道で清掃活動を行う男性 Tシャツもプロジェクトのもの
何十台ものベッドが連なる針治療室は満室で、診察と診察の合間を見計らって八巻先生が出てきて下さった。柔らかいオーラに包み込まれた言葉なくして優しさが伝わるような雰囲気の人だ。苦労された方なんだなと直感した。
『カルロスが案内させて頂きます。僕ちょっと詰まってまして・・・後ほどお会いしましょう』
八巻先生のお父様は自彊術の手技療法の大家で、八巻先生は医者を目指して大学を受験するが失敗し、法学部へ進むのを余儀なくされ、その後は民間企業で勤務していた。
“何かが欠けている”という自問が解けず、30歳の時、鍼灸按摩マッサージ指圧師の資格を取得し、玉川病院で勤務する傍ら、西洋医学を必死で学んだという。
『病院に勤務して4年が経った時、“中米ニカラグアで、内戦に傷ついた人々を救おう。鍼灸ボランティア求む”という記事に目が留り、発展途上国で東洋医学がどれだけ通用するのかをこの手で試してみたいと思い、ニカラグア第二の都市、レオンにある保健所で治療を始めました』
当時のニカラグアは内戦中で、スーパーの棚には何もなく、市場の蠅の群れをかき分けて食料生活用品を探し、断水、停電は日常茶飯事という今では考えられない時期を経験されている。
八巻先生の治療院は東洋医学といえど、通常の病院で行われるような血液検査やエコーなどの設備もあり、東洋医学と西洋医学の両方の技術を取り入れて治療を行っている。処方される薬はニカラグアで取れる自生の薬草などの自然のもののみ。
指圧と薬学を学べる5年制の大学内には治療院が設置されており、4年生の生徒達が、通常の治療費の支払いができない貧しい人達に低料金、または無料で治療を提供できるスペースが設けてある。建物のあらゆる所に、八巻先生の優しさと愛が感じられる。
せっかくなので私も指圧治療を受けさせてもらった。指圧治療院内は15台のベッドがカーテン越しに並び、ほぼ全てのベッドで治療が行われている。ここまでは日本でもよく見かける指圧院だろう。
八巻先生の治療院が違うのは、施術者の中に5名の盲目者が働いていることである。先生は視覚障害者教育を行っており、ほぼ毎朝、先生が直々に視覚障害のある生徒達に日本語を教えている。
しかしどうして聴覚や発話に障害がある人ではなく、視覚障害者なのか気になった。
『按摩の課外授業で初めて全盲の先生にお会いし、一人で何でもこなす生き様に感銘を受け、自分を省みる機会を頂きました。いつか先生に恩返しがしたいと思い続け、視覚障害者に指圧按摩を教え、社会参加を試みるというプロジェクトを始めました。実現したのは恩返しを心に秘めて30年後のことでした』
ニカラグアには推定7,000人の視覚障害者がいると言われており、国そのものが貧しいため、障害者に対する政策は最後の最後というのが現状。世間帯を気にして家の中に閉じ込める家族も少なくない。
視覚障害者への教育は、ルクセンブルグ公国から支援されている点字の教材などが使用されており、視覚障害者教育30年の経験を持つ全盲の講師が日本のJAICAから派遣されている。
今では38名の卒業生が立派に社会で働いている。受付で出会った盲目の施術者の男性は流暢な日本語で自己紹介してくれた。
指圧の技術はとても高く、長旅と事故で傷めた足と肩こりが随分とよくなった。
『東京の六本木で育ち、華の銀座でサラリーマン生活をし、何不自由ない豊かな生活から、ニカラグアでの様々な出来事はとても新鮮なものがありました。物はありませんでしたが、ニカラグア人は物への執着がなく、共通の連帯や、明るさ、踊り、恋、夢がありました。人間の本当の幸せって物やお金ではないんだな、とニカラグアが教えてくれました』
WHOと協定が結ばれた先生の夢の治療院で学んだ若者達は、今、アフリカの人達へ東洋医学を使った協力がしたいとプロジェクトを進めている。八巻先生の夢は日本からニカラグアへ、そして世界へと羽ばたいていく。
ERIKO
5/4
土曜日、マナグア市内ではゴミ袋を片手にゴミを拾う人達をあちこちで見かける。週末に行われる清掃活動は政府が推進しているプロジェクトで、順番が来る会社ごとに強制でゴミ拾いやペンキ塗りを行っている。
市内にはゴミ箱が3mごとに設置されており、ポイ捨ては厳しい罰金が課せられる。その効果か町にゴミはほとんど落ちていない。私のマナグアの印象はとにかく道路がきれいなことである。
何十台ものベッドが連なる針治療室は満室で、診察と診察の合間を見計らって八巻先生が出てきて下さった。柔らかいオーラに包み込まれた言葉なくして優しさが伝わるような雰囲気の人だ。苦労された方なんだなと直感した。
『カルロスが案内させて頂きます。僕ちょっと詰まってまして・・・後ほどお会いしましょう』
八巻先生のお父様は自彊術の手技療法の大家で、八巻先生は医者を目指して大学を受験するが失敗し、法学部へ進むのを余儀なくされ、その後は民間企業で勤務していた。
“何かが欠けている”という自問が解けず、30歳の時、鍼灸按摩マッサージ指圧師の資格を取得し、玉川病院で勤務する傍ら、西洋医学を必死で学んだという。
『病院に勤務して4年が経った時、“中米ニカラグアで、内戦に傷ついた人々を救おう。鍼灸ボランティア求む”という記事に目が留り、発展途上国で東洋医学がどれだけ通用するのかをこの手で試してみたいと思い、ニカラグア第二の都市、レオンにある保健所で治療を始めました』
当時のニカラグアは内戦中で、スーパーの棚には何もなく、市場の蠅の群れをかき分けて食料生活用品を探し、断水、停電は日常茶飯事という今では考えられない時期を経験されている。
八巻先生の治療院は東洋医学といえど、通常の病院で行われるような血液検査やエコーなどの設備もあり、東洋医学と西洋医学の両方の技術を取り入れて治療を行っている。処方される薬はニカラグアで取れる自生の薬草などの自然のもののみ。
指圧と薬学を学べる5年制の大学内には治療院が設置されており、4年生の生徒達が、通常の治療費の支払いができない貧しい人達に低料金、または無料で治療を提供できるスペースが設けてある。建物のあらゆる所に、八巻先生の優しさと愛が感じられる。
せっかくなので私も指圧治療を受けさせてもらった。指圧治療院内は15台のベッドがカーテン越しに並び、ほぼ全てのベッドで治療が行われている。ここまでは日本でもよく見かける指圧院だろう。
八巻先生の治療院が違うのは、施術者の中に5名の盲目者が働いていることである。先生は視覚障害者教育を行っており、ほぼ毎朝、先生が直々に視覚障害のある生徒達に日本語を教えている。
しかしどうして聴覚や発話に障害がある人ではなく、視覚障害者なのか気になった。
『按摩の課外授業で初めて全盲の先生にお会いし、一人で何でもこなす生き様に感銘を受け、自分を省みる機会を頂きました。いつか先生に恩返しがしたいと思い続け、視覚障害者に指圧按摩を教え、社会参加を試みるというプロジェクトを始めました。実現したのは恩返しを心に秘めて30年後のことでした』
ニカラグアには推定7,000人の視覚障害者がいると言われており、国そのものが貧しいため、障害者に対する政策は最後の最後というのが現状。世間帯を気にして家の中に閉じ込める家族も少なくない。
視覚障害者への教育は、ルクセンブルグ公国から支援されている点字の教材などが使用されており、視覚障害者教育30年の経験を持つ全盲の講師が日本のJAICAから派遣されている。
今では38名の卒業生が立派に社会で働いている。受付で出会った盲目の施術者の男性は流暢な日本語で自己紹介してくれた。
指圧の技術はとても高く、長旅と事故で傷めた足と肩こりが随分とよくなった。
『東京の六本木で育ち、華の銀座でサラリーマン生活をし、何不自由ない豊かな生活から、ニカラグアでの様々な出来事はとても新鮮なものがありました。物はありませんでしたが、ニカラグア人は物への執着がなく、共通の連帯や、明るさ、踊り、恋、夢がありました。人間の本当の幸せって物やお金ではないんだな、とニカラグアが教えてくれました』
WHOと協定が結ばれた先生の夢の治療院で学んだ若者達は、今、アフリカの人達へ東洋医学を使った協力がしたいとプロジェクトを進めている。八巻先生の夢は日本からニカラグアへ、そして世界へと羽ばたいていく。
☆ El plato del hoy 今日のご飯☆
ERIKO