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パナマ滞在最終日、“岡村和美さんからの手紙をご両親に届ける”というミッションの手紙を未だに受け取れずにいた。私がパナマに到着する少し前から、岡村さんの体調が優れなかったのだ。結局最後まで出会えず、人を通して彼女の手紙を受け取ることとなった。
岡村さんとは、旅が始まる前から連絡を取り合い、旅の途中も幾度となく応援のメッセージをくれ、私はその度に随分と励まされた。残念だが、きっといつか出会った時に更なる感動を体験するための神様のシナリオなのかもしれない。
岡村さんへ
体調はどうですか?お会いできなくて残念でしたが、ご両親への手紙はしっかり受け取りました。わざわざ届けて頂きありがとうございます。遠い所に住む娘さんからの手紙、きっと喜ばれると思います。いつかこの地球のどこかでお会いできる日を楽しみにしております。いつも温かいメッセージありがとうございます。どうぞお体何卒ご自愛下さい。 ERIKO
サン・ホセのフアン・サンマルティン空港はアメリカ人でいっぱいだった。入国審査の列に並んでも英語しか聞こえて来ない。自分がアメリカにいるのではないかと疑ってしまうほどである。
コスタリカはペンシオナード政策という年金生活者の受け入れを進んで行っている国で、たくさんの外国人が移住してきているせいもあるのだろう。久しぶりに飛行機を下りてから出口を出るまでに1時間半以上かかった。
空港ではコスタリカでお世話になるクラウディアさんが待っていてくれた。物腰の柔らかい感じの女性である。クラウディアさんは、友人であるホンジュラスのサモラノ大学ハビエル教授の妹で、6年以上コスタリカに住んでいる。旅行が大好きで、これまで行った国や趣味の話しですぐに打ち解けた。彼女は一人暮らし、銀行に務めるキャリアウーマンである。
カルタゴという町にあるイラス火山は標高3,432m、コスタリカで一番の面積と高さを誇る活火山である。
途中、小さな村で遅めの朝食を取る。コスタリカ定番の“ガジョ・ピント”という料理を試した。中南米の人は朝から重たい食事をよく食べるので驚かなかったが、かなりのボリュームだった。
運転をしてくれるシニアさんも大の旅好き。コスタリカの伝統舞踊のチームに入って世界各国で踊り文化交流を行ったり、人類学者のフィールドワークに同行してみたり、冒険心に満ちあふれた女性である。
『中南米では女性は結婚したら専業主婦という昔からの考え方が今でも強く残っていて、私みたいなタイプはなかなか難しいのよ』
彼女には子供が2人いるが、家庭的な雰囲気は全く感じられない。ひょうきんで人を笑わせるのが得意である。
イラス火山の最後の噴火の記録は1963年3月19日、ちょうどアメリカのケネディー大統領がコスタリカに訪問していた日である。クレーターには緑の火口湖が見られるはずだったが、からからに乾いてしまっていた。月面のように広がる火山の麓に積もった火山灰は細かく、歩く度に煙のように舞い上がる。目をつむると鳥達の声が山にこだまして響いた。目をつむった方が音をよく聞けるのはどうしてだろうか。
山に登った後は、谷へ向かう。周囲を山に囲まれたオロシ村は、地震の後に残った少ないコロニアルの町の一つである。ここにはサン・ホセ・オロシ教会という一見どこにでもありそうな教会がある。一般の教会と変わらなそうなこの教会は、世界で唯一バチカンの方を向いていないコスタリカ最古のカトリック教会である。
昔ここに住んでいたウエタル族にスペイン人が宣教を行い、サン・ホセ教会が建設されたのだが、聖人サン・ホセを西に向かって祭ると、次の日には東を向くという現象が幾度も続き、結局教会の入り口を東向きに作り替えたというのである。そしてサン・ホセが向いた東の方角にはウエタル族の居住地があったと言われている。
木造にも関わらず、多くの地震に耐え抜いて来たのも何か別の理由があるのかもしれない。
遅めの昼食は、シニアさんオススメの湖の見えるレストランで食事をした。コスタリカの定番の“Café Chorreado”(チョレアードコーヒー)と呼ばれるコーヒを試した。目の前でお湯を入れてドリップしてくれるのだが、味がまろやかで実に美味しい。
Cafe Chorreadoと中:クラウディアさん 右:シニアさん
☆El Plato del hoy 今日のご飯☆
コスタリカ定番の朝ご飯Gallo Pinto(ガジョ・ピント)
ERIKO