
ホヤ・デ・セレン遺跡
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エルサルバドルで滞在している家族のアニーさんは、藍染めのアーティスト。初めてこの家に来た日に、天然の藍や藍染めの製品がたくさんあって驚き、サルバドルと日本の関係が藍によって繋がっていることや、とても深い歴史があることなどを徐々に知っていった。
エルサルバドル最後の日は、遺跡巡りと藍染めを知る日となった。アニーさんが2002年に、ジェトロの開発途上国産業育成支援のプログラムで、徳島県へ藍染め技術を学ぶために日本へ渡った際に同行した、ロレンソ・アマジャさんとアニーさんのお父さんで、まずは世界遺産である、ホヤ・デ・セレン遺跡へ向かった。
水曜日は学生無料の日だそうで、駐車場には学生を乗せた何台ものバスが止まっている。早く到着したので、近くの売店でコーヒーを飲んでいると、次から次へと来るお客さんに店員と間違えられる。今日も現地料金パスの期待が高まる。
ホヤ・デ・セレンは1976年という比較的最近発見された遺跡であり、マヤの人々がどのような生活を送っていたが見ることが出来る貴重な遺跡である。緑に囲まれた順路は、珍しい植物や大木なども観察でき、一石二鳥。乾いた土の遺跡の壁には、しっぽの先がハートの形をしているニカラグア、エルサルバドルの国鳥でもある“トロゴス”という珍しい鳥が巣を作っている。トロゴスはニカラグアのレオンの遺跡でもたまたま見かけた、ずっと見ていても飽きない美しい鳥である。
16~19世紀にかけて、エルサルバドルでは大規模な藍産業が行われていた。主にスペインの皇族達は、その美しさや虫除けなどに藍製品を利用し、イギリスの産業革命時代には、たくさんの藍製品が輸出されていた。
その後、科学塗料の使用により、天然の藍の需要は格段に減り、藍産業は事実上消滅してしまう。
ロレンソさんは、その藍をエルサルバドルに復活させた張本人である。
『藍に関わる前は、文化人類学者として、神話や民俗学、村の文化に付いて研究をしていました。その時に、初めて“藍”があったことを知り、私の祖父母が藍の生産に関わっていたことや、藍によってエルサルバドルの文化と人々を助けたいと思いました』
ロレンソさんは、お礼を言う時に頭を下げる謙虚な人である。話しをする時は、相手が聞きたいことを考えて話しをしてくれる。
『藍のことを学んでいくうちに、90才後半の藍に詳しいホンジュラス人の男性に出会いました。彼は“うちで良ければ藍を学びに来ても良い”と言ってくれ、私は彼の家に住み込みで修行に行きました』
当時エルサルバドルの田舎では、藍は毒があるとか、不清潔だとか色んな噂が飛び交っていた。ロレンソさんは自分の足で一軒一軒家を訪ね、藍の正しい知識を伝え歩いた。地道な努力の積み重ねで、日本からの援助を取得し、今では天然の藍文化を蘇らせることに成功している。
今日のクラスは学生たちで大盛り上がり。エプロンと手袋を装着して、藍染めを楽しんでいた。
現在カサブランカ遺跡がある場所は、もともとコーヒー農園であった。遺跡は1940年アメリカ人によって発見され、1995年から現在に至るまで、京都大学、名古屋大学の伊藤伸幸教授を中心に発掘調査が行われており、敷地内の建物は日本の援助によって建てられている。
カサブランカの遺跡 手前の石は生け贄が行われていた場所
カサブランカのオフィスで働くマリオさんが遺跡と博物館の説明をしてくれた。やはり説明を聞くと、見る価値は数倍違うように感じる。最後は、タスマル遺跡を訪ねた。
人から聞いていた話だと、神殿の規模としては小さいというが、私にとっては人生で初めて見るマヤ神殿だったので、とても印象的だった。
タスマルはナグアキチュー語で、“魂を吸い取る場所”という意味を持つ。天文学に基づいて建設されたピラミッド構造の大神殿とその西側に小さな神殿が建っているが、2005年の台風によって大部分が損傷している。
神殿の下段はシャーマンが住んでいた場所で、天辺はカメの形に似せて作られている。一度に約200個の卵を産卵するカメはマヤの人達にとって子宝の象徴で、子孫繁栄の意が込められているのだそうだ。
『世界で優れた能力を持っていたのは、マヤ人とオルメカ人です。日本人であるあなたはオルメカの、エルサルバドル人である私はマヤの血を引いてますね』
ギジェルモさんは短時間で大切な要点をピンポイントで丁寧に説明してくれた。
『また来て下さったら、いつでも何でも説明しますから!』
こうして遺跡ツアーは幕を閉じた。
今日訪ねたエルサルバドルの観光施設はきちんと整備されており、森林の中の手入れも行き届いていた。最後まで同行してくれたロレンソさんにお礼を言うと、
『Siempre quiero ser util y dejar una huella.私は自分の人生が他の人の何か役に立つように生きてますから。こんな私でも何かお役に立てたならこれ以上のことはありません。今日は私を同行させてくれてありがとうございました。どうぞこの先の旅も気を付けて』
と、深々と頭を下げて緑色の家へ帰って行った。
一日ロレンソさんと一緒に過ごす間、遺跡のチケット売り場では『ロレンソさん!お元気ですか?お金はいらないから、どうぞ皆さん中へ入って』などと、色んな人達から温かい声を掛けられる彼を見て、自分が与える全てはそのまま自分に返ってくるんだなと改めて感じた。
いつでも笑顔で、困難に遭遇しても小さな出口が見つかるまで探す。藍に捧げる彼の人生は、豊かで美しい。