたい、特殊な雰囲気を持った国だった。長く続いたラテンアメリカ生活で、相手との距離が近く、情と義理で多くの事が進められる風潮に慣れてしまっていた私は、久しぶりに人との距離感を感じた滞在ともなった。ちなみに距離感とは心の冷たさを表すものでは決してない。“Time is money”といったような、米国的なドライさを感じることが多かった。


 ホプキンスに滞在した時に出会った、先祖を大切にするガリフナの伝統文化は、私が好きになった先住民文化の一つとなった。
私達は普段忘れがちだが、私たちがここに生きているのは先祖達が命のバトンを繋いでくれたお陰である。一つでも欠ければ、私達はここに存在しないのである。先祖を
9代溯れば1022人にもなるのだそうだが、私達は彼らの結晶でもあり、幸せに生きて欲しいと願う彼らの思いの塊であるということを、ガリフナの儀式から思い出させてもらった。
人種、宗教、言語が違えど、私たちが生きる目的は一緒。幸せに生きることである。ベリーズはアメリカの影響を強く受けながらも、伝統的な文化を引き継ぐ奥が深い国だった。




            メキシコのイミグレーションの列


 メキシコまでは国境近くのコロサルまでセスナを
2回乗り継ぎ、タクシーで国境越えをした。メキシコのイミグレーションは大混雑で、まともに並んだら2時間以上はかかりそうだった。

 『
10ベリーズドル(500円)払えば、並ばなくて済む。どちらを選ぶかはあなた次第です』

 夕方までにホテルへ着きたかった私は即答で『並びません』と言うと、タクシー運転手はイミグレーションのスタッフに駆け寄り、私のパスポートにスタンプを押させた。入国審査はものの
2分で終わった。






 トゥルムまでハイウェイをひた走る。周囲を森に囲まれた道路は、黄色のモンシロチョウが大群で飛んでいる。

 『この時期になるとたくさんやってくるんだよ』

 工事現場で汗を流しながら働く人達も黄色の蝶に囲まれて、なんだかメルヘンチックに見える。モンシロチョウの歓迎は目的地のトゥルムまで続いた。

ERIKO