コパン


5/21

 アルゼンチンのパタゴニアでお世話になったウーゴさんからメールが届いた。内容は私の旅が順調に続いていて嬉しいということと、もう一つ、ドロンズさんのプエルト・サンタクルスのミッションで出会ったマリオさんが先日亡くなったという知らせだった。
私がマリオさんに出会ったときも、彼は体の不調を訴えていて、手術を何度がしたと話していた。
マリオさんはドロンズの石本さんが、電波少年の特番で、もう一度会いたい人に選んだ人でもあり、彼らにとってもとても思い入れの深い人で、もちろんマリオさんにとってもそうだった。これから大島さんに伝えようと思うが、彼らが再会を実現する前に亡くなってしまって本当に残念である。
どこまでも横に伸びる地平線と冷たい風の吹く、どこか切ないパタゴニアの地とマリオさんの控えめな笑い顔と静かに流した涙が頭から離れない。

 ホステルのおかみさんにバス停まで送ってもらい、サンペドロ・スーラへ向かう。サンペドロはホンジュラス第二の都市で、昔から
Cortesという港が近くにあることから商業都市と栄えた。ドイツ、フランス、アラブ、レバノン、シリアなど多くの移民者が住む都市でもあり、移民者の多くはサンペドロでのビジネスを盛んにしている。

 バス停にはお世話になる、日本名誉領事のカリム・クバインさんの娘、エイミさんが迎えに来てくれていた。お家というより邸宅と言った方が好ましい住まいは、領事館に隣接しており、日本の旗がはためいている。カリムさんと奥様はパレスチナ人で、
7人の子供がいる。
家ではアラビア語がメインに話されているが、一番下の
6才の娘まで全員英語、スペイン語、アラビア語のトライリンガルである。私は以前からアラビア語にとても興味があって、美しい響きといつもと違う雰囲気になんだかワクワクする。



           説明してくれる館長のテレサさん


 到着するやいなや、ホンジュラスの大手新聞社“Tiempo”の記者さんたちがインタビューに来てくれ、取材が終わった後は彼らも同行して人類学歴史博物館を訪ねた。人類学者である館長のテレサさんが案内してくれた。
実は今日は休館日なのだが、特別に開けてくれ館長直々に説明をしてくれることになった。白髪で長い三つ編みを編んだ髪にピンクの刺繍の服がよく似合う。



博物館に展示してあるカリムさんの家族が移民した時の写真


 この博物館はサンペドロ市で一番初めに建てられ、今年で20周年になる。コレクションは主にValle de sulaで発掘されたメソアメリカ文明の物が展示されており、1階にはサンペドロ市の歴史やガリフナ族の文化が分かりやすく説明されている。
『私はメキシコ人なんだけど、もうホンジュラスに住んで
20年になるわ』
テレサさんはメキシコや中米の話しを加えながら、手を抜くことなく約2時間たっぷり博物館を隅々まで紹介してくれ、最後に本まで頂いた。
彼女は私の名刺に付いているフクロウがとても気に入ったようで、プレゼントをもらった少女のように目を輝かせて喜んでいた。

 夕食は主にアラブ料理。名前が複雑で覚えていないが、初めて食べる物ばかりだった。カリムさんのお母さんも同居していて、スペイン語が流暢に話せるには驚いた。
子供も美人揃いでしっかりしていて素晴らしい家族である。



       カリムさん一家  右:カリムさんと奥様

ERIKO