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サン・ホセ市は標高が約1,170mあるため、夜は涼しく過ごしやすい。太陽の日差しもそれほど強くなく、外に出ると少しほっとする。
シニアさんの息子、アレハンドさんがサン・ホセ市を案内してくれた。アレハンドさんはプロのサルサミュージシャンとして活躍している。お母さんのシニアさん同様、人のお手伝いをするのが好きで、絵に描いたような良い人である。
サン・ホセの中心街は観光名所が集まっていて見て回りやすい。駐車場に車を止めて町を歩く。お店が立ち並ぶショッピング街は遊歩道になっていてとても歩きやすい。ブエノスアイレスのフロリダ通りを縮小したような感じである。フアン・モラ・フェルナンデス広場の前にある国立劇場へ入る。
2階にはパーティーなどが行われていた社交場やシガールームなどがある。メイン劇場は実際に劇をみたらとても見やすそうなコンパクトな広さである。
1階の観覧席はステージより1mほど低いが、ダンスパーティーが行われる時などは、床をステージと同じ高さまで手動で上げることができるのだそうだ。
ガイドをしてくれたジェファーさんは、以前日本のトラベリックスというTV番組でもこの劇場を紹介したことがあるらしい。
『チップはいらないので、劇場の素直な感想を良かったらインターネットに載せて下さい』と言っていたのが印象的だった。
コスタリカ人(現地ではTico ティコと呼ばれる)は自分たちの国のイメージをとても大切にする人達なので、彼は典型的なTicoなのであろう。
昼食はメルカード(マーケット)の出店で、“オジャ・カルネ”というコスタリカ定番の肉のスープと蒸し野菜を食べた。中南米の暑い気候の人は温かい食べ物をよく食べる。牛肉のダシがしっかり出ていてコクのある美味しさだった。
満腹になった後は、サン・ホセ市の南、“Barrio de Sur”(南地区)へ移動し、公立の小学校を訪ねた。この辺りは貧困街で、市内とは雰囲気が少し違う。昼休憩中だった、サンフェリッペ小学校に到着すると、白いシャツに紺色の制服を着た子供達が遊戯スペースで走り回っている。
教頭先生のセルヒオさんが授業中のクラスを案内してくれた。
サンフェリッペ小学校は公立の学校で、午前中と午後の2部制になっており、午後は高学年の生徒達が学びに来ている。15才以上を対象にした“Auras Abiertas”(開放クラス)も設けており、幅広い年齢の人達がこの学校へ通っている。
コスタリカは1949年、軍隊の廃止を記した平和憲法を定め、常備軍を放棄し、軍事予算を教育、社会福祉、自然環境保護などの社会開発に当てている、世界で唯一の非武装永世中立国である。そのため、中米の中でも特に教育に力を注いでいる国と言われている。
全校生徒は900人、1クラスに約30名の生徒が在籍し、先生は非常勤者も含めれば約70人。クラスは日本のように年齢別ではなく、実力別になっているため、同じクラスで2~3才の年齢の差がある。その理由は経済的な問題で学業に従事できないというケースが多い。
6年生のクラスで、“日本のイメージは?”と質問してみると、高層ビル、テクノロジー、お米を箸で食べる、中国と韓国と仲が悪いなどと様々な回答があった。驚いたのは日本、中国、韓国のそれぞれの違いを彼らなりに感じていたことだった。
中南米の主な歴史の授業の流れは、中米→南米→北米→ヨーロッパ史で、アジアやアフリカ圏にはほとんど手をつけることがない。それは日本も同様で、北米やヨーロッパ、日本史はしっかり勉強するが、それ以外の地域は言ってみれば未知である。英語の教科書にもアフリカや中南米の話しが取り上げられているケースは極めて少ない。日本と中南米・カリブ諸国がお互いに距離とは別の“遠さ”を感じてしまうのは、教育から来ていることなのかもしれない。
彼らの将来の夢は、音楽家、サッカー選手、エコツーリズムのガイドなど国柄がよく現れている答えだったが、中には納棺師になりたいと答えていた子もいた。最近は私立の学校を訪問することが多かったが、やはり公立学校を訪ねる方が、その国の実態がより詳しく分かる気がする。
本日の案内人 アレハンドロさん 携帯のチップを購入している所
ERIKO