
そこら中を飛び交うオウム達
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昨晩は近所で鶏のコンサートが盛大に行われ、数時間しか眠れなかった。
朝ご飯を買いに近所の店まで行く途中もすれ違う人達が『おはよう』と笑顔で挨拶してくれる。ホンジュラス人は男性も女性も、焼きたてのサツマイモみたいにほっこりした、素朴な印象を受ける。
9時にコパン遺跡をガイドしてくれるフリオさんが迎えに来てくれた。フリオさんも物腰が柔らかく、穏やかな空気が漂っている。
フリオさんはかれこれ12才の時からガイドのような仕事をしている。
コパンでガイドが出来るのは、国が公認している学校で、歴史・考古学の試験を受けて資格を取得した人のみである。
最後の王、ウモモノによって建てられたセレモニーの神殿
1577年にスペイン人のドン・ディエゴ・ガリシア・パラシオスによって発見されたコパン遺跡は、その当時、金を探し求めていたスペインには興味の対象ではなく、1834年にアメリカ人のアーミー・ジョン・ガリンドが発掘調査を始めるまで手つかずのままだった。アメリカ人の歴史家が多く訪れようようになり始めた頃、その内の一人だった、ジョン・ロイド・ステファンスがたった50ドルでコパン遺跡を買収した。本格的に考古学者が盛んに来るようになったのは、1890年以降で、現在チケット小屋のある目の前の広場には、セスナの滑走路が設けられていたあとが残っている。
日本はコパン遺跡の遺産調査、救済、保存への技術・資金協力を世界で初めに行った国であり、マヤ考古学者の中村誠一氏が長年に渡り発掘調査などを行っている。
1レンピラのお札にもなっているモニュメント
マヤでは太陽の神と言われているオウムたちが遺跡の出入り口を飛び回っている。鮮やかな色の大きな鳥が空を横切るだけで景色は異空間に変わる。
コパンとはスペイン人がのちに付けた名前で、マヤの言語では“チュピ”(鳥・コウモリの町)と呼ばれる。マヤには動物と自然に例えられる神様が数多く存在するが、その中でもマヤのシンボルとなっているのは、100レンピラ札にもなっているコウモリである。
遺跡の集落を歩くと、地面にはセラミックのカケラがゴロゴロと落ちている。フリオさんはマヤ文字の読み方や遺跡と天文学、太陽との関係など、ゆっくり説明しながら案内してくれる。
『このコースを1時間で周ってしまうガイドもいます。でも僕はせっかくコパンのためにここへ来てくれた人達に出来るだけ多くを見せたいので、僕のコースはいつも長くなっちゃうんです』
マヤの知識が浅い私に、フリオさんは時には日陰に腰掛けて分かるまで丁寧に教えてくれる。
神殿のあるひらけた場所は、黄緑の芝生と遺跡群が絶妙にマッチして、一つの芸術品のようである。
一通り回った後は、博物館を訪問した。
“アンダーワールド、今世、地上”の3つのテーマに別れた展示は、野外にあったレプリカの本物が並んでいる。とても見やすく圧巻的な博物館だった。
昼ご飯を食べる暇もなく、“Luna Jaguar Spa Resort”(ルナ・ハグアル・スパリゾート温泉)へ向かう。
ホステルに戻ると誰もいなかったので、ガイドのフリオさんに知り合いを紹介してもらい手配を行った。
山奥にある温泉までは車で45分。ガタガタの山道を走っていく。ホンジュラスは中南米で唯一火山がない国で、この温泉はグアテマラの火山帯からの影響で出ているのだそう。入浴個所は全部で10カ所以上あり、ドロパックも出来るようになっている。
どのお湯も質が良く、個人的には90℃の源泉近くの湯煙に囲まれた硫黄の臭いがするお湯が良かった。
コスタリカの温泉もザ・リゾートという感じで良かったが、ここはスタッフが先に一緒に回ってそれぞれのお湯について説明してくれ、とてもアットホームでホンジュラスらしさがある。
肌もツルツルになって、コパンの町へ戻りオシャレなカフェレストランでタイ・カレーを食べた。味は文句なしの100点!
コパンにはこの他にも、カノピーや乗馬などたくさんのアクティビティが楽しめる。訪問を予定している人は最低でも2~3日は日程をとった方が良いだろう。明日はサンペドロ・スーラへ移動する。
ERIKO