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昨日は朝から爽快な晴れ間が続き、12階の家族が働くオフィスからは、アグア火山、パカヤ火山、サンティアギート山がくっきりと見えた。
パカヤ火山から何やら煙りのようなものが出ているなと思っていたが、実は昨日から噴火が始まっているようだった。従って計画していた登山は残念ながら次回に持ち越しとなる。
空いた時間にシティーの中心地にある、Centro Historico(歴史中心地区)に足を運んだ。ここには中央公園広場を中心にネオクラシック調の大聖堂、ホルヘ・ウビコ暴君によって建てられた国家宮殿などが建てられている。
市内を車で走っていると、ゾーンごとに建物の系統や雰囲気がそれぞれ違い、一つの町の中でそれぞれ異なった生活が繰り広げられているのが想像できる。
染織家の児嶋英雄先生に会えることになった。
児嶋先生の名前はエルサルバドル滞在中何度も耳にしており、その活躍ぶりや生徒からの信頼はとても熱いものであった。私が滞在していた家のアニーさんや、知り合ったロレンソさん、クルシータさんは児嶋先生の教え子でもある。
『時間厳守でお願いします』大使館の方から念を押され、私は勝手にとても厳格な方なのではと想像を膨らせて、日本では当たり前だった“きっちり”の感覚をとても遠くに感じた。
約束の10時1分前に家のベルを鳴らすと、吠える犬と一緒に奥さんが扉を開けてくれた。
藍色の服がよく似合う児嶋先生は、優しい笑顔で迎えてくれた。
新潟生まれの児嶋先生は、多摩美術大学グラフィックデザイン科の卒業生で、同期であるデザイナーの三宅一生氏とはこの時から親交がある。三宅氏は児嶋先生のところに何度も教え子を送ったりもしており、ZUCCAのデザイナー小野塚氏はグアテマラへ来てその先住民衣装に感銘を受けた一人である。
児嶋先生はたまたま日本に来ていたメキシコ展を見た時に、そのデザイン性に衝撃を受けメキシコを訪問する。そして滞在中、ビザの交換で訪れたグアテマラで民族衣装をまとった人々の多さに衝撃を受け、拠点をグアテマラへ移す。
『はじめはお祭りかと思いました。メキシコだと、民族衣装を着た人には山奥か祭りの時でないと見られませんでしたから。それを見た時は“これだ!”と思いましたよ』
その後、考古学、人類学などの周辺学問を勉強する傍ら、グアテマラの染色民族衣装の研究を始める。
『天然染料の研究を進めていると、エルサルバドルの藍が頻繁に出て来るようになりました。これは一度行かなければと思い訪問し、田舎の人達の藍の知識の深さに驚かされました。その時に、一度消滅してしまった藍の文化をまた地方産業として復活させたいと思いました』
児嶋先生はエルサルバドルの藍染めを見事復活させた。今ではエルサルバドルの観光広告のイメージにも使われるほど、“藍”は定着している。
『グアテマラにはたくさんの素晴らしい手織りの製品があります。マヤ時代は天然のものを使っていましたが、今はほとんどが科学染料を使っています。染料になる植物は山のようにあるのに技術がない。とてももったいないと思います』
児嶋先生は現在、アティトゥラン湖の周辺を中心に、先住民族の人達に染めの技術を指導している。
『私は昔を掘り起こすようなマヤの時代の古い文化を復活させたいという思いはありません。材料はあって、需要があるのにこの2つが結びついてないというもったいなさのためにやっています。むしろ、トレンディなことなのではないでしょうか』
現在日本のODA協力が加わり、サンティアゴ・アティトゥラン村に、天然染料の研修センターが建とうとしている。研究所ではなく実習センターというのはアメリカ大陸でもここが初めてになるのではないだろうか。
先生にどうして色や染めに惹かれるのか聞いてみた。
『美しいから、それだけです。また僕は戦時中、身につけていたのは全て兄のお下がりでした。新品の学生服を着た時に、本当に良いのか?と思ったくらいです。その頃“もったいない”精神が体に染み込んで、もったいない物をみるとどうにか生かしたいという気持ちになるんです』
翻訳したという本を見せてもらうと、それは私が旅の出発前に、駐日グアテマラ大使館のバイロン・レネ・エスコベド・メネンデス大使からもらった本だった。
他にもコパン遺跡を50ドルで購入した、ジョン・ロイド・スティーブンスの本も翻訳されている。
人生で起る出来事の一つ一つの点はこうして繋がっていくのだと感じた一瞬だった。本当は人生に起る一瞬一瞬の出来事を取り逃してはいけないのである。
『今やっているプロジェクトが終わったら私は引退します』
2時間に及ぶ児嶋先生との会話の中で、先生が一番美しい表情をしたのは、染めの話しをしている時だった。ワクワクした気持ちが溢れ出て、笑いをこらえながら幸せそうに話していた。そのエネルギーで私も何か目に見えない大切なものをもらった。
ワクワクする気持ちは他人を動かす。
先生は一生、真の染織家であり続けるだろう。