
白孔雀
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野生欄保護活動施設APROVOCAセンターで働くビビアナさんの娘、カリーナさんが、エル・バジェの観光に連れて出してくれた。小さな村かと思いきや、近くには観光する場所がたくさんある。彼女は33歳と若いが、すでに3人の子持ちで、一番上の子はもう15才になる。おしとやかで静かな感じの女性である。
この動物園の有名人はなんといっても“Rana Dorada”(Atelopuz zeteki)と呼ばれる金のカエル。パナマの熱帯気候住む絶滅寸前種である。個人的には、真っ白の孔雀が羽を広げている姿を見られたのが印象的だった。
湿気と暑さから逃れるべく、山の方へ登っていく。ChorroMacho(マッチョの滝)と呼ばれる滝のある公園内は、遊歩道が付いており、ターザンなどのアクティビティを楽しむことができる。住民か観光客か、たくさんのアメリカ人でいっぱいだった。
マッチョ(男)の滝には様々な言い伝えがあり、あるスペイン人が滝から落ちて亡くなった場所であったことからとか、オス豚がたくさんいたことからこの名前が付いたなど、本当の所は分からない。
出口付近で、見ると幸せになると言われているモルフォ(青い蝶)がヒラヒラと目の前で舞って消えて行った。
エル・バジェの町からもよく見える、India Dormida(インディオが眠るの丘)へ向かう。この山には昔Chibchas(チブチャ族)が住んでいたと言われており、その壁画が今でも岩に残っている。
チブチャ族(インディオの言葉で住民の意)はニカラグアからエクアドルに分布していた先住民族で、インカとマヤ文化の橋渡し的な役割を果たしていたと言われている。帝国のように統治はされることなく、言語も100以上存在し、場所によって風習や習慣がまるで違う。
岩にくっきりと刻まれた壁画は、奇妙な丸みを帯びていて、その意味は未だに解読されていないそうだ。インディオが眠る丘には、先住民族のお姫様の伝説が語り継がれている。
母ウラカの娘であったフロル・デル・アイレは、ある日征服者としてこの村に来ていたスペイン人に恋をする。しかし、同じ民族同士でしか関係を持つことを許されていなかった彼女の部族から猛反対をくらう。悲しみに暮れた彼女は、どうすることもできない感情を背負って山に登り、そこで息を引き取った。この丘はフロル・デル・アイレの横たわった姿だと言われているのだ。確かに見ていると、彼女の顔まで想像できそうなほどくっきりとしている。
昼食を取ったあとはポソス温泉へ。まさか温泉があるとは思ってもみなかったので水着を持って来なかったが、フェイシャルの泥パックを楽しんだ。温泉は茶色で適温。泥パックは肌を水々しくし、日焼けした肌が少し白くなった。泥は1パック$2で売られていて、お土産にもピッタリである。
泥パックを乾かしている間、カリーナさんと村の生活について話をした。仕事がなかなか見つからないこと、物価が日々上がっていること。顔に泥がついた状態で真面目に語り合う。
『あなたと話してると、ふづきを思い出すわ。話し方や雰囲気が彼女そっくりなのよ』
ふづき(三浦)さんとは、このエル・バジェで亡くなられた元JAICAの隊員であり、カリーナさんの家で家族同様に生活していた日本人のことである。
夜、カリーナさんのお家に招かれた時、彼女はふづきさんのファイルを見せてくれた。そこには楽しそうにサルサを踊る彼女の姿や家族との写真と日本から何度も送られた手紙があった。彼らにとってふづきさんが今でもとても大切な人であったことを改めて感じた。エル・バジェの温かい人達に囲まれて、ふづきさんもきっと幸せだったに違いない。
カリーナさんの旦那のホルヘさんが、『最後に違ったエル・バジェを見せてあげる』と車を走らせてくれた。途中、道路脇で手を挙げる人達を見て、この車がタクシーであったことを思い出した。到着した場所は何もない小高い丘だった。
『空気が違うだろ?』
確かに肌寒い。一本の砂利道がまっすぐ続いている。頭上に星は出ていない。特別なものがなにもない、どこにでもありそうな場所。その何でもなさが、この時間と場所を共有している私達3人の存在を強く浮かび上がらせる。素朴なプレゼントに感謝の気持ちでいっぱいになった。
スピードメーターも、ガソリン表示も、ウィンカーの持ち手も壊れたオンボロタクシー車に揺られて、2日間だけで良かったと心がそう思った。それ以上長く居たら、別れがもっと辛くなると思ったからだ。それほど彼らの愛に溢れた心は、短い時間ながらも私の心に響いている。
ERIKO