
大掃除でバケツに水を汲むサンホセ小学校の子供達
6/25
昨晩はみんなが寝床に付いた時、パティーさんの11兄弟の弟の一人が、酒に酔っぱらって家の外で叫んで暴れた。しばらく経っても静まりそうにないので、両親のサンティアゴさんとフロレンシアさんが別の家に連れて行きことは収まった。彼は昨日の昼からビールを片手に独り言を言いながら村をフラフラしており、夜に寂しさが積もり積もったのか、最後の頼りである親の元へ来たのだろう。
夜は大嵐になり予想以上に冷え、毛布を2枚被ってちょうどいいくらいだった。みんなが起きたのは5時頃だったと思う。
右目が痛むしうまく開かないので、私は目薬を注して7時まで寝させてもらった。朝ご飯は茹でバナナと小豆を食べた。
パティーさんの家の丘を登ったところには、San Jose R.C School(サン・ホセ小学校)がある。明日は卒業式でもう授業は行っていなかったが、学校内を見学させてもらった。
マヤ村唯一のサン・ホセ小学校は、幼稚園3年と小学校8年のシステムで、全校生徒は295人。今日は大掃除の日で、朝から生徒達はほうきやバケツを持って教室の掃除に励んでいる。
校長先生のフェリッペさんは、学校内にある教会で卒業式の飾り付けをしていた。
『卒業式も見て欲しかったですね、残念です』
子供達は私が廊下を通ると喜んで教室から飛び出して来るが、『一緒に写真を撮ろう!』と言うと、飛んで逃げて行ってしまう。
普段学校へはスクールバスが通っており、授業は8時半~15時半、45分授業が6限行われている。言語は英語、スペイン語、モパンマヤ語を使って行われる。
ここを卒業した生徒達は、家族の経済状況によって、違う村の高校に通う子もいれば、多くの子供達は、家の仕事の手伝いに入るのだそう。(男の子は農場の手伝い、女の子は民芸品を作る手伝いなど)
学校を訪問した後は、家に来ていたパティーさんの妹さんの家を訪ねた。橋の付いていない川を越えて、丘を登ったところに彼女の家はある。
マヤ村の人達は家に入る際、靴を脱ぐ習慣がある。家はベッドが一つとハンモックが天井からかかっており、キッチンの作りもパティーさんの家にそっくりである。
彼らはさっそくお昼ご飯のトルティージャをトウモロコシから作り始めた。鉄板の周りではおこぼれを狙うネコが待機している。
昼ご飯は焼きたての美味しいトルティージャと卵焼き、小豆煮をごちそうになった。ご飯の後は、手動の精米とパン作りが始まった。
マヤ村の女性達の仕事はまさに生きていくための仕事である。私が住む世界には数多くの学業制度や職業が用意されているが、ここは仕事を選択することとは無縁の環境である。
私達に度々起る、“何もしたいことがない”“夢がない”という症状は、生きることが安易になり過ぎたために拡張した欲の塊であるかもしれない。簡単に生きていけることへの代償は心の貧しさへ繋がっているとも言えるだろう。
一般的に貧困と呼ばれる彼らは、一日一日の食料を確保し、人々と助け合わなければ生きていけない。そんな状況は自然と命を生かす努力を惜しまなくさせ、一生懸命に生きることで心の豊かさが養われる。心や思いから全てが始まるとすれば、物質世界に埋もれて大切なものを失いかけている私たちは、本当の意味での貧しさを抱えているのではないだろうか。
パティーさんは週に2回、バスで1時間半のプンタ・ゴルダの町へ出て、レストランと民芸品屋で働いている。村の女性達にとって彼女はパイオニアーのリーダー的存在であろう。
シャネーガちゃんと川のお風呂へ向かう。今日は近所の子達も加わって賑やかなバスタイムとなった。6才の彼女はとてもしっかりとしていて、私の面倒までよく見てくれる。
明日は朝4時のバスでベリーズシティーへ戻る。
お世話になったマヤ村の家族