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 土曜日。昨晩は仕事とパッキングやらで気がつけば明け方になっていた。
コロンビア最後の食事は、メデジン定番料理“バンデハ・パイサ”をお手伝いさんが用意してくれた。
お世話になったお礼にルスさんが大好きな植物のサボテンと手紙、トリピーのプレゼントをすると、彼らも私に手紙と素敵なネックレスを準備していてくれていた。
手紙には『メデジンの景色を心に刻み込んで下さい。そしていつでもここがエリコの家であることを覚えていて下さい。私はあなたが私達の国の本当の意味での大使になることを信じてやみません』と愛嬌のある文字で書かれていた。
お手伝いさん、庭師、ボディーガードの皆さんが別れの挨拶を言いに来てくれた。特に毎日一緒だったボディーガードさん達は、『エリコさんを色んな所にお連れすることができて光栄でした』と言ってくださった。何より彼らが社交辞令ではなく本音でそう言ってくれているのが伝わってきて嬉しかった。

 ルスさんとシエラさんの周りには素敵な人達ばかりが集まっている。
最後にシエラさんからこんな言葉をもらった。
La perseverancia logra lo que la dicha no alcanza』(不屈の努力のみが目的に辿り着くことができる)
その言葉はシエラさんの人生をそのまま現しているようだった。

 見慣れた牧場地帯を空港へ向かって走る。チェックインを済ませると、40ドルの税金が返金された。空港で税金を払うことはよくあるが、戻ってくることは初めてである。
『これでまたコロンビアに戻って来られるわね!ははは!』
シエラさん夫婦は本当に太陽みたいである。
『来年は鳥取に行くから、また会いましょう』
そう約束してゲートをくぐると彼らは私の姿が完全に見えなくなるまで笑顔で手を振り続けてくれた。

 コロンビアはこの旅が始まる前から縁を強く感じていた国の一つであった。在日コロンビア大使館の方達を始め、今回現地でお世話になった人達とは実際に出会う1年以上も前から連絡を取り合い、私の滞在が充実したものになるようにと協力してくれた。
ラテンアメリカの国の人達の多くは非常に親切で奉仕の心を持っているが、コロンビアは特にそれを強く感じた国であった。

 都市ごとに違った特徴を持ち、ボゴタはアメリカ的な、コスタ(海岸沿い)はカリブ、メデジンは商業的でヨーロッパの印象を受けた。違いはあれど、それぞれに“コロンビア”らしさたるものを必ず兼ね備えている。それは彼らが感じているコロンビア人であることに対する誇りかもしれない。

 入国前に心配していた治安も、危険を感じることは一度もなく、むしろ他の南米の国よりも安全で旅がしやすかった。
現在日本とコロンビアの間では
経済連携協定(EPA)が交渉されており締結に至れば、これまで以上に輸出入や人と人との交流も増えていくだろう。
まだ日本人にとっては旅の目的地には選ばれにくい場所だが、たくさんの人達がコロンビアの魅力に触れる日が来ることを願ってやまない。



    空港にて お世話になったシエラさんご夫婦

ERIKO