パナマ市から120km離れたEl Valleの位置


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 滞在先のマンションの前には、立派なショッピングモールがある。昨日は先日失くした靴を新たに調達するべく店から店を点々と探しまわった。外国人は案内所で緑のカードを取得すれば税金が免除されるという制度を活用し、無事買い物を終え、携帯のチップを購入し、パナマでの携帯番号も取得した。

 パナマシティーから西に120kmのエル・バジェという町へ来ている。ここには、日本政府の援助で建てられた、明智洸一郎さん が会長を務める野生欄保護活動施設APROVACAセンターがある。駐日パナマ大使館のコスマス大使を表敬訪問した際、『パナマへ行ったら是非訪ねて下さい。また、行かれた時にはそこで亡くなられた三浦さんのお墓参りをして来て下さい』と、お話しを頂いたこともあり、パナマに来たら必ず訪ねようと思っていた。

 明智さんと日本でお会いしてからもう1年以上が経つ。
『蘭という植物は
1億年前にゴンドワナ大陸で生まれて、その後の大陸分裂でできたアフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、 オーストラリア大陸でそれぞれ独自に進化の道を辿りました。その結果、それぞれの大陸の蘭は今でも独特な種類で、基本的に交じり合っていません。パナマ地峡(パナマとコスタリカ)は当時海底にあり、ボツボツと島が浮かび始めたのは今から1500万年ほど前で、完全に地峡として成立したのは350万年ほど前です。飛び石のような島では、ガラパゴス諸島のようにそれぞれの島固有の蘭が生まれ、それが現在のパナマ地峡の山の上に残っているのではないかと思います。ゴンドワナ大陸から南米大陸に侵入した蘭の進化の過程を考えると、とてもワクワクするんです』

 私は明智さんに会ったあの日、久しぶりに夢に向かってワクワク生きている大人を見た。そして、彼のイキイキとした生きる姿が私に勇気を与えてくれた。そんな
明智さんの思いが詰まったこのセンターを訪ねる日が来たのだ。

 エル・バジェ(谷の意味)はその名の通り、カルデラ湖跡にできた盆地であり涼しく過ごしやすいため、別荘観光地にもなっている。時折、外国人年金受給者の立派な家々が見える。パナマでは年金受給者はほとんどの物が値引きになるそうで、こうしてたくさんの外国人がセカンドハウスとして家をかまえているのだそうだ。
毎日高層ビル群ばかり見ていたせいか、緑の木に色を付ける花が心なしかより一層鮮やかに見える。

 エル・バジェまでは、パナマに永住している日本人の松井さんという女性がわざわざ送迎してくれた。彼女が持っている菜園も見せてもらい、枝豆と春菊、ほうれん草を頂いた。言語と見た目だけ日本人の彼女は、奉仕の心に溢れた温かいラテンの心を持っている。私の滞在が居心地の良いものになるよう、センターの人達に色んなお願いをしてくれた。






 昨日で13年目を迎えた蘭センターには、常駐スタッフの他に世界中からボランティアの人達がやって来る。現在は韓国人の女性とイギリス人の男性の2人が住み込みで活動を行っている。センターでは絶滅危惧種の蘭を始め、多くの種類の蘭や植物を栽培しており、エル・バジェの観光名所にもなっている。



            25℃に管理さえたハウス内



 正直私はこれまで、いつでも花をつけるわけでもなく、管理も大変で、咲いたと思えばこじんまりとしている蘭の魅力がいまいち理解できなかった。
APROVOCAのセンターの責任者であるラウラさんから、一つ一つの蘭の説明を聞いていくうちに、それぞれ咲き方や形に個性があり、また非常に品のある香りを持つ花だと知って、蘭への見方が変わった。



        APROVOCAのスタッフの皆さんと


 エル・バジェ滞在中はセンターの宿舎で寝泊まりさせてもらう。夕飯には、松井さんから頂いた野菜を使って、ボランティアで来ているジョンと韓国人の彼女(名前を忘れてしまった)で料理を作った。
彼らはここへ来て
4ヶ月、とても居心地が良いそうで、あと2ヶ月は延期をして滞在する予定なのだそうだ。
蘭センターにいる人達はおっとりとしていて優しく、彼らと接すると不思議と、静かに美しく咲く蘭を見ている時のような気持ちになる。



      エル・バジェで亡くなられた三浦さんのお墓

-三浦ふづきここに眠る 野生蘭保護とパナマ・日本両国の友好に青春を捧げて- 2006年1月17日

ERIKO