
アティトゥラン湖
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アティトゥラン湖が一望できる船着き場のレストランで朝食を食べ、パナハッチェルから小型船でサンティアゴ・アティトゥランへ向かう。
アティトゥラン湖周辺には12の村と町があり、それぞれキリスト教の12の聖人の名前が付けられている。
たくさんの村がある中でサンティアゴを選んだのには理由がある。
それはマシモンと呼ばれる520年ほど前に作られたマヤの宗教的偶像を見ること、星の王子さまに出て来る“うわばみ”がゾウを飲み込んだ絵のモデルになったCerro de Oro(金の丘)を見ること、染織家 児嶋先生のプロジェクトである天然染色の実習センターを訪問することである。
アティトゥランの湖面は太陽の光に反射し、艶やかなシルクの布が敷かれているかのようである。
サンティアゴまでは小型船で30分。到着すると建設中の灰色の建物群が見える。小さな村かと想像していたが立派な町である。
サンティアゴ・アティトゥランは、マヤ先住民のツトゥヒル族が住む町で、彼らはアティテコと呼ばれる。湖の反対側に移動しただけで違う言語が話されているなんて、なんだかとても不思議な感覚である。
児嶋先生が紹介して下さった、隣り町に住む村岡さんが町を案内して下さった。村岡さんは以前JAICAのシニアボランティアとしてグアテマラを訪問し、現在は個人で天然染織の支援事業活動を行われている。
普段ツトゥヒル語が母国語のタクシーの運転手のデビッドさんは、少しぎこちないスペイン語で村の話しをしてくれる。日本は島国で海に囲まれていると話すと、目を丸くして驚いていた。
山を登っていく途中に、うわばみの絵そっくりに見える位置に辿り着いた。この場所はサンティアゴを良く知る村岡さんが、どこが一番絵と同じように見えるかを探して見つけた貴重な場所でもある。
サン・テグジュペリがいつここへ来たのかは定かではないが、グアテマラで飛行機事故にあった療養中に立ち寄ったのだろうと思う。以前からとても気になっていた絵だったので、実際に目にすることができて本当に嬉しい。
日本政府の援助で建てられた天然染織実習センターは、チュクムクという地域にある。この周辺は、台風スタンで村が崩壊したあと、スペインのアンダルシア地方の支援を受けて復活した村であり、アンダルシアは実習センターで使われる道具なども支援している。
まだ施設は開設してはいないが、来月には児嶋先生を中心に、染織の先生を育成するコースがスタートする予定である。
町へ戻ると、雨でどこもかしこも洪水のようになっている。
5月7日に新しい場所へ移動したというマシモン像は、メイン通りから裏路地に入った民家の中にあった。
今日はマシモンの衣装を取り替えるという特別な日だそうで、たくさんの人達が集まっている。
ロウソクと花、供え物に囲まれたマシモンがいる部屋は、カラフルな色紙と供物であるイノシシの剥製が天井からぶら下がっている。
部屋は匂ったこともない古い押し入れを久しぶりに開けたときのような強いお香の煙が充満している。
マシモンはマム=古い、老人、シム=縛られたという語源を持ち、その名の通りピトの木に布が着せられており、布は糸で何度も縛られている。
オリジナルの名称はツトゥヒル語でリラッハ・マム。口にはタバコがくえられており、ボリビアのエケコ人形を思い出させる。
シンクレティズムの神と言われ、この地域の祖霊のような存在である。
マシモンの隣りにはイエス・キリストの像が横たわっており、マヤ文化とカトリックが融合したものだと見て取れる。エバンヘリコであるペドロさんは、中に入ろうともせず大雨の中外で待機している。
男性が交互にマシモンの前で祈りのような言葉を唱えては去って行く。
小さな空間は出口を求めたくなるような圧迫されたエネルギーが充満し、私は10分も中にいられなかった。
ツトゥヒル族の伝説では、このマシモンはチュコッシュ・アコム(薬草のへそ)という場所で生まれたと言われている。聖なるキノコに囲まれたピトの木を探せという夢を見た一人の人間が、サン・ルーカス火山の麓へ行くと突然稲妻が走って木が割れ、その木の中は空洞になっていてうっすらと顔の形をしていたことから、それを彫刻しマシモンを作ったとも言われている。
アティテコの人達やマヤの人達にとって夢は極めて重要なものでもある。
神聖な場所で、マシモンの後ろに座っている上機嫌の酔っぱらいのおじさん達に絡まれながらその場をあとにした。
遅いランチを食べ、村岡さんは愛犬のオソと一緒に帰って行き、私たちは青いビニールシートに被せられた小船でパナハッチェルへ戻り、その足でグアテマラ第二の都市、ケツアルテナンゴへ向かった。