ロアタン島の地図 私が滞在するのは鉛筆で指したPunta Gorda



5/23

 昨日の滝修行が祟ったのか、熱が出してしまった。久しぶりに風邪という風邪を引いた。今日はカリブのロアタン島へ出発する日。

 カリムさんや子供達は早朝に出かるので、カリムさんのお母さんが私の朝食に付き添ってくれる。足が悪いのに、パンを焼いたり紅茶を入れてくれたりする。
『もう行ってしまうんだね・・・』
私は昔からおばあちゃん子だったせいか、到着した日からカリムさんのお母さんにべったりしてしまっている。皺のよった柔らかい肌はなんだか安心する。
お昼まで休み、お手伝いさんやお母さん、そして大変お世話になった娘のエイミーさんに別れを告げて、空港まで運転手さんが送ってくれた。

 カリムさん一家はみんな謙虚で礼儀正しく、これまで出会ったホンジュラス人のようにとても温かい人達だった。カリムさんはアメリカの大学で建設のエンジニアの勉強をしたのち、クエートへ渡るも、クエート戦争が始まってしまった関係と、キリスト教徒でいることの難しさから、親戚を訪ねてホンジュラスへ移住した。昔は相当な苦労をされたのだということは、彼の話しだけではなく、カリムさん自身や彼の家族の振る舞いから十分に伝わってくる。家族は父親を尊敬し、それぞれの役割を果たして、まるで一つのチームを見ているようだった。もっと学びたいことはたくさんあったが、時間というのは限りがある。



                     SOSA航空



 ロアタン島へは
SOSA航空で45分。直行便に乗り込んだつもりが、途中の島を経由し、到着したのは2時間後だった。
ロアタン島は、カリブ海に浮かぶ
Islas de la BahíaBay Island)にある、グアナハ、ウティラ、バルバレッタの内に一番大きい島である。ちなみにバルバレッタはアメリカが購入したため、アメリカ領となっている。

 サンペドロで取材をしてくれた
Tiempoのカメラマンのロベルトさんが、『ロアタンに行くなら是非現地の人を紹介しますよ』と、ロアタンで教会の牧師と会社経営を営む、ホエルさんを紹介してくれた。

『明日こういう子が行くので是非島を案内してくれませんか?』
『もちろん、任せて下さい!明日空港で待ってます』

 ロベルトさんのお願いにホエルさんは二つ返事してくれた。
空港で随分待たせてしまったが、ホエルさんが嫌な顔一切せず『よく島へ来てくれました!』と喜んで歓迎してくれた。

 『色々な文化に興味があると聞いたので、ガリフナの人にお願いして家に宿泊させてもらうように言っときましたから、心配しないで下さい』

 ロアタン島は、アメリカ人やヨーロッパ人のリゾート地、ダイビングスポットとしてよく知られているが、“ガリフナ”というアフリカ人とカリブ先住民の混血の末裔が住んでいる場所でもあり、未だにガリフナ語が話されている稀有な土地でもある。

 ホエルさんは、ロアタン島の向かいにあるセイバ県出身で、もう何十年も島に住んでいる。車で今日宿泊する
Punta Gorda(プンタゴルダ)まで走る。窓から景色を眺めていると、黒人や白人、メスティソなど様々な人種を見かける。



                                                          サトゥイェの像


 『1797412日、セント・ビンセント島からサトゥイェがキャプテンを務めるガリフナ人を乗せた船が、スペイン人との戦いの後に流れ着いたのがロアタン島です』

 小さな広場にはサトゥイェの像が立ててある。滞在先に着くと、主人のアレックスさんと奥さん、子供達が挨拶してくれた。
荷物を下ろしたあと、ホエルさんが家を案内してくれた。海辺に立つ引っ越したばかりの家には、奥さんと
6才の娘さんがいる。

 今日はホエルさんの誕生日ともあり、夕方にはトラックに
30人以上の親戚がバースデーソングを歌いながらお祝いに駆けつけた。ロアタン1日目は賑やかな島の人とおめでたい日を共に過ごした。    

ERIKO