
左:長崎大使と中央:御夫人 右:領事の佐々木さん
6/13
グアテマラ・シティー滞在も今日で最後の日となった。それと共に、エルサさんとヘルビンさんとのお別れが近づく。
昨日は早朝から家族のオフィスで仕事に励み、午後からは日本大使館で行われた、JAICAボランティアの今泉和也さんによる、“考古学とは何か、古代日本と古代マヤの相違点とその魅力について”の講演を聞きに出かけた。
今泉隊員はグアテマラの北部にあるティカル遺跡にて、遺跡の修復・測量や土器分類等に関する活動を行っており、任期が終了の報告会を兼ねて行われた。一般の考古学のイメージと実際の仕事内容との比較や、古代日本とマヤ文明の共通点や違いなどを、年代を追いながらの分かりやすい説明だった。
講演会の後は、在グアテマラ日本国大使館 長崎大使を表敬訪問した。大使の奥様も同席され、事前にブログ等をしっかり読んで下さっており、ご配慮に感激した。なんだか私の話しばかりになってしまったが、大使と御夫人は興味深く耳を傾けて下さった。
長崎大使、御夫人、長々と貴重なお時間をありがとうございました。
5時起きが続いていたが、今日は予定が午後からになったので、午前中は仕事とパッキングに費やした。どういうわけか、荷物が随分と増えている。行く先々で貰うお土産や本などが増えたせいだろう。ありがたい重さである。
(ちなみに余談だが、鳥取県のカレー消費量は全国一位である)
小学5年生の時に出た全国大会では8位に入賞し、人生の中でも一所懸命取り組んだ活動であったと思う。私の物事への集中力はそろばんで鍛えられたと言ってもいいだろう。
キラさんは、グアテマラでそろばんの普及に尽力されている方で、先日、長崎大使から文化功労者として表彰を受けた人物である。
約束の4時ピッタリに、教室の前でキラさんが迎え出てくれた。
『お待ちしておりました。キラと申します』
手に持っていた名刺をすぐに指し出す仕草はまるで日本人のようである。品のいい家庭のお嬢様と言った感じのする綺麗な女性だ。
広々とした教室へ入ると、生徒達がそろばんをカバンから取り出している。ラテンアメリカでそろばんを見るなんて思ってもみなかった。昔通っていた道場を思い出し、なんだか嬉しくなった。
そろばんを弾く前の1分の瞑想を除けば、見取り算、乗算、徐算、見取暗算と日本と同じやり方で行われている。最近はそろばんもワンタッチ式が主流なようで、ここでもほぼ全員ボタン一つで玉を弾いている。昔はあれが欲しくて仕方なかった。
『日本と同じように月謝袋を使用していますが、ちょっと違うところがあります。子供達の親が、彼らに家の手伝いを与え、お小遣いのような形で彼らに渡し、そのお金を月謝とするようにしています。そうすることで、子供達は親がどのような思いをしてお金を家庭に運んで来るかという有り難みが分かるのです』
キラさんは、東京医科歯科大学へ留学が決まった旦那さんと一緒に日本へ渡り、4年間東京、千葉、茨城で過ごした。
『ある日TVでそろばんを紹介する番組を見たんです。そのとき、そろばんを使った教育はグアテマラの発展のために絶対に役立つと思いました。それで道場の門を叩いたのです。しかし子供達しか受け入れない道場は、その当時30才だった私を受け入れてはくれませんでした。でも諦めず何度もお願いしました。本当にやりたかったんです。それでなんとか道場に入ることができ、私は初めての外国人、そして誰よりも早く級を進んだ生徒となりました』
キラさんは内緒にしているそうだが、6ヶ月間という驚異的な早さで指導資格の試験を受けるまでになっている。私は2級まで持っているが、約8年かかっているし、指導資格対象にはほど遠い。
『毎日17時間以上は練習しました。生活の第一はそろばんで家事は二の次と言った感じです笑』
彼女と私はどうも気質が似ているようで、彼女の話しに驚くと言うより共感するところが多い。
『そろばんは私の知性を随分と高めてくれました。グアテマラへ戻り、1995年に教室を開き、まず知能に障害を持った子供達を対象にクラスを始めました。でもそろばんを知っている人なんていませんから、始めの頃は生徒1人~3人で行ってました』
そろばんの効果を信じて普及活動を懸命に行い、それと同時に日本の文化を紹介する機会を設けている、まさに日本とグアテマラの架け橋のような人である。
教室が終わると、全員が規律、礼をし、いい子に学習した子には飴が配られ、空っぽになったクラスは静けさを取り戻した。
キラさんが番茶を入れてくれ、日本に滞在していた時の話しをしてくれた。隣りに住んでいた女性が元芸者さんで、基本的な作法や礼儀を教えてもらったことや、子供達をアメリカンスクールではなく、日本の小学校に通わせたことで感じた文化の違いなど、どの話しもあきることはなかった。
別れの挨拶をしていると彼女はこう言った。
『嬉しいことと残念なことがあるわ。一つはあなたがこうして訪ねて来てくれたこと。もう一つは、もうあなたに会えないことね』
『どうしてですか?』
『私、神経変性疾患という病気なの。筋肉が衰えていく病気で、もうだんだん歩くことも辛くなってきてるの。本当は今年の2月日本へ行くつもりだったんだけど、移動に体が耐えきれなくなってきていて断ったの』
アメリカなどで教育教材として使われている実話、“モリー先生との火曜日”という映画で、モリー先生が患っていた病気である。
『もうちょっと時間あるかしら?』
彼女は私たちを車に乗せて、あるマンションへ連れて行った。
『これを見て欲しいの』
明かりが付くとそこにはお風呂とサウナ付きの立派な日本庭園があった。植わっている植物も、ツツジや桜、紅葉など日本を象徴するような植物ばかりである。庭園の美しさにも感嘆したが、彼女が内に秘めている日本を愛するこころに感心してしまうばかりである。
最後にお礼を言って、ブログの記事に使用する写真の許可の話しをしていると、
『教室や私の個人的は話しは全く問題ないわ。でも家の庭園の写真は載せないで。グアテマラって出るものを叩くっていうか、妬みや羨望が多いのよ。もし親戚が見てしまったらちょっとまずいわ』と言った。
私はもちろん問題ないと言ってその場を後にした。
20分後、電話が鳴った。キラさんからだった。
『ごめんなさい、やっぱり写真載せてもいいわよ。よく考えたら私が嫌な思いをするリスクより、あなたを通して日本の人達にこんなに日本のことを思っている人間が地球の反対側にもいるということを知ってもらう方が大事だもの。あなたの仕事って素晴らしいわね』
キラさんらしいと思った。
今日の夜空はグアテマラへ来てから一番美しかった。
ERIKO